福井県知事からの指示
福井県庁では知事の指令でNKH年末歴史ドラマを誘致するために福井ゆかりのドラマ素材を企画することが命じられ、文化課の反保にその役割が与えられた。反保は全力で福井由来の歴史上の人物を頭に浮かべるが、中でも継体天皇が面白いと知事に報告することにする。
福井県庁は福井城跡に残された内堀の中にそびえる全国でも数少ない権威の象徴のような建物である。同じ内堀の中には福井県警も並び立ち、県民を寄せ付けないような造りになっている。このお城の主は4期目に入った東山知事である。知事として12年が過ぎ、多選の弊害か、徐々に知事の意向を忖度する県庁職員が見られるようになっている。
反保裕司が知事室に呼ばれたのは2021年6月8日の事だった。反保は福井県庁の県教育庁文化課の職員で学芸員でもある。早稲田大学大学院歴史学研究科の卒業生で県庁に入って10年目の35歳。文化課では福井県立博物館の特別展の企画や県内各地での発掘調査の指揮をとったりしている。
文化課のデスクで来年の県立博物館での特別展の予算計画などをしていると、電話で話していた課長が血相を変えて反保に近づいてきた。
「反保君、急いで8階の知事室まで行ってくれ。知事が君をご指名で話があるそうだ。くれぐれも粗相のないように頼むよ。」と言って反保の肩を叩いた。
「知事が僕に何の用なんですかね。知事室は苦手だな。」と言いながら、反保はやりかけていた作業を中断して、廊下へ出た。福井県庁はH型の構造で東西に分かれて細長い建物が2つあり、その2つの建物をつなぐように補助棟があり廊下とエレベーターホールになっている。11階の教育庁のフロアーからエレベーターで8階まで下りると、そこは県庁の心臓部である知事室や副知事室、大きな会議室などがあるつくりになっていた。
エレベーターは音もなく静かに8階に着くとチンとチャイムが鳴って静かにドアが開いた。反保がこのフロアに入るのは10年間県庁にいても新採用研修以来ようやく2度目である。エレベーターを出て右に折れると正面が知事室だった。ドアをノックして中にはいると知事室の前室が秘書室になっていて、数人の秘書が忙しそうに仕事をしている。
「文化課から来ました反保です。知事がお呼びだという事で参りました。」と用件を告げると秘書室長と思われる男性が
「知事が直接電話していた件ですね。どうぞ、入ってください。」と手招きして案内された。
大きな扉をその男性が空けて反保も中に入ると
「知事、文化課の反保君が来ました。」と取り次いでくれた。秘書室長は反保に向かって左手の手のひらを中に向けて、中に入るように促してくれた。反保は新人研修以来はじめて入る知事室に緊張して顔が硬直していた。ドアの中に何歩か入ったところで直立して
「失礼します。文化課からまいりました反保です。お呼びだという事で参りました。」と声を裏返しながら話した。すると机で執務中だった知事が顔を上げて
「反保君ですか。待っていましたよ。反保君は早稲田で歴史研究をやっていたんだよね。さっき人事課から聞きました。そこで頼みがあるんだ。そこに座りなさい。」と言ってソファーに座るように促した。反保は緊張したままソファーの前に立った。江戸時代ならば城主である大名と下級武士が対等にひざを突き合わせて話をするなどという事はあり得ない。反保は座っていいものか迷っていたが、知事が近づいてきて背中をそっと押してくれたのでそのまま席に着いた。知事も対面して座り
「NKHの年末歴史ドラマを知っているかい。10年前くらいに「明治の野望」を3年かけてやっただろ。あれだよ。ある情報筋によると、あのシリーズを数年後にまた公共放送のNKHがやるらしいんだ。「明治の野望」の時の松山の景気はすごかったらしいね。NKHの力はやっぱりすごいんだよ。そこで、君に頼みたいんだが、福井が舞台になるように何か策を建てて欲しいんだ。毎年の朝ドラや大河ドラマの誘致合戦もすごいらしいけど、この年末歴史ドラマも各県とも知事が陣頭指揮に立って激しいらしいよ。私がNKHに行って陳情するときに説得力のある話を持って来て欲しい。わかるね。魅力ある話になって、全国の人たちが福井に行きたくなるような歴史舞台を考えてもらいたいという事だ。それに北陸新幹線の延伸で福井に新幹線が来るのが2024年だからちょうどその頃にあたるんだよ。新幹線延伸と年末歴史ドラマで福井が盛り上がるのが目に浮かばないか。全力を挙げて頑張ってくれ。」と話して知事は立ち上がり、机に戻って執務を継続し始めた。反保は立ち上がり、知事に向けて一礼して知事室を出た。秘書室で秘書の方が
「反保さん、2週間ほどでレポートをお願いします。来月、知事は東京へ出張されますのでその時にNKHに寄る予定を入れています。」と期日指定をされた。
知事室を出てエレベータで11階に上がり、文化課の部屋に戻ると課長に内容を説明した。課長は
「知事自らのご指名だから念入りな準備をして最高の物を提出してください。これから2週間は他の仕事は後回しにして、このレポートに集中してください。」とはっぱをかけられた。反保はおぼろげにどんな内容にしようか考えたが、自分の専門である中世の城下町、朝倉氏の物語や福井藩祖、結城秀康、あとは古代越国の男大迹皇子(のちの継体天皇)はどうかなくらいが浮かんでいた。北陸新幹線の延伸に伴う観光開発の一翼を背負わされたことは、反保の肩に重い荷物となってのしかかってきた。
次回のエピソードは反保の大学の同級生である女性が死体で発見される。いよいよサスペンスのスタートです。ブックマークを入れて通知を受け取りましょう。