11,反保・野坂の反撃
林田刑事から容疑者として捜査を受けた反保と野坂は自分たちの容疑を晴らし友人で会った佐久間美佳を殺した犯人を自分たちで探し出したいと考え、東京へと向かう。東京で佐久間美佳の交流関係をあたり、佐久間美佳が何か大きな力に圧力をかけられていたことを知る。一方林田刑事は防犯カメラの怪しい男の線を探るがなかなか成果が出てこないので焦りが出てくる。事件解決のカギはどこにあるのか。物語は核心へと進んでいく。
防犯カメラの確認を終えた林田は県警本部の捜査1課長に経過を報告した。しかし、怪しい感じはするが事件だと断定するには確証に欠けると言われた。捜査本部を立ち上げて捜査員を総動員するにはもう少し情報が必要という事になり、引き続き林田一人での捜査が継続という事になった。
林田刑事は捜査の状況を説明して協力を得られればという事で、福井県庁の反保と奈良県庁の野坂陽子に電話をして、佐久間が7月12日の早朝に怪しい男と2人で歩いているところが防犯カメラで確認できたことと足羽川にかかる橋のたもとで消息が途切れたことを話した。電話口で反保は
「それじゃ、やっぱり殺人事件の可能性が高くなったじゃないですか。こんな状況なのに県警はまだ捜査本部の立ち上げはないんですか。おかしくないですか。佐久間美佳は僕にとっても野坂陽子にとっても大事な友人です。その佐久間美佳を失って黙っていられません。僕たちは僕たちなりに調べてみますから、林田さんも協力お願いしますよ。」と決意を示した。
その日のうちに反保は野坂陽子に連絡を入れた。2人の情報を合わせてみるためだった。
仕事中の奈良県庁の文化課に電話を入れると野坂がすぐに電話口に出てきた。
「野坂さんですか。反保だけど、福井県警から電話があっただろ。佐久間さんは殺されたんだよ。間違いないと思う。殺されたとなると何か変わったことはなかったかい。」と問いかけると野坂陽子は
「私もさっき林田さんから電話をもらってじっくり考えてみたんだけど、佐久間さんが奈良に来たときちょっとおかしなことを言っていたことを思い出したの。彼女がNKHに意見書を出してドラマの舞台選びのアドバイスをするにあたり、奈良県や福井県が圧力をかけてくることは当然だけど、それ以外にも横やりが入ることがあるとかなんとか言っていたの。」反保はその時、ドキッとした。
「そう言えば福井に来たとき、7月10日だったと思うんだけど吉川寿司と言う店でお酒を飲んでいるときに『政治の介入』とか『継体天皇の研究は戦前はタブーだった』とか『決めようとすると横やりが』とか言っていたことを思い出したよ。彼女はその横やりに悩まされていたんじゃないかな。」
反保の指摘に野坂は
「きっとそうだと思うの。各県から知事やタレントたちが故郷を代表して陳情に来るのは織り込み済みだと思うけど、そのほかの目的で圧力を掛けられると、学問の自由もなくなってしまうし、NKHの表現の自由も侵されることになりそうね。」と同調した。反保は
「野坂さん、休みはとれるかい、2日ほど休みを取って東京へ行かないかい。」
「何か思いついたの?」
「少し調べてみたいことがあるんだよ。」と言って早めの夏休みを7月25日から26日にかけて合わせて取ることを決めた。
7月25日、奈良と福井から出発して名古屋駅新幹線ホームでおちあうことにした。名古屋駅からの新幹線は反保がネット予約しておいた。ホームに到着した反保は野坂陽子を探した。すぐに野坂も現れた。時間通りだった。野坂はいつものような紺のビジネススーツにエンジ色のネクタイで地味な感じだったが、野坂陽子は長年片思いだった反保との東京遠征とあってやや気合を入れた感じがした。スタイルの良さが際立つ黄色いタイトスカートに白いサテンの半そでシャツ、足元は10センチはあるピンヒールをはいている。首にはパールのネックレスがアクセントになっている。バッグはシャネルの気品あるトートバッグを肩から掛けている。
