24,マスコミ発表
国立博物館の鑑定を終えていよいよマスコミ発表に臨む反保。世紀の大発見は世の中に受け入れられるのか。また保守派の政治家からの脅迫はないのか。国立博物館は多くのマスコミで熱気を帯びる。
マスコミ発表は10月16日(水)という事になった。日本古代史学会での発表は来年の5月に発表するとして、途中経過を国立博物館で記者発表という形で公表することにした。福井県立歴史博物館反保学芸員の名前で発表だが、早稲田大学中川教授、宮内庁の佐多課長が同席してくれることになった。今回の事件に深く関与した野坂陽子と林田刑事も自費で参加することになった。前日に東京入りしたメンバーはそれぞれに関係者を訪問した。
反保と野坂はまずNKHの大道エクゼクティブプロデューサーを訪ねた。佐久間美佳が提出するはずだった意見書は出せずじまいだったが、金印の発掘で一気に福井と永平寺への国民の関心が高まることが予想されることから、NKHに是非福井と永平寺を取り上げてもらえるように頼むためである。東京駅から山手線で原宿駅まで行き、徒歩でNKH放送センターを訪れた。2人にとっては7月下旬の東京での調査活動以来の訪問であった。慣れた足取りで3階の制作局へと向かい、大道ディレクターの部屋を訪ねた。部屋のドアをノックして中に入ると、大道さんは反保の顔を見るなり
「お久しぶりです。事件は一応の解決を見たそうですね。ご苦労様でした。しかし、明日、何か発表があると言うではないですか。」
と先制攻撃してきた。ドラマのお願いに来たことはバレバレだった。しかし、反保も負けてはいない。
「そうなんです。実は福井の二本松山古墳で金印が出たんです。親那越王と刻印された金印は越の国が大和朝廷に匹敵する強大な国家であったことを証明する発見です。これから福井がブームになると思います。是非NKHとしても年末歴史ドラマで福井を舞台にしたドラマに取り組んでください。それに明日マスコミ発表がありますが、今回の発見は5世紀ごろの東アジア情勢と日本の歴史に大きな影響を与える大発見です。教科書を書き換えるような、また、日本の天皇制についての認識が変わるような発見です。どうかよろしくお願いします。」
大道プロデューサーは興味深そうにうなずき、明日のマスコミ発表に記者を派遣することと、年末歴史ドラマへの採用について検討することを約束して右手を出してきたので、握手をして部屋を出た。
2人はつぎに早稲田大学の中川教授と宮内庁の佐多課長を訪問した。東京駅から地下鉄丸ノ内線で大手町まで行き、地下鉄東西線に乗り換えて地下鉄早稲田駅まで行った。10年ぶりの大学だが、当時とちっとも変ってなかった。早稲田キャンパス内にある文学部国史コースの研究棟がある建物を目指した。中川教授の研究室は研究棟の3階にある。学部生時代はあまり訪れる機会もなかったが、大学院生になり修士論文に取り組んでいるころにはよく相談に行っていたので、迷うことなくたどり着けた。中川教授は2人にとって恩師である。部屋をノックすると中川教授は
「久しぶりだね、反保君、野坂さん。就職のときには苦労してたけど、いよいよ掘り当てたようだね。よく頑張ったよ。」とねぎらいの言葉をいただいたが、反保は
「有難うございます。でも、佐久間美佳さんを守ることができませんでした。直前に福井に来て僕と会っているんですが、いろいろ悩んでいました。もうすこし話を聞いてあげれば、何とか出来たのではないかと思います。でも彼女の思いを成し遂げるためにも、明日よろしくお願いいたします。」とあいさつをした。佐久間美佳は中川教授の研究テーマとほぼ同系列の修士論文だったため、この部屋に入り浸って指導を受けていた。教授は佐久間美佳と反保が付き合っていたことも知っていたので
「いつか君たちの結婚式に招待されるんじゃないかと思っていたんだけど、残念でしたね。彼女が宮内庁でおこなっていた研究はなかなか個性的な研究だったんだよ。時々、ここにきて方向性について話し合っていたんだ。君も明日の発表は気合を入れて、佐久間さんの思いに答えてくれよ。」と励まされた。
