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戦略的同盟の密約

 勝負ごとにおいて、相手の一手先を読めるかどうかが勝敗の分かれ目になる。将棋やチェスに代表されるマインドスポーツは、昔から士官学校で人気の娯楽のひとつだ。戦略的思考のトレーニングにもなる。

 将棋は中西陸将補の得意分野で、仲間内では負け知らずだ。しかし今日の相手は勝手が違っていた。

 その相手にとって、将棋は異国の複雑なゲームに違いないが、彼はルールが異なる図上演習かのように、戦略的思考を最大限発揮している。

「チェスの起源はインド、将棋は中国です。チェスは西洋を中心に世界中に広まり、将棋はほぼ日本で発展した・・・日本独自の文化は、将棋を通じて理解できます。チェスは戦略であり、将棋は戦術です・・・」

 流暢な日本語を話しながら、このアメリカ人は駒を進め、攻勢に出ている。中西は首をふりながら防戦に努めた。

「そのお喋りは、私の集中力を弱める戦術かな?今のところ、その効果は効いている・・・私は劣勢になったようだ」

 中西のけん制で、おとなしくなる男ではない。ハリー・ターナーは駆け引きに長けたCIA局員だった。

「いえ、あなたの集中力は、全く途切れていません。私がミスするのを待ち、チャンスを窺っている」

 将棋の対局に目を配りながら、彼らは共通のテーマについて論じあった。

「ウクライナ戦争は、我々の望み通り持続します。最も恐れているのは第三国の仲介による停戦です・・・今のところ、うまく阻止してはいますが」

「そちらは君のボスに任せる。私が知りたいのは、北方二島の守備戦力だ・・・工作員を潜入させるのは容易でない」

 中西は、ロシア軍に関する情報を、ほとんどターナーから入手していた。

「三千人収容の兵舎は、今はがら空き状態です。兵力の実態はそんなもので、交代要員派遣の中止でさらに減少します。ウクライナへ引き抜かれる車両に弾薬、誘導兵器、そして訓練された兵士・・・ロシアにとって利用可能な戦力を眠らせておくなど我慢ならないのです」

「そう、我々など全く眼中にないらしい。それでいい・・・」

 ターナーはくぎを刺すことを忘れなかった。

「我が国は、あなた方の北方領土返還の主張を支持していますが、平和交渉前提においてです」

「公式にはね。君は違うと思っている」

「しかし、戦略的にそれほど価値のない島です。おそらくあなたにとっても」

「それは問題じゃない。重要なのは国民世論だ・・・戦争アレルギーの国民感情は劇的に変化する・・・この島はその象徴になる」

「私は世論が二分されると読んでいます」

 ターナーの鋭い一手が、中西をうならせた。

「どちらの読みが優っているか、この対局が示してくれるでしょう・・・今のところ、私が優勢のようです」

 型にはまらない、ターナーの手はなかなか読みづらい・・・中西は守りに専念している。

「我が国の国民性だ・・・君は理解していると思っていたが」

「従順であり、犠牲を受け入れ、協調性を重んじる・・・ひとつの方向へ向かえば無敵かもしれません。その点はロシアやウクライナも、ある意味同じです。ロシアはこの戦争で20万人以上の死者を出していますが、過去の独ソ戦でソ連側が失った命は3千万以上です・・・ロシアは容易に屈服しないでしょう」

「戦死者を勝敗の要素に含める、君達の価値観は改めた方がいい。君は将棋で学んだはずだ・・・この意味が分かるかね?」

 ターナーは、盤上の駒を眺めて答えた。

「持ち駒をいくら失おうと、勝敗に関係ない。王だけを詰めれば勝ち・・・そんなところですか?」

 中西は、納得したように頷いた。

「その通り。それはロシア側に、明快に当てはまる。しかし、日本には当てはまらない・・・そこが面白いところだ」

 中西は王を差出すように、前へ進めた。

「ロシア大統領の暗殺は、国家の敗北に等しい。では日本の総理大臣の場合は?ほとんど変化はない・・・彼は看板にすぎず、本当の王は存在しないか、隠れているかのどちらかだ」

「民主主義を否定しているようですが・・・」

「それは国家の在り方の問題だ。国民から選ばれた指導者だって?強い国家にとって、民主主義は革命から国を守るための戦略にすぎない」

 ターナーは首を振って否定した。

「我が国の民主主義は違います。不正も何でもありの、ロシア大統領選挙などと一緒にしないで頂きたい」

「そうかな?安全保障の世界戦略は?全てを決めるのは軍や君たちだ」

「それは過去のものです。その為に多くの自国民を犠牲にし、我々はその座を失いました。もはや我々に、大統領までコントロール出来るほどの力はありません。我が国はアメリカ国民の血を流さずに国益を追求し、血の代償は他国に肩代わりしてもらうことにしました・・・あなたと組むのは、その方針に沿うものです。そして共通の利益を得る正しい戦略と私は判断した・・・さて、本題に移りますか?」

