前編
前中後編の短いお話です
よろしくお願いします(o_ _)o
起き抜けの冷たい水はこんなにも痺れるのかと指先の震えを感じながらセイラは思った。
これで顔を洗わなければいけないの?
その、すぐ先の未来を考えてセイラはブルッと震えた。
まっぴらごめんだわ!
今すぐこの水桶を目の前の侍女に投げ付けたい。
─出来る訳はないけれど─
数日前母の葬儀に突然現れた父親と名乗る人物に無理矢理馬車に乗せられ、昨日着いたこの屋敷。
ルーセント伯爵家だと聞いたけれど、セイラからするなら今更何故?って感じだ。
そこに居たのは義母と義弟妹だと紹介された。
そして理不尽な父の言葉。
ルーセント伯爵とセイラの母であるセリーヌ・コード侯爵令嬢が結婚したのは今から18年前。
その1年と1ヶ月後にセイラは生まれた。
その3年後にセリーヌは伯爵と離婚してセイラを連れて実家の侯爵家に出戻っている。
その六年後にコード侯爵は嫡男であるセイラの叔父を見限り出戻ったセリーヌに家督を譲っている。
セリーヌには才能があったのだろう、見事に父の期待に応え没落寸前だった侯爵家を国内屈指の貴族家へと成長させた。
本来であるならセリーヌが亡くなった後はセイラが婿を取り継ぐことになっていたのだが、何故かこんな所へ連れてこられている。
そしてルーセント伯爵は言った。
「今日から此処で暮らせ!そのうち誰か見繕ってやる」
「は?」
セイラの疑問の一言が合図だったのか伯爵が手を上げると二人の騎士に拘束されてこの部屋に閉じ込められた。
食事すら与えられずに。
仕方がないからベッドに入ってそのうち寝てしまったのだが、突然侍女に起こされて朝の仕度をしろとこの水桶を出されたのだ。
セイラは浸した両手を桶から出して顔を洗うのを止めた。
手拭きで手を拭いながら「下げて」と一言だけ告げるセイラに侍女から侮蔑したように声があがる。
「よろしいのですか?顔を洗わなければ食堂にはいけませんよ?」
「⋯⋯」
返事をしないセイラに業を煮やして侍女は部屋を出て行った。
「水桶は持っていけばいいのに」
結局侍女は戻ってこなかったが、今の季節のおかげだろう冷たかった水は窓辺に置いている間に太陽の暖かさで温くなってきたのでセイラは顔を洗い、着替えて身支度を整えた。
「お母様の予想通りで⋯⋯笑ってしまいますわね」
そう、セリーヌは自分亡き後、弟でありセイラの叔父でもあるダルトの画策によってこうなる事を危惧していた。
その対策はしていたつもりだったけれど⋯⋯。
セイラは自身の婚約者が叔父達に寝返ったのだと思うと寂しさを感じたし失望もしていた。
「お母様が立てた計画は失敗しちゃったのね、これから私は如何なるのかしら?」
先行きの不安に胸が押しつぶされそうなセイラだった。
◇◇◇
セイラと婚約者のデニスがセリーヌに揃って呼ばれたのは彼女が亡くなる3ヶ月前だった。
その時にこれから起こるかもしれない事態に慌てないようにと色々と知恵を授けてくれた。
それでも病で余命宣告を受けていたセリーヌが少しでも長く生きてくれる事の方に重きを置いてセイラは母に寄り添っていた。
デニスは「僕が根回しするからセイラは安心してセリーヌ様に付いていてあげて」
デニスの優しい言葉に涙していたのだけど、セイラがここに連れてこられた時点で彼の裏切りは明らかだった。
ダダダダ⋯⋯ダンッ
「セイラ!」
物凄い足音と共に部屋に乱入したのは伯爵だった。
いきなり彼の右手が上がりセイラの頬に落ちて来た。
痛みに左頬を押さえながら叩かれた衝撃で床に倒れ込んだセイラは伯爵を睨みつける。
「朝食の時間は決められている、仕度の侍女を追い出してお前は何がしたいのだ!」
この男は何を言ってるのだろう。
セイラは不思議に思った、男の中ではセイラが此処で暮らすのは決定事項のようだ。
そんな事はセイラは知った事ではない。
「なんだその目は!お前は自分の立場が解っているのか?」
目を釣り上げて放つその言葉にセイラが苦笑すると、伯爵はそれを嘲りと捉えた。
「なんだその馬鹿にした顔は。お前はもう侯爵家の跡取りでも何でもない、侯爵家からは除籍されたからな。お前は私の駒としてしかもう生きる道は無いのだ。大人しく言う事を聞くならちゃんと駒として扱ってやろう。だが反抗するなら私の可愛いラリエルの侍女にするぞ」
後半の方はニヤニヤしながらセイラに暴言を投げ付ける。
全く解っていないのは伯爵の方だというのに。
伯爵の妄言はまだ続く。
「お前の婚約者だったデニス殿はとっくの昔にお前との婚約は解消されて今はラリエルの婚約者だ。ハハハ悔しいか?お前はセリーヌにそっくりだ。顔もその私を馬鹿にして蔑む目も。だがもうそんな目はできやしないぞ。セリーヌは死んだしお前は私の駒に成り下がったのだから、はははははははは」
高笑いをしながら伯爵は満足したのか床に倒れたままのセイラを放置してやっと部屋を出て行った。
伯爵が出た後、セイラは立ち上がり扉を一睨みしてから先程の温くなった水にハンカチを浸して痛む頬に宛てた。
「あぁ冷やさなければいけないのなら冷たいままでも良かったわね。時間、逆だったら良かったのに」
セイラは頬を大して冷たくもないハンカチで冷やしながら独り言ちた。