2人は名古屋駅発9:06の新幹線のぞみ92号の8号車に乗り込んだ。東京駅到着予定は10時45分である。名古屋駅ではお茶とお菓子を買い込んで車内で打ち合わせをするつもりでいた。
「反保君、東京ではどこへ行くつもりなの?」
野坂陽子が口火を切った。反保は予定した計画を話し始めた。
「最初は宮内庁の陵墓課の佐多課長を尋ねるつもりだよ。県庁から電話をしてアポはとってあるよ。それがすんだらNKHの制作局、大道プロデューサ、そして警視庁へ行くつもりだよ。東京到着10時45分で宮内庁は午後1時にお願いしているから大丈夫だと思うよ。」と予定を説明すると野坂は
「どんな質問をするか考えておかなくちゃね。」
「それなんだけど、彼女が圧力をかけられていた先を話しているといいんだけどね。僕たちにも話したいけど話せないって感じで、黙っていただろ。」
野坂の方を見ながら反保は不安を隠せない様子を表してしまった。彼女もやや不安になったみたいで野坂の方を見つめながら東京での成果を祈っていた。
お茶を飲みながら買い込んできたスナック菓子を食べていると反保の視線に野坂のスカートから伸びたきれいな足が組みなおされるのが見えた。スカート丈が膝よりも少し上なので、座席に座って足を組むと膝よりも少し上の部分が見えて、反保は目線を切った。つい10日ほど前に同じ同窓生の佐久間美佳を抱き、その彼女を失ったばかりなのに、すぐまた別の女性の美しい脚に息をのんでいる自分に、やや後ろめたさを感じた。しかし、男というのは美しい脚と胸に弱い。35歳の彼女は若くはないが、スタイルが素晴らしく、シルエットがモデルのような体型だ。よく考えると3人しかいなかった同じ研究室の同級生のうち2人の女性が2人とも飛び切りの美人だったことは、奇跡に近いことかもしれない。雑誌を読むようなふりをしながら、時々座面近くの彼女の足を眺めたり、彼女のサテンのブラウスの胸の部分のふくらみを確認したりしているうちに新幹線は品川を過ぎて間もなく東京駅に到着する時間になった。
東京駅近くの丸の内のビジネスホテルにチェックインして、宮内庁に行くまでに食事をしようという事になり外に出ると目の前に丸ビルがある。右には新丸ビルもありどちらにもレストラン街がある。さっそく丸ビルの地下のレストラン街に入ると和食中華洋食なんでもそろっている。反保は野坂に何が良いか聞くと軽くイタリアンが良いというので、パスタ専門店に入った。
時間までゆっくりとパスタとコーヒーを堪能して宮内庁へ向かった。宮内庁へのアポは午後1時に書陵部陵墓課の課長を訪ねることになっていた。宮内庁は敷居の高い役所だが、福井県庁から電話で申し込んであった。桔梗門から入り、宮内庁の通用口から入ったが、玄関は皇宮警察が物々しい警備をしていて、不審者を受け入れない体勢だった。要件を述べると応接室に案内された。
すぐに現れた書陵部陵墓課の佐多課長は佐久間美佳の直属の上司で、宮内庁の所蔵品墳墓一切を取り仕切る部署のトップとして、公務員でありながら学者であった。宮内庁の所蔵品と言えば3種の神器から奈良の正倉院御物、大仙古墳などの古墳群。さらには明治神宮、大正、昭和天皇の墳墓などたくさんの管理物件がある。わずかな職員でこの膨大な資料を管理し、調査にあたるのは並大抵の努力ではないとおもうが、だからこそ手つかずで、何もできないのかもしれない。反保が
「佐久間美佳さんはどういう用件で福井に出張していたんですか。」と聞くと、佐多課長は
