革命手引きのRHS
戦略情報処理システム(C4I)とは、軍事組織を効率的に運用するネットワーク化されたシステムであり、防衛省もC4I2として導入している。その意味するところは、指揮・統制・通信・コンピュータ・情報・相互運用性である。
最も重要なことは、最高指揮官の意思決定を支援すべき役割である。例えば、脅威の対象国に軍事行動が疑われる場合、その意図を分析し、速やかに対抗策を講じねば、その機会喪失のダメージは計り知れない。些細な失策が致命的な敗北を招く・・・戦史はその記録で溢れている。
あるプロジェクトが、C4I2の支援システム開発を目的としてスタートした。それを主導するメンバーに中西陸将補が名を連ねた時、RHSと呼ばれるアルゴリズム構築の方針が密かに決定された。その核心は「史実」なる要素から、AIによる思考の再現性を極めることにある。生成AIは非論理的な人間の思考、非合理的な集団心理まで再現できる。
それはひとつの判断が何をもたらすか、その後どう展開して何の結果を生むのか、複雑な無数のシミュレーションに欠かせない要素だった。
敗北の歴史を分析する時、「もしあの時ああしていれば」といった分岐点をいくつも見い出すことが出来る。後になってどうとでも言える過ちが、現在進行形で同じように繰り返えされていることに気付かない。問題は、「ああすれば勝てた」なるいくつもの結果論の危険性を理解し、バイアスを排除した要素から体系的な実証ができるかどうかだ。
ロシアの国益を考えれば、初めからウクライナへの侵攻など考えるべきではなかった。たとえその前提に合理性があっても、RHSは実現不可能として無視する。ベースとして、人間性の大部分を占める、非合理性がそれを許さないからだ。
故に争いの必然性を前提に、争いの中で合理性を追求するしかない。人類は戦争による犠牲と敗北の経験で、平和の尊さを一時的に理解する。しかし、それに満足することはない。
戦争は人類の進化に不可欠の事業である・・・史実からRHSはその原則に立ち、ユーザーの利害に関わる機会と、戦略的価値判断を示す。
その戦略思考の有効性を確かめる為、中西はRHSによる戦史の評価を試みる。現存する世界中のあらゆる記録から、有効性のある要素を抽出する。無作為ではなく必然という概念の中で・・・無名の一市民が歴史的指導者になる過程は、環境条件と人格形成、能力・人望とその特性が、社会情勢の要求に合致した、必然という論理となる。
例えば、アドルフ・ヒトラーという指導者の誕生を、基点に戻して論理的に再現できれば、シミュレーション機能としてほぼ確立されたといえる。
「第二次世界大戦において、日本の敗北を決定づけた分岐点は?」
このテーマは、RHSプロジェクトに費やす膨大な予算と時間に批判的な、防衛省幹部たちから発せられた。
「真珠湾攻撃の際、第二次攻撃を敢行していれば?」
これは歴史家たちがよく口にすることで、アメリカを徹底的に叩く機会を放棄したとみなされている。老朽戦艦群の撃沈に満足し、貴重な空母や燃料タンク群を破壊できなかったという、重大な機会喪失である。
第二次攻撃を敢行すれば、米軍の反抗に必要な燃料タンク群を焼き払い、直後に入港した空母エンタープライズを撃破できた・・・この仮説をどう評価するか?
