第八八段 里にまかでたるに(その1)
長徳三年(997年)のころ、里に退出していると、殿上人の車を見るにつけ、おだやかでないように人々がうわさをするようである。また、あまりに消極的でよくないと言う者もいるが、そうではないので、特に憎く思うでもない。
また夜も昼も、こちらに来る人をいないといって、恥をかかせて返すことができようか。本当に仲が良い人でなくても、そのようにして、来るのであろう。
そのようなことでは、煩わしいことであるので、今回退出したところは、どこであるのか皆には知らせず、源の経房、源の済政などだけ知っていらっしゃる。
(八十五段で管弦の遊びの時に演奏していた人たちです。)
左衛門の尉になった則光がやってきて、話をするついでに、
「昨日も頭の中将の斉信殿がやってきて、『妹がいるところをいくら何でも知らないということはないであろう。』とひどく強くお尋ねになったので、こちらも強く知らないと申し上げたのに、厳しく問われるので
『実は知っていることを
知らないと抗うのは、とてもつらいことでした。あやうく笑ってしまいそうになるのに困って、台盤の上によくわからない海藻があったのを、ただ手に取って食いに食って紛らわしていたので、食事時でもないのに、よくわからない食べ物だと、人も思ったことでしょう。しかし、うまく、それによってどこにいらっしゃるか申し上げずに済みました。笑ってしまったら、お役に立てなかったでしょう。本当に知らないのだと斉信様が思われたのも、おもしろかったです。」などと語った。
「ぜったいに、申し上げないで下さいませ。」など語っていると、何日も過ぎていった。
(八十七段で出てきた方たちです。)




