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クナシルへ!

 シベリア鉄道の旅は、野口にとってあまり愉快なものではなかった。サーシャからは四六時中監視され、相席の老夫婦からはたびたび話しかけられる。

 ブリヤート語を話す必要はなかったが、イルクーツク出身のバイール・ドルジェフとして振舞わなければならない。

 故郷の暮らしぶりを問われた時は、僅かな知識と「想像力」で答える。サーシャとはヴォロネジで知り合った友人ということになっている。

 老夫婦が二段ベッドに寝静まったとき、サーシャとの小声の打ち合わせが始まる。

「その物騒な連中は信用できるのか?」

「皆ウクライナ人の元兵士よ。この任務を命がけでやり遂げるわ」

 その連中とは、ウラジオストクで合流する50名の反政府過激派のことだ。サーシャによると、彼らはロシア全域に潜伏し、幾多の危険を潜り抜けて来た強者らしい。

 ウラジオストク駅に到着すると、迎えの車が待っていた。目の前の港に旅客ターミナルがあるが、フェリーの優雅な船旅ではない。

 運転する男が、アンナ配下の過激派一味であることは明らかだった。

「待ちくたびれたぞ。こちらは武器弾薬の積込もとっくに終えている」

 不機嫌にハンドルを握る男に、サーシャは窘めるように言った。

「あまり飛ばし過ぎないで、尾行に注意して」

 サーシャは、野口にこの体格の良い、無精ひげの男を紹介した。

「隊長のバートフよ。短気な人だから注意して」

 野口が何か言う前に、バートフが上機嫌に話しかけた。

「やあ、ドルジェフ!日本人らしいが、今後そう呼ぶよ。あんたご指定の狙撃銃もあるから心配するな」

 町はずれの漁港に停泊する、200トンのトロール船の前で車は止まった。

「遅いよ!早く乗って!」

 ヘルメットを被った作業服の女に急き立てられ、三人はタラップを駆け上がった。デッキへ上がると、開いたハッチから漁具倉庫へ駆け降りる。

 銃器庫と化したその空間には、漁民に扮した男女が自動小銃を念入りにチェックしている。隣の機関室から響くエンジン音と振動で、既に船は動き始めていることが分かる。

「臨検を受ければ一発でアウトだな」

 日本語で呟く野口の心配をよそに、バートフはドラム缶からいくつものロッドケースを引っ張り出し、ラベルを確かめている。目当てのケースを見つけると、野口の前でそれを開いて見せた。

「SV-98M、ボルトアクション式狙撃銃だ。これでいいのか?」

 野口は別梱包の光学スコープ、弾倉、銃床を受取り、自分で組立てた。弾薬ケースの7.62mm銃弾をテーブルに並べ、検査するように手に取って確かめている。

「有難う、バートフ。問題ない」

「ロシア製だぞ。ウクライナで使っていたのか?」

「一時的にね。戦利品の中でこれが使い慣れている」

 バートフは首を振って、立てかけてある別のライフル銃を手に取った。

「こいつはどうだ?DXL-5、12.7mm弾で射程は七千メートルだ。桁違いの威力だろ?」

「ターゲットは一人の人間なんでね。装甲車を仕留める訳じゃない」

 それを聞いて、バートフとサーシャは顔を見合せた。

「国防大臣は予定通り来るんだな?」

 バートフの問いに、サーシャは頷いた。

「この男は、そいつを殺す気満々のようだが」

「その為に、この人はここに来たのよ」

 バートフは、野口に向って首を傾げた。

「同志ドルジェフ、お前さんが無事仕事をやり遂げる為に、俺たちは協力する。その引き換えに、あんたはアンナと取引きしたはずだ。忘れちゃいまいな?」

 野口は頷いた。

「無論だ。俺も約束通り、あんたたちの仕事には何でも協力する」

 バートフは満足そうに頷き、狙撃銃DXL-5を野口に差出した。

「では、こいつを使いこなせるよう、準備してくれ。必ず必要になる」

 

