7,福井県調査
宮内庁の佐久間美佳は奈良県の調査を終えて次に福井への調査に出かける。福井には大学生の頃につき合っていた反保裕司がいるので県庁を訪れる前日に反保を呼び出して2人で食事をする。35歳になった2人はお互いに独身でまだ相手のことを忘れられずにいた。2人の恋の行方は。
佐久間美佳が反保に連絡を取ってきたのは7月10日、夕方、佐久間から反保の携帯に「福井県庁に行くのは明日だけど、前泊で福井に来ているので今から福井駅前で夕食をいっしょにしましょう。」という内容だった。福井駅前のホテルフジヤに泊まっているらしく、待ち合わせはホテルフジヤのロビーということになった。ホテルフジタは藤屋観光系列のホテルチェーンで元は福井ボストンホテルという名前だった。福井市は典型的な地方都市で、駅前は夜になるとシャッター通りとなっていて、ホテルの立地も少なく、大手のホテルチェーンは進出していなかった。天皇陛下が福井にご宿泊になることが決まったときに、ボストンホテルではビジネスホテルレベルだという事で、経営形態は変わらないがホテルフジヤと改名して最上階の部屋を改装して対応したらしい。
反保が勤めている福井県庁から歩いて5分でホテルフジヤにつく。ホテルのロビーについたのは夕方6時ごろ。ロビーを見渡すと、白い椅子に座って、細くて白い指で携帯電話を操作している女性が目を引いた。福井の女性も美しい人は多いが、ひと際、輝いている感じがした。久しぶりに会った彼女は昔と変わらない美しさで、決して派手ではないが、清楚な姿が美しさを際立たせていた。
「やあ、待ったかい。」
「いいえ、今部屋から降りてきたところ」
簡単な挨拶を交わした後、
「今日はどこに連れて行ってくれるの?福井っておいしいものがいっぱいなんでしょ。よろしくね。」
彼女のリクエストに反保は
「冬ならカニだけど、夏もおいしいものはたくさんあるよ。安くておいしい福井の名店へお連れしますよ。」
「おねがいしますね。」
2人は反保の案内で福井のおいしいものを食べようということになり、福井市の大通りであるフェニックス通りを渡った片町地区へ行くことになった。福井らしさと反保の金銭事情を考慮し、まずは焼き鳥の春吉本店へ入店した。佐久間美佳は焼き鳥の「春吉」は初めてで反保の言うままに入店したが、店に入るなりびっくりさせられた。店内に響き渡るような女性店員の大きな声で
「いらっしゃい。社長、お二人さんですね、こちらへどうぞ。」大きな声というよりは叫び声に近いような声だったし、いきなり社長である。また、その注文の仕方に驚いていた。店員は
「社長 何にしますか。」と声をかけ、間髪入れずに反保が
「とりあえず生ビール2つ、しろ10、あか10、純けい10、くしかつ10」
佐久間美佳は店員の『社長』という言葉に、反保がいつの間に社長になったんだという思いと、なにか田舎っぽい懐かしさを感じた。また同時に、2人で焼き鳥を40本も食べられるわけがないと考え、びっくりした。しかし、でてきた焼き鳥を見て納得した。1本1本が東京で食べる焼き鳥のサイズとはまるで違う小ささで、反保は出てきた焼き鳥の串を一度に2本持って一口で食べてしまった。佐久間は1本だけ持って食べてみた。福井の名物として反保が連れてきたのもうなずけるおいしさだと思った。「春吉」は福井発祥の店だが、現在では東京にも関西にも、外国にも店があるらしく、かなり手広く営業している会社だということである。数ある店舗の中でも片町店は春吉本社直営で特にほかの店よりもおいしいと地元では有名だった。
大学生時代のなつかしい話や現在の仕事の話などをしながら約1時間30分、生ビール中ジョッキそれぞれ2杯と焼き鳥40本をそれぞれ20本ずつ、ぺろりと平らげた。反保がお勘定をすますと