早稲田大学キャンパスの見学もしようという事になり、文学部の敷地から図書館の方に向けて歩いた。総合大学の図書館だけあって壮大な建物である。佐久間美佳と2人で勉強したのも、将来について話し合ったのもここだった。反保にとっては佐久間美佳の思い出が詰まった場所だった。図書館内のカフェで2人で休憩することにした。佐久間美佳といっしょにデートした場所で、今は野坂陽子とお茶を飲みながら話している。周りからはどんな風に見えるのか気にしながらいたが、大学生のカップルがたくさんいてまったく目立たなかった。
早稲田大学を後にして次に向かったのは宮内庁の佐多課長のところであった。前回もそうだったが、宮内庁は 玄関に皇宮警察が警備していることもあり、ものものしい感じがした。佐多課長は反保と野坂を見て、7月末のことを思い出し、
「佐久間君の事件は不起訴になってしまいましたね。残念な気もしますが、彼女はどんな思いで死んだんでしょうね。僕があのNKHの依頼を彼女に頼まなければこんなことにはならなかったと思うと、今でも残念だし、ご家族に申し訳ないと思っています。僕に今できることは彼女の思いに答えるために明日の発表会でみなさんの発表をサポートすることだと考えています。どうかよろしくお願いします。」と言ってくれた。
当日は上野の国立博物館の平成館の大講堂に約100社、200名近くの記者が集まって、世紀の大発見の記者発表が行われた。100社集めるために国立博物館の館長の名前で各社に招待メールをだした。各社からの反応は大きく、やはり金印だということで世紀の大発見ととらえられたようである。この大講堂は大変広い部屋だが、照明を落とし、正面には大きなスクリーンが用意されていた。スクリーン横には主催者側の席が10席ほど用意されていた。200席用意した椅子はほぼ埋まり、全員が会場入り口で配布された資料に目を通している。資料は反保が作成し、メールで国立博物館に送っておいたものである。
定刻になり、主催者サイドが入場すると、国立博物館が契約している司会の女性アナウンサーが
「皆様、お待たせいたしました。この度、福井県の二本松山古墳で発掘されました『永平寺金印』のマスコミ向けの発表会を行わせていただきます。最初に主催者を代表して国立博物館館長の山内があいさついたします。」
と紹介があり、館長のあいさつがあった後、追加の資料が配られ、いよいよ金印の発見者である反保が紹介された。中央の発表者席に立つと緊張した表情の反保が立っていた。スポットライトが反保を照らし、背景のスクリーンには金印の写真と反保のプロフィールが出ていた。
「福井県立歴史博物館で学芸員をしています反保です。福井県の永平寺町には松岡古墳群という史跡があり、北陸最大級の古墳が連なっています。古くから越前から越後にかけての越国の中心地と言われてきました。その古墳群のなかの最も新しい二本松山古墳から今回、金印を発掘できました。二本松山古墳は5世紀中ごろから末にかけての建設で、金印の制作年はそれよりもだいぶ前ではないかと考えられます。この印の印面には『親那越王』とあり、那は朝鮮半島から中国東北部に存在した高句麗のことです。6世紀の初めには越の国から大和朝廷の大王として男大迹皇子が招聘され継体天皇として即位しています。この男大迹皇子は越の国の大王だったのですが、大伴金村が迎えに来て大和朝廷の王に迎えられたという経歴の持ち主です。15代応神天皇の5代さかのぼる子孫であるとされていますが、5代さかのぼるというのは信じがたい感じがします。古事記や日本書紀は天皇制が確固たるものになった天武天皇の治世で天皇家に都合がよいように書かれている書物ですから、信憑性に欠けるところも多いと思います。そうなると、越の国と大和朝廷の統一にかけてはまだ謎の部分が多く、今回の金印の発見で新たな説が考えられます。高句麗の広開土王の碑には高句麗が大和朝廷と戦ったという事が書かれていますが、金印からわかるように、高句麗は越の国と友好関係にあり、越の国の後ろ盾になったと思われます。以上のことから越国と大和朝廷の統一にかかわる男大迹皇子の大和入りは様々なシナリオが考えられます。今のところ私の仮説では大和朝廷を挟み込む形で高句麗と越国が軍事同盟を結んでいた。その証に高句麗から越国に金印が贈られた。しかし大和朝廷は高句麗の軍事的圧力に対抗するために、越国との同盟関係を結ぼうと男大迹皇子を大和朝廷の王に迎え入れ、両国の合併を成功させたというものです。ですから男大迹皇子は大和からの死者の目の前で金印を埋めたのではないかと考えたのです。そして埋める場所は男大迹皇子が金印を伝授された先代の王の墓でなくてはならなかったのです。今のところはまだ空想のような仮説にすぎませんが、今後の調査活動が待たれます。」