 この無人のオフィスは、ターナーが時おり会合に使用するだけで、ほとんど使われることがない。中西が尋ねるのは三度目で、今は計画の核心を調整する段階だった。

「決行の際、在日米軍は動かないと思っていいな?特に海兵隊のような地上部隊だ」

「事が起これば、まず私に情報分析を指示してくるでしょう。介入はあり得ませんが、長引くと保証はできません。あなた方が劣勢に立たされたときが問題です」

「市川の本体が合流すれば、全てが終わる・・・」

「彼の拠点は北海道でしょう?東京まで時間がかかるのでは?」

「装甲旅団が高速道路を通って20時間で到着する」

「妨害に回る部隊は?」

「他の部隊は動けないようにする。当然、渋滞を避けるため、道路も封鎖させる」

 ターナーは頷き、第二のプランへ話しが移った。

「同時に北方作戦が発動される?」

「司令システムの制圧期間に、全てを終わらせなくてはならない」

「北方二島への上陸作戦の規模は?」

「君の情報をもとに決めるつもりだ。決行は工作員がゴーサインを出した時になる」

「先ほど申し上げた通りです。戦車を使うなら、大隊規模で十分制圧できるでしょう・・・問題はその後です」

「ロシア海軍と空軍の反撃なら、防ぐ手立てはある。制圧後、一週間が勝負だ。日本固有の領土を取り戻し、ロシアに放棄させねばならない」

「その作戦の詳細はまだ知りませんが・・・ロシア国防大臣の現地視察と日程が重なるようですね・・・彼らを拘束し、交渉材料にするおつもりで?」

「それだけでは交渉にならないし、我々が国際社会から無法者扱いされるだけだ」

 ターナーは、今度は二度、安心したように頷いた

「それだけ聞けば十分です。我々がその作戦に関わることはできませんが・・・成功を期待しています」

 ターナーの頷きのひとつは、将棋盤上の変化を理解したことにあった。ターナーはいつの間にか劣勢に立たされていることに気付いた。

「立場が逆転したようです。銀を動かしたのは誤りでしたか?」

「分岐点に関する質問かね?それならもっと前にあった」

「RHSの教えですか?」

 中西が主導するRHSプロジェクトを、ターナーも耳にしていた。

「REPAIR HISTORY SEARCH・・・開発するシステムの主旨に合わない名称ですが」

「隠語というやつだ。成行きの未来に点在する分岐点は、過去の繋がりから予測することができる。歴史は過去のものではなく、決まっている未来の歴史を修復するという、逆説の意味だ」

 ターナーは、頭の中を整理するかのように黙り込んだ。

「失礼・・・今のは正しい日本語とは言えない」

「いえ、我々もおそらく同じようなものがありますから・・・戦略システムはあらゆるシミュレーションから我々に最良の選択を示してくれる・・・生成AIの台頭は、敵の戦略を予測するシミュレーションに劇的な変化をもたらした・・・おそらくRHSは歴史の影響度を重視した・・・いわゆる過去に学ぶ精神というやつでしょう」

「歴史は繰り返すというやつだ。環境が変わっても、人間の思考パターンは変わらない・・・開戦初期、ロシアがウクライナ侵攻に頓挫した理由を、CIAはどう評価した?」

「ウクライナ軍がロシア軍の作戦を予測し、ほぼ完全な迎撃態勢を整えていたからです。無論、我々の情報分析をウクライナ軍と共有したことが大きい・・・しかし、彼らがここまで頑強に抵抗するとは、正直予想外でした」

「同じ東スラブ民族どうしの遺恨だ。ウクライナは1930年以降の15年間でふたつの大事件があり、少なくとも千二百万以上の死者をだしている。実に人口の40パーセント以上だ。ロシア人に対する感情は、ウクライナ人に幾世代にもわたって引き継がれてきた。この度の侵攻でロシアが変わっていないことを見せつけた・・・民間人に対する無差別殺戮で・・・ウクライナに過去を思い出させ、結束させたのが最大の過ちだ。独ソ戦でヒトラーの焦土戦術がソ連の民衆を結足させたように、ロシアは同じ過ちを犯した」

 ターナーが口を挟まなかったのは、将棋の勝負がほぼついてしまった為だ。彼は両手を上げて投了の意志を示した。


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