「すこし、ゆっくり話せるところで2次会しよう」と佐久間美佳が言った。反保はせっかく福井なんだから海の幸を紹介するのもいいかなということで、すし屋で日本酒を飲むことを提案した。近くの「吉川寿司」に入店した。ここは司馬遼太郎が「街道を行く」の取材で福井に来た時に来店した店で、店内にはその時の様子を示す掲示がされていた。「街道を行く」のなかでもこのすし屋の女将との会話が出てくる。1階はカウンターのみの10席ほどの小さな店だが、カウンターが混んでいたので2階の部屋に案内された。6畳ほどの和室に木製の黒塗り机とセットの椅子が4脚。昔は座敷で座布団を敷いて正座か胡坐で座って食事するのが当たり前だったが、最近は和室でも椅子に座るようになってきている。この部屋こそ司馬遼太郎が入った部屋だと案内してくれた2代目の女将が説明してくれた。焼き鳥を食べたばかりなので、盛り合わせのお造り2人前と福井の地酒「黒龍」を冷酒で注文した。黒龍は永平寺町松岡の地酒で、全国的にも人気のブランドである。
さっそく佐久間美佳が口火を開いた。
「反保君のところにも話が行っているかもしれないけど、2年後のNKH年末歴史ドラマで福井が舞台になるかもしれないの。継体天皇を主人公にして、越国と大和朝廷を描くらしいの。でも他にもいくつかの県が立候補していて、その中でも有力なのが奈良県。同じように古代の邪馬台国を舞台にすることでNKHに働きかけてきているの。NKHの大河ドラマに取り上げられるということは地元に大きな経済効果をもたらすので、それぞれの県はNKHに知事の命令で役人は送り込むし、ふるさと大使として有名人は送り込むし、大変らしいの。だから、NKHから私の勤めている宮内庁に調査を依頼してきたわけなの。政治が介入してきて迂闊な解決をするとややこしい問題に発展しそうだから、責任を転嫁してきたということかな。福井と奈良を両方調査して、レポートを提出してほしいと言ってきているわけなのよ。」
いっきに話したところに女将が黒龍を持ってきた。黒龍は今上天皇が皇太子時代に会見でどこのお酒が好きかと聞かれて、ついうっかり「黒龍の『しずく』というお酒」と漏らしてしまい、全国ブランドになってしまった人気の酒である。佐久間がお酒を手に取り、反保のグラスに注いだ。反保も佐久間に注ぎ、とりあえず乾杯。佐久間にとって、黒龍は初めてで、有名なお酒だからどんなに濃いおいしさなのかと期待したが、のど越しさわやかで、水を飲んでいるかのごとくにさらっと入っていった。
「おいしいお酒ってこういうことなのね。うまみが濃いとか甘みが強いとかではなくて、すっきり飲みやすい。混じりっ気がないということなのかな。」
佐久間の感想に反保はあまり詳しくもないのに通を気取って
「このお酒は黒龍の大吟醸だけど、『しずく』になるともっと水に近づくと思うよ。ぼくも『しずく』はまだ2回しか飲んだことないけど」と地元でありながら安月給のため、高級なお酒の経験が少ないことを恥ずかし気に語った。
「話を戻すけど、継体天皇、越前にいた時にはまだ男大迹皇子、もしくは男大迹王と呼ばれていたけどその越国の王が大和朝廷に天皇として受け入れられて、河内樟葉の宮で継体天皇として即位するわけだけど、奈良に入るのに20年近くかかっているのよね。反保君は福井の研究者としてこのことをどう考えているの?」
いよいよレポート作成のための核心に迫ってきた感じがした。
「君のレポートの話は聞いているよ。知事からは福井としての決め手になるようなトピックスを考えてくれと言われて『継体天皇の大和朝廷入り』を提案したんだ。そういう意味でも、この問題は越国と大和朝廷の関係を考えるうえで重要なトピックスと考えてきたんだ。証拠がないのでどんな仮説も推定に過ぎない。でも福井県人としては福井が古代史の中心になってもらいたいので、越国が大和朝廷と対等に合併したと考えたい。当時の様子をまとめてみよう」そう切り出すと、料理の御品書きが書かれた和紙の裏にペンでいろいろ書き始めた。