「NKHからの依頼だったんです。NKHが2年後の年末歴史ドラマの舞台をどこにするか。いくつかの候補があったんですが、地方の各自治体にとってはその後の観光面で大きな影響のある番組なので、陳情が激しいわけです。NKHとしてはNKHだけで決定するよりも他の機関のお墨付きも欲しいわけです。今回は最終候補として福井県の越国、継体天皇と奈良県、箸墓遺跡、卑弥呼が残ったようです。そこで、宮内庁に2つの候補の最終意見書を求めてきたので、私が佐久間美佳さんに調査をお願いしたわけです。」
各県の県庁はNKHに政治家を使って圧力をかけたりもするらしいので、大変だなとも思ったらしい。
「天皇の問題がからむと、もっとややこしい問題も発生します。天皇家の後継問題は保守勢力にとっては聖域です。万世一系の2600年の歴史を持つ、世界でもまれな系譜であるわけですから、その家系の存続にふれる後醍醐天皇の話や平家の安徳天皇の話、そして継体天皇の話などは取り上げることが難しかったわけです。戦前は継体天皇の研究はタブーだったことは意外と知られていません。最近では女性天皇や女系天皇を認める法改正をしようとする動きがありますが、保守勢力にとっては推古天皇のように女性天皇は歴史上いたとしても、次の天皇へつなぐための短期的なものであり、女系ではなくあくまでも男系のみで続いてきた日本の天皇家の歴史を変えることには難色を示すわけです。これは地方の県庁からの圧力どころではない激しい横やりなのです。」
反保は佐多課長の話に感心しながらも、
「差し支えなければ、宮内庁まで来て意見を述べていった代議士の名前を教えていただけませんか。」
野坂が聞くと、佐多課長は
「民自党保守派の大物で派閥の領袖、関口議員です。」と答えてくれた。佐久間美佳の仕事について大まかなところを聞けたところで、2人は宮内庁を後にすることにした。
宮内庁からその足で2人はNKHを訪問した。東京駅から山手線で原宿駅まで大回りして向かった。東京都心をよく知っている人は地下鉄やほかの路線を使うのかもしれないが、2人は地下に入るのが苦手だった。原宿駅から五輪橋を渡り、左手に代々木第1体育館を見ながら進むとNKHホールとNKH放送センターのビルがそびえたっている。NKH放送センターの正面入り口から入り3Fまで行き、制作局の大道エクゼクティブプロデューサーの部屋を訪ねた。部屋を訪れノックして中に入ると先客がいた。中には背広姿の男性がソファーに座っていた。言われるままに同じソファーに座らせていただいて、話を聞いていると、どうやらどこかの県の県庁の職員のようだ。やはり、年末歴史ドラマに取り上げてほしいという陳情のようである。反保と野坂が入ってきたので話を切り上げているが、水戸光圀と言っていたので茨城県のようである。
しばらく待っているとその県庁職員は帰っていったのでようやく話ができた。福井を出るときにNKH福井放送局を通じて話は通しておいたのだが、自己紹介をしてから要件に入った。広い廊下の両側に多くの部屋があり、さすがに大河ドラマを担当するエグゼクティブプロデューサーは個室に陣取っていた。渋谷から高台に上がったところに立つNKHの放送センタービルなので明るい日差しが部屋の中まで降り注いでいた。
佐久間美佳との仕事の関係については宮内庁の佐多課長に聞いた内容とほぼ同じだったが、かなり悩んでいたらしいということであった。悩んでいた件はNKHにも横やりが入っていた件であった。
「民自党の派閥領袖の関口康成代議士から天皇家の系統に関するような内容の放送をすることは、NKHの局としての性格上好ましくないという意見があったので困っている。」ということだった。関口代議士は民自党の中でも保守本流で、男系天皇を崩すべきではないという主張を繰り返している団体の代表者である。予想以上の成果があった訪問だったが、予定の時間が過ぎたので、挨拶をして部屋を出た。NKHを後にした2人は、原宿駅に向かって歩きながら感想を話し合った。反保は
「関口議員に会ってみる必要がありそうだね。」と探偵風に語った。野坂陽子は