 最初の数日、トロール船の航海は信じられない程、順調かにみえた。宗谷海峡へ達するまでは・・・。

「ヘリが接近中!デッキにいる者は船内へ!」

 バートフの指示で、船上にいた者は全員身を隠した。ヘリは低空飛行でぐんぐん接近してくる。

「Ka27、ロシア海軍のヘリだ!」

 双眼鏡を覗く、バートフが叫んだ。ヘリはトロール船上空を旋回している。

 バートフがブリッジへ駆け上がると、衛星通信装置の前にサーシャがいた。

「アンナに位置を知らせたのか?」

「ええ、ロシア軍に傍受されることはないわ」

 バートフは、上空にとどまるヘリを見上げた。このちっぽけな漁船に、多大な関心を寄せている事は確かだ。

「問題はアンナがその情報を発信したかどうかだ。日本側へだと、ロシア軍も傍受する」

「アンナはそんなヘマはしないわ」

 やがてヘリは飛び去った。しばらくは何事も起こらなかったが、ヘリが偶然やってきた訳ではないことが判明する。

「くそ!警備艇だ!あのヘリが通報しやがった」

 水平線から顔を出したのは、800トン級の国境警備艦だ。30ノットのスピードで真っすぐ向かってくる・・・足の遅いトロール船など、たちまち追いつかれてしまう。

 青ざめた操舵員が、バートフに言った

「停船命令を発しています!」

「無視しろ!全速前進だ!」

 バートフはブリッジを飛び出し、デッキのハッチに飛び込んだ。そして野口を見つけると、DXL-5狙撃銃を彼に押し付けた。

「こいつを持って、上にあがるんだ!」

 野口がデッキに顔を出すと、周囲の海面に水柱が上がっている。

「威嚇射撃だ。どちらにせよ、捕まれば俺たちは終わりだ」

 バートフは、追ってくるロシア艦艇を指さした。

「艦橋を狙え。脅かしてビビらせろ」

 野口は唖然とした。

「本気で言っているのか?奴らを怒らせるだけだ」

 いつの間にか、船上に銃を持った男女が集まっている。

「停船しちまいな!奴らの船に飛び乗って皆殺しだ!」

 威勢のいい女戦士に、皆は歓声を上げる。

「海賊じゃあるまいし、飛び乗る前に大砲で沈められるだけだ」

 バートフは窘めたが、絶望的な状況であることは明らかだった。野口は首を振った・・・。

 何ともお粗末じゃないか・・・こいつらは全員死ぬつもりだ。討ち死に付き合うのはともかく、死に場所が海の上とは・・・。

「右前方に軍艦!でかいぞ・・・これじゃ挟み撃ちだ」

 誰かが叫んだ・・・確かにもう一隻が、突如として姿を現している。

 野口はバートフに尋ねた。

「今度はあいつをこの狙撃銃で撃つのか?」

 バートフはその場に座り込んだ。

「同志ドルジェフ・・・いや、スナイパー野口。伝説の狙撃手と共に戦えて光栄だ」

 野口は預かった狙撃銃をバートフに手渡した。

「俺は使い慣れた銃の方がいい・・ひとつ言わせてもらえれば、最初のヘリはその銃で撃ち落とせたかもしれない。だが船は無理だ・・・」

 バートフは首を振って笑った。

 その時、ブリッジで新たな事実が判明することになる。操舵員は、軍艦どうしの無線通信を耳にしていた。

「貴艦の、我が領海内における発砲行為により、無害通航権は適用されない。国際法に準じて停戦を要求する・・・」

 それはロシア艦艇に対して発せられたものだった。

 トロール船の戦士たちは、五千トン級の軍艦とすれ違う様を呆然と眺めている・・・野口は、ここで護衛艦「しらぬい」を初めて目にしたことになる。

 ロシア軍の警備艦は停船に応じることなく、追跡を諦めて反転した。「しらぬい」はその後を追った。

 いずれにせよ、厄介者は日本の軍艦が追っ払ってくれた。立ち上がるバートフが、命じることはひとつしかない。

「さあ、今のうちにずらかろうぜ!行先はクナシルだ!」


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