大和朝廷で第25代武烈天皇没後、後継者を探して大伴金村が越の国にオホト(男大迹王)を迎えに来るのが507年、同年河内樟葉の宮で即位。奈良ではなく大阪で即位。その後、山背(現在の京都府南部)の筒城、弟国などに都を移し、大和の国、磐余玉穂宮へ都を移して奈良に入るのは527年、実に即位後20年たっていること。越国の古墳群が作られているのは、4世紀後半が手繰ケ(が)城山古墳、六呂瀬山古墳群が4世紀後半から5世紀、石舟山古墳が5世紀中旬、二本松山古墳が5世紀後半。そこから古墳の建設はほぼなくなっている。また、高志の国造が設置されたのが6世紀。他の地域にはなるが継体天皇が筑紫磐井の乱を平定するのが527年。越国と大和朝廷の合併が成立して大和朝廷の勢力範囲が拡大し、九州の磐井を平定することに成功したと考えるとつじつまが合うことなどを箇条書きにして書き上げた。
書いている途中で女将がお造りの盛り合わせを持ってきた。白身は鯛とヒラメだろうか、赤身はマグロとはまち、貝類はサザエ どれも新鮮で盛り付けも芸術的である。まずは鯛のお刺身を食べながら佐久間が真剣な表情で
「越国は併合されたのか、対等合併なのか、それとも大和朝廷を飲み込んだのか、どう思う?」と聞くと反保は佐久間の顔を上目遣いに見ながら
「何とも言えないな。何の証拠もないから。でもオホト(男大迹王)が継体天皇として大阪で即位してから京都を回り奈良に入るまでに20年かかったということは大きなヒントだね」
反保はグラスの黒龍を一気に流し込みながら話した。
「20年かかったということは奈良には反対勢力がたくさんいて、やすやすと入れてもらえなかったと考えるのが筋ね。きっと迎えに行った大伴金村の反対勢力は別の誰かを大王に推していたのかもしれない。」
大王をだれにするかで国を2分した戦いは国史の中で何回も起きている。壬申の乱、南北朝の戦い、応仁の乱。だれが王になるかはその部下たちにとってその後の人事で大きな違いがあるので命がけで戦う。今も昔も変わらない人間の本能なのだろう。佐久間美佳は
「越国は軍事力で大和朝廷を飲み込んだとは考えにくいね。20年たって奈良に入ったオホト(男大迹王)は真の大和朝廷の王になってから越国を大和朝廷の中に合併させたような気がしますね。」と推論をまとめた。反保も
「越国が福井越前から新潟越後までの巨大な国家なのか、福井から富山までなのかはまだわからないが、中国や朝鮮との交流で鉄を作る技術を持っていたといわれているんだ。福井の金津という地名は金属、すなわち鉄を作る港という意味で、金津付近にはいくつかの鉄づくりの遺跡も存在しているし、二本松山古墳からほど近い林藤島古墳からは多くの鉄器が出土している。石川、富山、新潟を含めると多くの遺跡があるし、現在でも北朝鮮との交易は新潟が拠点になっている。そんな強い力を持った越国が仲間になって九州の磐井の乱を平定したり関東を配下に入れたりすることもできるようになったと考えたほうが論理的だと思うよ。」と言うと佐久間美佳は頷きながら
「中国や朝鮮半島との交流や対立は邪馬台国や金印の奴国の時代にもあったわけだから、オホトの越国の時代にも関係は深かったでしょうね。ちょうどこの部屋は司馬遼太郎がお酒を飲んでお寿司をつまんだ場所でしょ。司馬さんが今ここにいてくれたら、どんなアドバイスをくれたのかな。」
佐久間は壁に掛けられた司馬遼太郎の色紙を見ながら語った。
「彼が今生きていたら大正12年生まれだから98歳くらいかな。中国古代史に詳しいから、越国に対する見方も鋭いだろうな。司馬さんを含めた3人でおいしい魚で黒龍を飲んだら、いい考えも浮かんだだろうね。」
その時、佐久間美佳がはっと気が付いたような表情で
「このお酒、黒龍っていうんだよね。何から来た名前なの。」
すると反保が待ってましたとばかりに続けた。
「この近くを流れる川は九頭竜川、古くは崩川とか黒龍川と言われていたんだよ。その川の伏流水を使って作ったお酒だから黒龍なんだろうね。この九頭竜川は古代から暴れ川だったんだ。この暴れ川の治水工事の指揮を執ったのがオホト(男大迹皇子)なんだ。僕も昔から不思議に思っていたんだけど、日本海をはさんだ満州とロシア国境を流れる川は黒龍江という名前だよね。ロシア語ではアムール川だけど、もし古代に越国と中国大陸に大きなつながりがあって貿易をしていたら、人々の行き来が盛んで大陸人が越国にたくさん来ていたかもしれない。だったら越国の大きな川に黒龍という同じ名前を付けてもおかしくないよね。さらに日本海は今では国際的にも日本海と呼ばれ、韓国では東海と呼んでいるけど、古代には越の海という名前で呼ばれていて当時の地図にもその名前が出てくるんだ。」