「そう簡単に会ってもらえる相手ではないですよ。」と言った。しかし、反保は
「県庁職員をなめてはいけませんよ。国会議員にだってコネはあります」と言って意味ありげに笑った。ホテルに戻り、さっそく電話をかけたのは福井県庁の秘書課長だった。
秘書課長を通じて民自党の福井県選出の麦多議員の秘書に連絡を取ってもらった。
10分もかからずに秘書課長から連絡があり、明日の10時、議員会館の関口議員の部屋で会ってもらえることになった。明日は国会議員会館から最終的には警視庁で話を聞いてもらうことになった。
明日の予定も決まり、夜は銀座に出ようという事になった。2人とも学生時代は東京にいたが、行きつけの店もないし困った。ネット検索で評判の良い店を選ぶことにした。老舗洋食店の煉瓦亭 有名なお店である。日本の洋食の元祖的存在である。一度は聞いたことのある店名で、映画にもよく出てくる。ネット検索画面から予約を入れ、店の場所までの道のりを見て店の前まで行きついた。重厚で古い店の構えに反保はやや気持ちが引けていたが
「日本中の洋食店の元祖みたいなお店なんですね。」と野坂が言って気持ちを新たにして突進していった。
中に入ると予約した反保であることを述べると、奥の静かな席に案内された。メニューを見るとなかなかの値段である。ただ、せっかく来たのでネットのある情報をもとに、この店の看板メニューを頼もうという事になりポークカツレツと元祖オムレツと赤ワインをグラスで注文した。洋食は日本で発達した洋風料理である。日本人の舌に合わせて進化した独特の料理だが、そのおいしさはさすが老舗だった。食後に水割りを注文した反保とカクテルを注文した野坂は、ほろ酔い気分で話しているうちに、若者の晩婚化、非婚化、結婚できないんじゃないんです、しないんです、というような話になり、人生観を語っていた。
「わたし、結婚することが幸せだと考えたことはないの。結婚しなくても好きなことして暮らせていければいいかなと思っているわ。でも、人間って寂しがる生き物だなって感じることもあるわ。日曜の夕方、サザエさんが始まる頃になると妙に寂しさ感じるのよね。」
反保はなんとなくわかる感じもした。世の中では日曜の午後は家族でのお出かけを終え、夕食を囲んでサザエさんや鉄腕ダッシュからのイッテQの時間である。独身者は一人で夕食を済ませ、翌日からの仕事に憂鬱な感じを覚え、できることなら仕事に行きたくないと考えてしまう時間帯である。
「生物学的に言うと、人間も生き物だから、人生の目的は子孫を残すことかもしれない。自分のDNAを残すことで安心して死ねるかもしれないね。」
反保は自分の言葉を咄嗟に反省した。自分はともかく35歳の独身女性の前で言う言葉ではなかったかもしれない。
「そうかもしれないわね。でもなかなか出会いがなくて。昔はおせっかいなおばあさんがお見合いをまとめることを生業にしていて、いやでも結婚させられていたらしいけど、どうしてそういう制度がなくなってしまったのかしら。」
「人権を大切にする社会では個人の考えを大切にするようになってきたので、お見合いを拒否する女性が増えたこと、また離婚する人の割合が増えたことでお見合いばあさんたちが嫌になってしまったんだろうね。」
かなり酔ってしまった野坂陽子は
「お見合い制度が残っているうちに生まれてきたらよかったかも。反保君、子供を作るお手伝いしてくれませんか。」
突拍子もない言葉に反保は吹き出してしまい、
「ちょっと酔いが回ったかな。そろそろ帰りましょう」といって店を後にした。
ホテルに戻ると、ドア前まで送り、
「それじゃ、また明日。」といって送り届けた。野坂陽子はまだ足元もふらついていてだいぶ酔っていた。部屋の中に彼女を入れようとすると彼女が反保の手を握って
