中編
「セイラ!元気そうで安心したよ」
声をかけてきたのは少し前までは婚約者だったデニスだ。
ここへ連れてこられて一週間が経過していた。
相変わらず朝の仕度で用意される水は冷たいし、身支度を整えるはずの侍女は仕事をしない。
食事の時間は食堂で、この決まりを守るように言われてからセイラはいつも時間通りに席に着くが、セイラの食事が目の前に出されるのは、他の皆が食事を終える寸前だった。
そして皆が食事を終えて席を立ち始めると、食べてる途中でも全て下げられる。
思わずここまで徹底した食に関する嫌がらせにセイラは笑ってしまう。
こんな手間をかけてまで嫌がらせをする父親の執拗さに母への恨みが伺えた。
セイラはここへ来てから学園は辞めさせられていた。
だが伯爵は知らない、セイラは飛び級制度があるなら既に卒業してもいいほど学業は進んでいた事を、だからセイラは辞めさせられても大して打撃を受けてはいなかった。
デニスは腕に異母妹をぶら下げてニヤニヤしながらその厚顔無恥な顔をセイラに向けている、何故か目配せしているけれど、鼻で笑いたくなる。
「お久しぶりです」
たった一週間で変わり果てたデニス、いやきっと腹の中は元々、品の欠片もない裏切り者だったのだろうとセイラは彼を観察した。
─気持ち悪い─
今回の件で喜んだのはデニスと結婚せずに済んだことだけだ。
そうセイラは思い、折角暇過ぎて気分転換に庭の散歩でもしようかと出てきたが、早々に部屋へ引き返す事にした。
以前母に聞かされた伯爵家の庭師が母の為に作った小さな花壇が健在か確かめたかったのだけれど⋯⋯。
踵を返したセイラの背に向けてデニスは調子に乗って声をかける。
「また会えたら会おう」
彼はそれでセイラが安心すると思っているのだろうか?
先程の目配せといい、浅はかすぎる。
セイラはデニスの言葉には振り返らずに部屋へと歩を進めるのだった。
そういえばあの妹は学園に行かなくてもいいのだろうか?
つい疑問に思ったことが口に出てしまっていたセイラに何故か戻ると部屋に居た侍女が「お嬢様は病弱なのです」と答えた。
その返事には反応せずにセイラは直ぐに彼女に出て行くように伝えた。
苦虫を噛み潰したような顔をして侍女はそそくさと部屋を出た。
侍女が遠くに行く足音を耳を澄まして聞いたあと、セイラは胸元から首に下げていた袋を取り出す。
中にはコード侯爵家の代々の当主が持つ印璽と封蝋に押す印章が入っている。
母が今わの際にそっとセイラに握らせたのだ。
今の侍女はおそらくだが父に言われてこれを探していたのだと思う。
叔父のダルトにでも頼まれたのだろう。
幾ら叔父がセイラを侯爵家の籍から外したところでこの印璽がなければそれは無効になる。
届けを出す王家にはこの印璽が押されているので、偽造することは出来ない。
「ふふっザマァみろ」
だが何時までも肌見放さず持っていた所で、此処にいれば奪われる確率が高い。
そろそろどうにか逃げ出す算段を付けなければならないのだが⋯。
さてさてどうしたものか⋯。
私逃げられるかしら?とセイラは不安に胸が押しつぶされそうだった。