佐久間美佳は反保の話があまりにも大きな話になってしまって、ロマンは感じるが信憑性に欠けることから
「話は面白いけど結局は発掘調査が進んでいないから証拠がないのよ。中国や北朝鮮の発掘調査はまだこれからなのよ。発掘調査で証拠さえ出れば教科書が書き換えられた事例は今までにもたくさん起きているわ。頑張ってね。」
「その件なんだけど、まだ、大きな声では言えないんだけど、僕が担当している二本松山古墳から大陸との交流を示すことになりそうな発掘品が出始めたんだ。石棺があった場所から明治時代に金冠と銀冠は出ているんだけど、その場所ではなく前方部に細かな副葬品が出てきているんだ。もっと決定的なものが出てくるような気がするんだ。まだ、どんなものが出てくるか見当がつかないけど、期待していてほしい。」
反保は目を輝かせながら、発掘に燃える心境を語ってくれた。
「どんなものが出てくるか楽しみね。期待しているわ。ただ、継体天皇の研究は戦前まではタブーだったことは知ってるでしょ。いろいろな横やりもあるから注意してね。ところで、NKHの年末歴史ドラマ、どっちがいいと思う?」
その答えは福井県人の反保にとっては当然福井でなくては困るし、福井のほうがおもしろいと思っている。しかし、全国的にみると邪馬台国のほうが知名度が高いことも間違いないので複雑な心境であった。
「福井県人としては是非福井であってほしいと思っているよ。」
赤身のお刺身を一口食べて黒龍を飲んで答えた。佐久間美佳は黒龍が入った瓶を手に取り、一口飲み終えた反保のグラスにお酌しながら
「ところで反保君、その後、結婚はしたの。」
仕事とは関係のないプライベートなことだが、一番聞きたかったことを恥ずかしそうに聞いた。
「まだだよ、全然そんな気配すらないよ。」
佐久間の顔に少し安心したような笑みがこぼれたのを反保は見逃さなかった。
「君はどうなの。」
反保もずっとそのことを聞きたかったが、聞けないでいた。しかし佐久間の方から切り出してくれたので聞くことができた。
「私も仕事ばっかしでだれとも付き合えてもいないわ。」
反保ははじめて佐久間のその日の服装などに気が付いた。上下そろいの真っ赤なスーツの上着は脱いで傍らに置いているが、白い半そでのブラウス、真っ赤なスカートはひざ丈で昔のようなミニスカートではないが、タイトな感じは35歳のキャリアウーマンといった感じである。大学時代に付き合っていたころ何回か抱いたことがあったが、その頃よりも少しふくよかな感じがするが、ベビーフェイスでかわいらしい感じはちっとも変ってなくて、そのころの気持ちを少し思い出してきてしまった。そんな彼女が35歳にしてまだ独身。僕にもまだチャンスがあるかなと考えずにはいられなかった。
「今回の調査はいつごろまで福井にいるの。」
反保は下心があると悟られないように聞くと、どんな感じでとらえられたかわからないが佐久間美佳は顔を赤らめて
「あと2,3日いるつもりだよ。」この言葉を聞いて反保は少し安心した。
「今日は君の部屋に行っていいかな。」
反保が思い切って言ってみた。佐久間は
「来てくれるの。少し相談したいこともあるから、来てくれると嬉しいわ。」
思いもよらぬ反応に、うれしい気持ちと相談って何だというびっくりした気持ちが交錯した。
片町から大通りを渡ると佐久間が泊まるホテルフジヤである。1階から階段で2階に上がるとフロントがあり、カギを受け取りエレベーターに乗って8階の811号室へ。佐久間は自分の部屋なので堂々としているが、反保は宿泊客ではないので、あまり目立たないようにエレベーターに乗り込んだ。8階に着くとエレベーターの扉があき、彼女は先を歩いて部屋に向かった。811号室の前に着くとカードキーをかざしてカギを開けて