「少し部屋で話さない。入りなさいよ。」と言って反保を中に連れ込んだ。部屋に入ると彼女はベッドに倒れこみ、着替えもしないまま布団の中に入ってしまった。反保が仕方なく部屋を出ようとすると
「こっちに来て。私にこんなこと言わせないで。お願いだから。」と言って背中を向けている。反保は新幹線の中で彼女の脚や胸のふくらみを見ていたことを思い出し、後ろめたさもあったが、ネクタイを外し上着とワイシャツを脱いでベッドに入った。
翌日、二人は9時集合でホテルのカフェで朝食をとり、昨夜のことが何事もなかったようにホテルを後にした。反保は野坂が昨日のことをどう思っているかが気になったが、自分たちはもう35歳である。いい大人だと思い、今日の仕事に集中した。
ホテルから歩いて東京駅に向かい、そこから地下鉄丸ノ内線に乗り、3駅で国会議事堂前駅に着いた。国会議事堂裏の衆議院第一議員会館の関口議員の部屋を訪ねた。議員会館受付で関口議員の部屋に連絡してもらうと、すぐに秘書が受付まで迎えに来てくれた。関口議員は東京八区選出の衆議院議員で当選八回、民自党の重鎮で、派閥の領袖である。大臣経験もあり、気軽に会える人物ではない。関口事務所は多くの来訪者がやってくる多忙な部屋だが、二つある応接室の片方に案内された。
「関口衆議院議員 第二公設秘書 松村啓介」
宮内庁とNKHで聞いた話をしながら、反保が
「NKHでお聞きしたのですが、天皇の男系男子継承に強い意欲をお持ちだそうですね。NKHの大河ドラマの設定でも天皇の話題について不適切だと意見を述べられたということをお聞きしたのですが。」と聞いてみると
「関口先生は民自党保守派の主流であり、多くの同じ意見を持った議員集団の代表です。みんなの意見を代表してNKHさんに話をしたということです。議員として圧力をかけたというようなものではありません。NKHの年末歴史ドラマとなると世論に与える影響は計り知れないものがあります。天皇家の後継問題にかかわるような内容を取り上げることは控えるべきではないかと意見しただけです。保守派の議員として政治活動の一環なので特に問題はないと考えています。」というような内容であった。野坂陽子は
「年末歴史ドラマの題材決定に際し、NKHから意見を求められていた宮内庁の佐久間美佳さんを関口議員はたずねられて、ご自分のお考えを述べられたそうですが、彼女が先日殺されたことはご存じですか。」と本題に触れた。松村秘書は
「宮内庁をたずねて佐久間さんとお話しさせていただいたのは間違いありません。関口議員はご自分のお考えを述べたのであり、決して圧力をかけたのではありません。まして、彼女が殺されたことは当事務所とは何のかかわりもございません。どうかお引き取りください。」と関係を否定した。これ以上話してもお互いの主張に歩み寄りはなさそうなので諦めて帰ることにした。
議員会館を出た二人はやり切れない思いでうなだれて内閣総理大臣官邸前を歩いていた。地下鉄に乗ってもいいのだが、野坂陽子が
「こんなところ、滅多に来ない場所なのでいろいろな建物を見てみたいから桜田門まで歩いてみませんか。」と提案してきた。それもいいねということであえて歩きを選んだ。総理大臣官邸前は特に警備の警察官が多く、携帯で写真を撮ろうとすると警察官が注意しに来た。もう少し歩くと有名な警視庁の建物も見えた。このあたりから国の官庁街、霞が関である。
桜田門に一番近い建物が警視庁である。福井を出る前に林田刑事を通じて警視庁の捜査1課の課長に会わせていただく約束を取りつけていた。警視庁の約束は11時30分である。警視庁の正面から入り受付で捜査第1課課長の森内大介氏にアポを取っていることを告げると受付の女性警察官に5階まで上がるように言われた。