RHSの評価が大型スクリーンへ、関連データと共に示される・・・。
戦術的な視点において、その指摘には合理性がある。しかし戦略的視点において、「燃え上がるアメリカの世論」という変数を無視する、致命的な誤りが見逃されている。
中立的思考が根強かったアメリカ人たちはこの事件で一気に心変わりし、眠っていた物的・人的資源が戦争へ投入され、反抗の原動力になった。南雲が踏みとどまって真珠湾を徹底的に破壊するにせよ、彼らの目指したアメリカの戦意喪失は起こり得ず、全くの逆効果になる。まさに戦術的成功と戦略的失敗の両立を示す好例である
RHSはさらにその結末のシミュレーションを示した・・・。
第二次攻撃により、米軍の反抗作戦は三か月遅延する。それは昭和20年11月が終戦になる事を意味する。
樺太及び千島列島を手にしたソ連軍は、昭和20年9月、計画していた北海道侵攻作戦を実行に移す。戦争は継続中であり、アメリカがソ連に口をはさむ余地はない。
マンハッタン計画に遅延は無く、3発目の原爆が完成し、11月に投下される。広島、長崎そして小倉・・・。
「もういい、戦術的成功が、必ずしも国益に寄与しない事は分かった・・・」
ある幹部はうんざりしたように口をはさんだ
「それでRHSの示した分岐点とは?まさか盧溝橋事件まで遡れとでも?」
「その二年後のノモンハン事件です。世界の歴史に流れを与えた、最大の分岐点です」
中西は、RHSの導いた結論通りに答えた。新システムを評価する重要なプレゼンの場は、その一言で懐疑的な空気に包まれた。
ノモンハン事件とは、日ソ国境紛争における、日本陸軍の大敗北の歴史だ。盧溝橋事件に始まる日中戦争勃発から二年後、日本の傀儡国家である満州国とソ連の間で始まり、全面戦争に突入する寸前、停戦が成立する。
「ノモンハン事件といえば、ソ連軍に徹底的に叩きのめされた負け戦だ。満州を守り、停戦にこぎ着けたのはむしろ外交的勝利と思うが・・・いずれにせよ、局地的な紛争にすぎない」
他の幹部も直ちに同調する。
「そう、多くの将兵を失っただけの、無意味な争いだった。無能な指揮官が更迭されただけで、歴史的分岐点とは到底思えない」
スクリーンに示される結果もそれを裏付けている。国境線が大きく変わった訳でもなく、無益な争いと判断され、犠牲の割にあっけなく停戦が実現している。
双方の事情でこの紛争は控えめな公開にとどまり、戦史もこの事件に多くを割いていない。
「この事件は、二つの視点から評価する必要があります。無論、戦術と戦略においてです・・・この事件は何をもたらしたか?関東軍指揮官の更迭、日ソ中立条約、日独伊三国同盟、ソ連軍指揮官がスターリンの右腕に抜擢されたことです」
それぞれの指揮官なる人物の経歴が示される。日本側の責任者として更迭されたのは、司令官の植田大将、参謀長の磯谷中将をはじめ多数の部隊指揮官が対象となる。その中には対ソ作戦を主導した参謀、辻少佐も含まれる。
中国での戦歴もある彼らは、ソ連こそ日本にとって最大の脅威であると認識していた。彼らの行動を黙認した板垣陸軍大臣は、日中戦争に引きずり込まれた陸軍を引き揚げてでも、対ソ戦に集中すべきだと考えていた。
しかし、その戦略的合理性に基づく主張は、ノモンハンの敗北で完全に消え失せてしまった。
更に同じとき、ヨーロッパで起った重大事件・・・独ソ不可侵条約の締結は、日独伊防共協定を破棄する最大のチャンスだった。
あろうことか、大本営は勝ち馬に乗るつもりでヒトラーに接近し、日ソ中立条約を結んでソ連との対決を避ける選択をしてしまう・・・その理由も、ノモンハンの敗北だ。真の敵を見失い、無益な日中戦争は全面戦争へと拡大する。
一方のソ連側の勝利の立役者、ジューコフ中将はその用兵理論が評価され、その後の独ソ戦の勝利に決定的な役割を果たすことになる。モスクワ、スターリングラード・・・国運を左右する決戦の場で、彼の名は常に登場する・・・。
「以上の事から、歴史の流れが決定づけられました。日中戦争の拡大で、対米戦は不可避となります。真珠湾攻撃で先ほど述べた通り、取り返しのつかぬ敗北が決定します。中立志向の根強いアメリカは戦争を決意し、更に打倒ヒトラーのため、英国とともに独ソ戦におけるソ連を支援します。お分かりですか?流れの根源が・・・」
「待ちたまえ、戦略面はともかく、戦術面の説明がなされていない・・・ノモンハンの勝敗が判断の分岐点というなら、勝利する要素がなければ前提として成り立たない」
当然の反論だ。関東軍は最終的にソ連軍に圧倒された、という大方の評価がある。