「どうぞ」と部屋の中へいざなってくれた。あとについて行くと部屋は意外と広い部屋で、ベッドは大きく、ベッド以外に2つのソファーが完備していた。
「広い部屋でしょ。NKHが支払ってくれるから高い部屋をお願いしたの。宮内庁の出張だったらあり得ないんだけど、NKHさんが経費として認めてくれるの。」と言って冷蔵庫からワインを出してきて、グラスを2つ準備してくれた。コルク栓を抜いてグラスに赤ワインを注いでくれて
約30分赤ワインを2杯ずつ飲みながら、彼女が一方的に話し、反保はひたすら頷き続けると、少しずつ落ち着いてきたのか、あるいはワインの酔いが回ってきたのか、彼女はほんのり頬を赤らめ、目もうっとりとしてきた。
「眠くなってきたのかい」と聞くと、
「少し酔ったかしら。」と言って立ち上がろうとすると、ややふらついて倒れそうになったので、反保がとっさに手を出して支えると、そのままベッドに誘導して寝かせようとした。彼女をベッドに横たわらせ、手を離そうとすると今度は逆に彼女の方からきつく手を握ってきた。
佐久間は翌日、7月11日、福井県庁を訪れた。県知事への表敬訪問と調査への協力の要請である。あらかじめNKHと宮内庁から9時に行くと連絡は入れてあったが、8時30分にホテルの部屋に電話があり、8時45分に車が迎えに来るというのである。奈良県と比べてはいけないが、佐久間は福井県の知事の意気込みを感じた。
8時45分にホテルのロビーに鍵を預けると、県庁職員と思われる紺のスーツ姿の男性が佐久間に声をかけてきた。
「宮内庁の佐久間先生ですか。福井県庁秘書課の酒井と申します。お迎えに参りました。どうぞこちらへ。」と言ってエレベーターに案内された。1階で降りるとホテル前には黒塗りの高級車が停まっていた。知事用の公用車だろう。言われるままに車に乗り込むと県庁正面までは5分もかからなかった。佐久間はせっかく来たんだから福井の町中を歩きたいとも思ったが、これも福井県知事の接待の一環なのだろうと思い、素直に応じた。
県庁の正面の車寄せに到着すると、秘書課の酒井が素早く下りて佐久間のドアを開け、県庁内へエスコートした。1階のエレベーターホールには左右に4台ずつ、合計8台のエレベーターが並んでいた。そのうちの1台に乗り込んで酒井が8階のボタンを押してドアが閉まると、一気に8階まで止まらなかった。8階は知事や副知事など特別職の人たちの部屋や応接室が並んでいるようだ。
知事室の前室は秘書の部屋になっていて奈良県庁と作りは似ていた。秘書たちは佐久間の姿を見ると全員立ち上がり、起立して迎えてくれた。そのまま止まることなく知事室に案内されると東山知事が出迎えてくれた。
「佐久間さんですか。お噂はお聞きしております。福井県知事の東山です。この度は福井県を訪れていただき、ありがとうございます。私も先日、東京出張の時にNKHを訪ねて、大道プロデューサーと茨山局長にご挨拶させていただきました。大道さんから佐久間さんのお話はお聞きしております。すごい美人の研究者が年末歴史ドラマの意見書を書いてくれることになり、一緒に仕事できるということで大道さんも喜んでいました。それ以来私も是非お会いしたいと思っていたんです。それに福井県の担当者としてうちの文化課の反保君を充てましたところ、反保君は佐久間さんとは大学時代のご友人だというではありませんか。今日は反保君も呼んでいます。」と言って右手の手のひらを入口の方に向けた。佐久間が振り向いて入口を見ると昨日の夜、いっしょにすごした反保がスーツ姿で立っていた。
「佐久間さん、お久しぶりです。今日から福井県内をいろいろとご案内させていただきます反保です。よろしくお願いします。」と挨拶してきた。佐久間は昨晩、大きな声を出さなかったか少し心配になったが、反保が白々しく久しぶりと言うので、毅然とした態度を崩さなかった。