エレベーターで5階まで上がると捜査1課のフロアーになっていて多くの捜査員たちの座る席があったが、課長は奥の部屋のようだ。部屋の扉をノックすると「どうぞ」という声が聞こえた。2人はドアを開けて中に入ると眼鏡をかけたインテリ風の男性が座っていた。刑事ドラマの刑事課の課長は柔道が得意そうな強面の猛者をイメージしがちだが、ここは警視庁であり所轄の刑事課ではない。おそらくは東京大学出身のキャリア官僚だろう。現場に出てピストルを撃つというよりはデスクワークで刑事たちの捜査の報告を待つ方が得意なのだろう。中に入るとソファーに座るように手招きされた。簡単な挨拶を済ませると
「福井で宮内庁の佐久間美佳と言う女性が謎の死を遂げたことを知っていますか。」と問いかけた。それだけではわからないという事だったのでNKHの年末歴史ドラマの話や九頭竜川の河口で発見されたこと、防犯カメラに謎の人物が映っていたこと、東京まで来て調べてみると民自党の関口議員が保守勢力の代表として、継体天皇を取り上げる時代劇に強硬に反対して圧力をかけていたことなどを話した。捜査一課長の森内さんは
「大変興味深い話ですね。殺人事件として立証するには証拠が少なすぎて難しいかもしれません。しかし、保守派の大物が関わっているとなると警視庁を上げて取り組まないと相手は大物すぎますね。こちらとしても殺されたのは東京の宮内庁の人だし、被疑者も東京の国会議員なわけですから知らん顔もできません。こちらとしても少人数ではありますが、独自に捜査を行い、福井県警と連携して事実を解明したいと思います。」と言ってくださった。
警視庁を出た2人は有楽町駅に向かって歩き出した。
「桜田門外の変はこのあたりですよね。もう少し行くと文部科学省なんかもあのあたりよね。」と野坂陽子が指さして言うと
「このあたりは2.26事件や5.15事件の時には現場になったし、戦争終結の前日、8月14日にも軍人たちが事件を画策した現場だよ。多くの歴史的事件が発生したすごいところだね。その先の日比谷公園は三国干渉に反対した民衆が日比谷焼き討ち事件を起こした場所でもあるし、日米安保反対運動の時に何回も集会が行われた場所だね。」と反保も感慨深げに語った。
有楽町駅まで歩くと繁華街が広がっていた。お昼を過ぎておなかがすいたので、ビルの地下でおそばを食べた。2人で冷たいそばを注文した。
「関口議員秘書の松村さんの話、なんか胡散臭くなかった?」
そばを待つ間に野坂陽子は反保に問いかけた。反保は
「話が天皇家の跡継ぎ問題に発展してしまったね。民自党の保守系議員たちだから靖国神社の参拝問題なども関わってくるし、中国や韓国との外交問題も関わってくるので、話がややこしくなってくるよ。」
話しているうちにお蕎麦が来た。福井もお蕎麦は有名でおろしそばは福井を代表する料理である。福井県人は本当におろしそばが好きである。それぞれの町に2,3店舗は有名店がある。反保は休みの日に勝山や大野、武生の蕎麦屋の味比べをしてきた。自分でも年末にはそばを打ち、家族で楽しんできた。そんな反保が出てきた東京のそばをじっくりと眺めている。上品な蕎麦である。白く美しい蕎麦で、福井のごつごつした感じの田舎風とは一線を画している。福井では二八の割合の蕎麦が主流だが、この蕎麦は五割くらいの蕎麦かもしれない。蕎麦粉の割合は少ないが、のど越しはさらさらした感じである。太さは奥越のそばに似た細めの麺で、全体的な印象は都会派という感じである。しかし、好きかどうかというとやはり福井のおろしそばの方が好きである。
福井と東京、同じ蕎麦でもかなり違いがある。NKHの年末歴史ドラマに対する対応も福井と東京では大きな違いがありそうである。
東京での調査活動を終えた反保と野坂は事件解決のヒントを手に入れて帰ってくる。事件は大きく展開していく。佐久間を殺した犯人は誰なのか。そして残された反保と野坂の恋はどうなるのか。