「停戦交渉をせず、辻少佐の戦闘継続意思を支持するだけで成り立つのです。当事者である彼に、圧倒的敗北との認識は全くありません。我々の知る歴史において、事実が捻じ曲げられたケースはいくつもあります。この場合は停戦推進派による、敗北を印象付けた報告です。単純に双方の損失の記録を照合すれば、ほぼ互角であることが分かります。高性能の戦車と航空機に圧倒されたイメージが定着していましたが・・・当時のソ連軍主力戦車は装甲25ミリのBT-7で、97式戦車の57ミリ砲に撃破されたのです。兵力の増援は、中央の判断ひとつで中国戦線から転用可能です。更に日本には、圧倒的優位に立つ戦闘機の存在がありました。勝敗を左右する制空権は、日本側に分があったのです」
RHSは日本の国益にとってベストの選択を示し、そのシミュレーションが画面に表示された。
ノモンハンにおける戦闘継続のもたらす歴史変化点については以下の通りだ。
1939年10月、辻少佐のハルハ河作戦の勝利、独ソ不可侵条約に伴う、日独伊防共協定の破棄。
1939年11月、ソ連軍増派に伴う対ソ戦優先方針への転換、中国戦線兵力の本格転用開始。
1939年12月、ジューコフ中将の更迭及び失脚。
1940年1月、日中戦争の停戦合意。中国の内戦は本格化し、日本は国民党側への支援を開始する。
以上の経過から、1940年9月の日独伊三国同盟、1941年4月の日ソ中立条約、1941年の日本軍による真珠湾攻撃は実現しない。日本海軍は太平洋及び南方へ進出することはなく、対ソ戦を支援する。
1941年3月のアメリカによる武器貸与法も成立しない。依然として不干渉主義が支配し、ヨーロッパを蹂躙するヒトラーへの不安視はあるものの、イギリスへの限定的な援助に留まる。ソ連に対しては、イデオロギー上の脅威と認識している。これは史実におけるソ連への援助・・・航空機一万五千機、戦車七千両、四十万台以上のジープにトラック、船舶、鉄道車両、機関銃に食料等、膨大な物資がソ連の手に入らないことを意味する。
一方、1941年6月のヒトラーによるバルバロッサ作戦は史実通り発動される。独ソ不可侵条約を破ってドイツ軍三百万の兵力がソ連へなだれ込む・・・。
史実と異なり、ジューコフ不在のモスクワは陥落する。しかしソ連の領土は広大であり、工場疎開を繰り返し、後退しつつも抵抗を続ける。主要都市が早々と放棄される為、スターリングラードのような市街戦も起こらない。元々ソ連の占領地にユダヤ人居住区を設けるのがナチスの方針であり、その実現により、史実にあった民族抹殺の動機が失われる。アウシュビッツのような収容所の出現はなく、将来におけるイスラエル建国の可能性がここに失われる。
極東においてはソ連海軍が壊滅し、日本は樺太全域とウラジオストクを占領する。ソ連軍は百万の兵力で満州からの日本の攻勢に抵抗するが、中央はドイツ軍の攻撃にさらされ、全軍は消耗していく・・・しかしドイツ軍も広大なソ連の地で消耗戦に陥っている。
日本の立ち位置は絶妙といえる。唯一の交戦国であるソ連は弱体化し、ドイツとは同盟関係にない。アメリカはドイツの脅威に備える為、日本に歩み寄る。
アメリカのマンハッタン計画は史実通り成功するが、核攻撃の対象は当初の方針通りドイツになる。ここに世界初の被爆国が日本という史実は変わる。
日本は軍事的プレゼンスを維持したまま、満州から朝鮮に至る占領地の安定化に努める。
「これは日本の国益を最大限に満足するシミュレーションですが、世界の人的損失は史実と比較しても極めて少ないのが興味深いところです」
しかし、この分岐と派生の変遷の中で、失われたものをRHSは明らかにした。
科学技術の革新は、無気力なアメリカとソ連の衰退から大幅に遅れることになる。宇宙開発競争は全く停滞してしまう。
「分岐点において、その判断がもたらす結果が、こうも全く異なるという一例が示されました。決断を下した者たちは、そのような結末を知りようもありません。しかし、RHSは未来のシミュレーションにおいて、答えを導くことができます」
中西は、このプロジェクトの意義を強調した。
「史実はアメリカに最大の国益をもたらし、現在は中国の台頭とロシアが復活を企てている状況にあります。重要なのは、分岐点の到来を知ること・・・ここから我が国の国益を最大限に満足させる選択をする・・・RHSはその答えを示してくれます」
中西は、その答えなるものを既に得ていた・・・・しかし、防衛省に歓迎される内容ではないことも分かっていた。
RHSのシミュレーションは現体制の否定から始まり、あるべき国家の姿を描いている・・・それは内部からの革命を必須としていた。
中西は、その教示された詳細な手順を丹念に確認していくうち、それが実現可能であると確信した・・・。
それは二年前の出来事であり、全てがその原点となった。中西は人生の全てを賭け、自らその大事業に着手した。
今や計画実行へのカウントダウンは始まっている・・・あと少し、やり残したことがあるとしたら・・・そのひとつは同盟国への根回しだ。