東山知事は北陸新幹線延伸のタイミングに合わせて年末歴史ドラマを是非とも福井を舞台にした物語にしてもらいたいと強くアピールしてきた。しかし、継体天皇や男大迹皇子のことはあまり知らないようで、継体天皇を主人公にして福井を取り上げて欲しいとは言わず、どの時代でもいいので福井を舞台にとゴリ押ししてきた。
知事室を出た佐久間と反保は反保の運転で県庁の公用車を使って継体天皇ゆかりの地を訪ねることにした。県庁地下の駐車場から出た車が最初に向かったのは足羽山。福井平野の中心である福井市内に小高く残った小さな山だが、福井市民の安らぎの場所となっている。春は桜が咲き、梅雨にはアジサイが有名で、秋には紅葉が美しい。頂上には古代の福井平野の治水で活躍したとされる継体天皇(男大迹皇子)の石像が鎮座している。
反保はこの継体天皇の石像を見せるために最初に足羽山を訪れた。車を降りた佐久間は「この石像の主は大きな頭なのね。」と感想を述べた。誰も会ったことのない伝説の古代の人物は身長の3分の1近くが頭と言う宇宙人のような姿で表現されているが、福井を語るうえで欠くことのできない人物である。暴れ川であった九頭竜川を鎮め、後背湿地ばかりだった福井平野を水田が広がる豊かな耕地に変えた人物である。
足羽山を下りると今度は福井市東部、永平寺町の松岡古墳群へ向かった。多くの上り口があるが2人がむかったのは二本松山古墳。反保が担当して発掘調査を指揮している古墳だ。松岡古墳群の中で最も新しい古墳で、5世紀中頃から後半にかけて、越国最後の王の墓と考えられている。男大迹皇子が越前を出るのが507年なので、男大迹皇子の直前の王ではないかと反保は考えていた。2人は二本松山中学校側ではなく、尾根の向こう側に当たる永平寺町諏訪間から林道を車で登っていった。古墳までは歩いて5分ほどのところに駐車場も備わっていた。山に登るとは考えていなかった佐久間美佳はかかとが5cmほどのパンプスだったが、そのまま歩き始めた。
「ハイヒールでなくてよかった。」とほっとしていた。林道を歩きながら佐久間美佳が
「どうしてこの古墳に狙いを定めているの?」と問いかけた。反保は
「越国に大きな変化があったのは男大迹皇子が大和朝廷の王になるために越前を出たときではないかと考えている。越国が大和朝廷の支配を受けて合併したのか否かは不確実だけど、越国としての独立が終わったのがそのあたりだと仮説を立てれば、この二本松山古墳がキーポイントと考えた訳なんだ。」
反保の説明に佐久間美佳は感心した表情を見せた。そして
「出雲の国の場合は国譲り伝説にあるように、戦争という形ではなく話し合いによって国同士の合併がスムーズに行われたと考えられているわね。越国の場合も伝説として何か残っていないのかな?」と聞いてきたので、反保は
「言い伝えが何も残っていないから発掘で何か掘りあてないとわからないのさ。」と話しているうちに頂上に着いた。二本松山古墳の頂上は福井平野が一望できる立地で、継体天皇の伝説が伝わる丸岡や福井の足羽山、遠くは三国まではっきりと見える。空気が澄んでいると能登半島まで見える。この場所に立つとこの古墳の主の支配する範囲が大きく広がっていたのではないかと思わされる。佐久間美佳は
「このロケーションならきっと重要なキーワードが見つかりそうね。がんばってあなたの仮説を立証するものを掘り当ててね。」
彼女の屈託のない笑顔に気持ちを新たにする反保であった。
そこからは、継体天皇の母、振姫が幼い継体天皇をつれて近江から戻って住んだ高向、現在の丸岡。さらには成人した継体天皇が暮らしたとされる三国、近畿へ向かった継体天皇が愛した女性と別れたとされる花筐公園、様々な場所をめぐって夕方にはホテルへ送った。当然、その日の夜も反保は夜遅くまで佐久間と一緒にホテルで時を過ごした。反保がホテルをあとにした時刻は7月11日、午後11時を過ぎていた。
反保は佐久間の部屋を訪れ11時過ぎまで一緒にいたが、このあと大きな事件に巻き込まれる。2人の運命はいかに。