会場の正面には大きなスクリーンが用意され、発掘された金印の写真、印面の拡大写真、5世紀東アジアの勢力地図、男大迹皇子の大和入りの近畿地方の地図など反保の解説にあわせて様々な資料が投影された。これらの資料は反保が福井から持ってきた写真資料である。
反保が大まかな内容を話すと、鑑定にあたった国立博物館の石井学芸員から鑑定の経過と結果について説明があった。
「国立博物館で主任学芸員をしています石井です。今回発掘された『永平寺金印』について鑑定をさせていただきましたので、ご報告させていただきます。私たちは今回の金印の成分分析をすることから始めました。すると、金の成分が純金で古代東アジアで製造された同様の金印とほぼ同じ金の含有率であり、当時の鋳造技術に沿ったものであると断定いたしました。次に私たちが行ったのは印面の文字についてです。印面には『親那越王』とありますが、高句麗時代の東アジアで使われていた漢字の篆書体で書かれていることを確認しています。最後に手持ち部分の龍の造形ですが、これも大変精巧なもので漢が周辺各国に送った金印と同程度の技術ですが、高句麗の国内で作成された同時代の別製品とほぼ同じ傾向がみられました。以上の調査より、国立博物館としては鑑定結果として、この金印が信用できるものであると結論付けます。」と証言していただいた。
最後に中川教授から鑑定結果についての中立的立場からの見解と今回の発見の学術的評価についての話があり、最後にこの鑑定に政治家からの介入が入りそうだったことなどが報告された。日本を代表する歴史学者のお墨付きをいただき、ほっと胸をなでおろしたが、中でも、学術的意義として越国が対岸の高句麗と外交関係にあったことが分かったことはこれまでの日本史学会での学説を覆すものであり、今後の追研究でさらなる検証を期待するという点が今回の発見がこれからの研究の方向性を示すことを示唆していただいた。
また、学術研究に対して政治家の介入があったという話は、マスコミの興味をあつめ、誰なんだという事が話題になった。関口議員サイドもしばらくは干渉できなさそうである。
最後に司会者が「質問はありませんか」と問いかけると一斉に多くの記者たちが手を上げた。
最初に指名された大手新聞社の記者が
「金印に刻印されている那国が高句麗であるとする裏付けは?」と質問した。それに対し、反保が
「高句麗という国は謎が多い国で朝鮮民族なのか満州の女真族なのか中国の漢民族系なのか、まだはっきりしていません。しかし、那とよばれる多数の地縁的政治集団の連合体を形成していたことから、那で高句麗を示すのではないかと考えています。その裏付けとなると今後の研究が解明してくれると思います。」と回答した。また、別の通信社の記者からは
「志賀島で発見された金印(漢倭奴国王印)に出てくる奴国との関係は?」と聞かれた。これには国立博物館の石井主任学芸員が
「志賀島の金印は後漢の光武帝から紀元57年に送られたと後漢書に記されています。時代的にぞれがあります。ですから満州地方の那と日本の奴国には関係がないと考えます。」
と答えた。また、大手テレビ局の記者からは
「親魏倭王の金印と漢倭奴国王の金印は中国の歴史書の中に記録があるので信憑性が高いのはわかるが、今回の金印は中国側の書物には記載はないのか?」と聞かれた。これには、早稲田大学の中川教授が
「高句麗の研究はまだ十分に進んでいません。中国の研究者もまだまだ新たな発見をする途中であります。今後の研究成果に期待したい。しかし、中国の歴史書にしても日本の歴史書も勝者が記した歴史であることは念頭に置かなければなりません。親魏倭王の金印も中国側の歴史書には送ったと書かれていますが、日本ではその存在はまだ確認されていません。信憑性という事であればどちらも眉唾物であることは仕方がないことです。」
