6、奈良県調査
NKHからの意見書を求められた佐久間美佳はまず奈良県の調査にやってくる。そこでは早稲田で共に学んだ野坂が働いていた。2人は調査を同行し野坂が奈良を進めようとするが佐久間の気持ちは福井に傾いている。奈良ホテルで食事しながら野坂は何とかしないとと考える。
奈良県を訪ねてきた佐久間美佳が奈良県庁に来たのは6月10日 奈良県庁の知事室で吉本知事に面会した。宮内庁からの調査という事で知事自らPR活動に出てきた。隣には大学の研究室で一緒だった野坂陽子も同席していた。部屋に入るなり知事は佐久間に握手を求め、両手で佐久間の手を握りながら
「NKHの依頼を受けた宮内庁の方というのはあなたですか。もっと気難しそうな年配の男性かと思っていたら、何て美しい方なんですか。お会いできて光栄です。私は奈良県知事の吉本です。NKHの年末歴史ドラマの意見書を出されるそうですね。奈良にはその調査で来ていただいたそうで。是非、奈良県が舞台に選ばれるようにお力添えをお願いします。奈良県は世界遺産をたくさん抱えていますが、観光面では大阪と京都に挟まれて素通りされてしまう寂しい県なんです。ご宿泊施設も奈良ホテルをはじめ、格式高いところはあるんですが、海外のホテルチェーンがないんです。是非、奈良県に元気を出させるためにも年末歴史ドラマの誘致を成功させていただきたい。聞くところによるとうちの県庁の野坂陽子は先生とは大学の同窓生だと言うではありませんか。素晴らしいめぐりあわせです。野坂を担当に充てましたので2人でゆっくりと奈良県のすばらしさを堪能して、特に箸墓遺跡と卑弥呼について調査していただければと思っています。ではあとは野坂に任せますのでよろしくお願いします。野坂君、くれぐれも無作法がないように。しっかりと接待してくださいよ。」と言って礼をしてきたので、佐久間も深々とお礼をして返した。何といっても相手は知事である。一国一城の主である。江戸時代なら大名を表敬訪問した幕府の御家人と言ったところだろう。
佐久間はそのまま野坂陽子の勤める奈良県庁文化課の会議室に入った。
「佐久間さん、久しぶりね。大学院を卒業して以来だから10年ぶりかしら。」
「そうね。私も忙しく働いて来たけど、あなたも忙しそうね。」と佐久間美佳が言うと
「そうでもないのよ。学芸員採用だから県立博物館とか国立博物館への派遣とかがあると思っていたのに県庁内勤務ばかりなの。忙しいのは忙しいんだけど、調査や研究ではなくて予算書の作成や会議資料の作成なんかで、事務作業ばかりやらされているのよ。」と野坂が愚痴っぽく言った。
「私だってそんなものよ。貴重な天皇御物に触れるチャンスはあるけど、書類作成が多すぎて研究までたどり着かないわ。」と言うと野坂が
「ところで、この後どこへ調査に行きますか。何処へでも黒塗りの公用車でお連れしますよ。知事の許可は取ってありますから。」と笑いながら話した。
「それじゃあ、まずは箸墓古墳から行ってみますか。桜井市ですよね。宮内庁管轄だけど一度も行ったことがなかったのでお願いします。」と佐久間が答え、早速地下駐車場から黒塗りのクラウンに乗り込んだ。普段は部長級の人たちが使う車らしい。運転手は専属のベテランドライバーで無口な人だった。南の桜井市まで約1時間のドライブであった。
奈良市は奈良県の北部にあり、京都の県境はすぐ近くである。奈良盆地の西部の法隆寺近くは斑鳩というが、奈良盆地南部は飛鳥地方と言うらしい。南に走った車はしばらくして桜井市の箸墓古墳についた。野坂は箸墓古墳と卑弥呼について最近の学会での考え方の変化について説明した。しかし、佐久間美佳は箸墓古墳を管理する宮内庁の陵墓課の学芸員である。学説の変化はよく知っていることである。邪馬台国が大和にあったとする説を大きく支持することになっている。しかし、九州説を唱える学者の皆さんからは確固たる証拠とは言えないという反論も出ている。2人で箸墓古墳を見学はしたが、大きな成果はなかった。その夜は奈良県庁近くの料亭で知事を交えた懇親会が開かれた。知事が同席という事もあり、打ち解けた話はできなかった。
2日目の夜、佐久間が宿泊している興福寺近くの古式豊かな奈良ホテルのレストラン「三笠」で2人だけで食事をした。洋食をメインにしたメニューの中からビーフシチューのコースを注文した。日本のホテルの中でも歴史と伝統において大変有名なこのホテルで、そのレストランも一度は訪れてみたい場所であった。テレビのグルメ紹介番組で出てくるような柔らかいお肉で、何時間も煮込んだ手間のかかったシチューで、2人にとって初めて食べた高級料理だった。楽しい食事を終えて、ホテルのラウンジで少し飲むことになった。モスコミュールとアップルパイは100年以上前に開業したこのホテルの名物である。もともと皇族や外国からの賓客などをもてなす関西の迎賓館として建設されたこのホテルに、県庁職員である野坂はこれまで全く縁がなかった。佐久間美佳にしても公務員であり、このような高級ホテルに泊まれる経済的余裕はないが、今回はNKHからの依頼で来た出張だし、NKHが予約してくれたホテルなので安心して宿泊している。一生に一回かとも考え、ホテル施設を十分に楽しむことになったのである。伝統のモスコミュールを飲みアップルパイを食べながら野坂が
「今のところ、美佳の考えではどっちのほうが優勢なの。」
いきなりの直球である。
「難しい質問ね。今のところは福井にしようかと思っているわ。でもまだ、福井に行ってないから何とも言えないけど、福井もすごく魅力的なのよ。奈良が悪いってわけじゃないのよ。でも、箸墓古墳が卑弥呼の墓という考え方はまだ、確証がないのよ。」
佐久間の説明に野坂は聞き返した。
「どういうことなの?」
すると佐久間は野坂の顔を真顔で見ながら
「中学校の教科書に書いてあったことが突然変わったことなんて今までに何回もあったでしょ。つい最近まで最古の人類はアウストラロピテクスと習ってきたけど、今ではなんて書いてあるか知ってる?ピテカントロプスチャデンシスだって。発掘や発見によって教科書は変わるんだよ。同じ不確定なものなら、越国のほうが全国的にあまり知られてなくて、面白そうだしね。でも、そう簡単にはいかないわ。いろいろ横やりもあるのよ。」
野坂には横やりが何なのかはよくわからなかったが、佐久間美佳の心の中では奈良が劣勢であることはわかった。
「福井には決定打となるような新しい事実はあったの?」
野坂の問いに対し
「決定打と言えるかどうかはわからないけど、書き直さないといけないようなことはいくつかあるみたいなの。」
佐久間の意味深な言葉を聞いたが、奈良のことではないので野坂はそれ以上続けては聞かなかった。
「ところで、反保君とは卒業以来会ってるの?」
野坂が最も聞きたかったことだった。すると
「卒業以来ほとんど会ってないわ。福井と東京では遠すぎるもの。自然消滅ね。」
佐久間の話を聞いて少しほっとしたような気がした野坂だった。
奈良の調査を終えた佐久間は次に福井へ行くことになる。福井県庁には学生の頃につき合っていた反保が務めている。2人の間に何が起きるかこうご期待。