と答えてくれた。
しかし、記者発表であり歴史学会の分科会ではないので何とか発表を終えた。記者たちの反応はよく、翌日の新聞や夕方のテレビのニュースが楽しみになった。
夕方のニュースを国立博物館内の事務室で見ることになった。みんなが仕事をしている中、関係者がテレビの前に陣取り、食い入るように画面に集中した。NKHの夕方5時のニュースで早速取り上げられていた。キャスターは
「福井県で発見された金印、古代史を覆すような大きな発見かもしれません。」とコメントすると、ⅤTRが再生され、記者発表の会場が映し出された。テロップで発見者 福井県立歴史博物館反保学芸員と出ていた。VTRの中のコメントでは「親那越王」と刻印された金印であること、那とは高句麗と推定されているということなどが紹介されていた。上々の滑り出しである。6時台の民間放送のニュースでも取り上げられ、明日の新聞でも、その後の週刊誌でも取り上げられそうである。
その日の夜は上野で反省会となった。上野の町はいつ来ても何か暖かさを感じる。かつては東北や上越からの列車の始発駅として、東日本各地の人々にとっての東京での第1歩の風景であり、最近は成田空港からの到着ターミナルとして、外国から来た多くの人が初めて見る東京の景色が上野なのである。駅正面から出て横断歩道を渡ると繁華街がある。国立博物館の石井学芸員の案内で彼の行きつけの居酒屋に上がり込んだ。反省会は中川教授の乾杯の音頭で始まったが、話の中心は反保が金印を発見した時の状況に終始した。
石井学芸員が福井に調査に行った時からずっと気になっていたことを率直に聞いてみた。
「石棺は江戸時代に盗掘されていて中の財宝はなくなっていたのに、後円部ではなく、前方部の中心を発掘したのはなぜなんですか。」
すると反保は
「確かなことはよくわかりません。執念と言えばそれまでですが、野坂君と一緒だったので不思議な力が出たのではないかなと思います。男大迹皇子が越の国を出発するとき、もしかしたら何か大切なものを埋めたとしたら何だろう。どこに埋めるだろう。いろいろ考えていたら野坂さんや佐久間さんが『あなたは特別な力がある。自分の力を信じて』と言っているような気がしたんです。そしてその時立っていた場所が前方部の中心付近だったんです。」
と答えた。野坂陽子や佐久間美佳のことについては林田刑事がそのあと詳しく話した。
「何から話したらいいかわかりませんが、3人は大学の研究室の同級生なんです。事件に巻き込まれて佐久間さんは死んでしまったんですが、その死に疑問を感じた2人は私たち警察と協力して調査をしたんです。すると、3人の先祖はつながったんです。永平寺町は南北朝の戦いの舞台になったんですが、南朝方の尊良親王とその家来たちが逃げ延びたのではないかと言われている島という集落があるんですが、野坂さんの先祖はその島の出身だったんです。また、佐久間美佳さんは枚方の市役所で調べると元は菊田という姓でお父さんが連続殺人犯で服役中だったんです。そして事件の後、阪神淡路大震災がおきてお母さんが亡くなり、彼女は子供のころに佐久間家に養子縁組しているんです。その菊田家を調べると京都に実家があり、その家には家系図があり、さかのぼると南朝方の総大将、新田義貞にたどり着きます。そして、この反保君は永平寺町中島という村の出身ですが、越前に来た南朝方の最後の武将、畑時能、本人かその家来かが九頭竜川を渡った中島という集落で畑という姓を隠すために反保という姓に改名して、後世に伝えようとしたという伝説が残っています。その3人が大きくかかわった事件と今回の金印発見。因縁が大きすぎて何か怖い感じがするんです。」と一気に話した。全員がこの話に聞き耳を立て、今回の金印を3人の因縁抜きには語れないことを感じていた。『あなたは特別な力がある。自分の力を信じて』特別な力とは畑時能の末裔であり、特別な存在だからこそ持っている力なのか。信じろと言う自分の力とは霊の力なのか。オカルトめいた話になってきたが、全員が頭を悩まして反省会は終了した。翌日からの取材攻勢が県立博物館に押し寄せたことは言うまでもない。




