雲散の告発
内部より生じる、力による国家体制の転覆は、主に革命とクーデターに大別される。何れも、軍がその成否を握っている。
フランス革命は、市民が武器をとって権力者と戦ったイメージが強い。しかし、国王や貴族の敗北を決定づけたのは、やはり彼らに反発した軍が反乱側に回ったからだ。
体制の混乱を収拾するのもまた軍の役目であり、その後ナポレオンの帝政へと続くことになる。
労働者が主役とされるロシア革命もまた同様であり、正規軍が反乱に加わることで帝政ロシアは崩壊する。その後始まったのは、ボルシェビキによる独裁政権だった。
即ち、軍を制するものは、国家を制することになる。
一方、クーデターは軍が主役の政権奪取を意味する。
2021年のミャンマーのように、国軍全体が一体となって政府を打倒するケースが分かり易い。国を守るべき軍が、政治に関与できる時点で、民主主義は形骸化してしまう。
選挙で選ばれた政権は、民意だけで国軍系の野党を抑える力はなかった。双方の対立が深まるほどクーデターは時間の問題となり、政権側にそれを防ぐ手立てがまるでなかった。
1973年のチリの場合、軍は当初、政治への野心など無く、選挙で誕生した社会主義政権へも協力的だった。クーデターに全軍が加担したのは、主導したのが第三国・・・この場合はアメリカのニクソン政権になるが、海外勢力の介入というケースになる。
冷戦のさなか、ラテンアメリカの共産主義化を恐れたアメリカは、CIAを中心に大統領選でマルクス主義者、サルバドール・アジェンデの当選を阻止しようと躍起になったが、失敗した。そのプランBがクーデターだ。
アメリカはチリ軍を丸め込む為に、膨大な資金と技術、人材まで提供する。クーデター反対派の陸軍総司令官は何者かに殺害され、その後任の司令官がクーデターを決行した。
軍に包囲され、炎上する宮殿の中でアジェンデ大統領は自殺する・・・。
二つの成功例は、何れも反乱側が勝利するための十分な兵力が準備され、確実性の高い計画のもとに実行された。
一方で博打に近いケースのクーデター・・・僅かな兵力で実行し、賛同して加わる勢力、情勢を見極めようと傍観し、鎮圧に加わらない勢力等、期待値がベースとなっている為、確実性は全くないといってよいケースになる。
1961年、韓国で起きたクーデターは、4千名に満たない朴少将指揮下の革命軍で決行された。未明のうちに、電撃的に主要目標・・・国会議事堂、政府機関、国営放送局等が制圧される。韓国軍60万の内、彼らの鎮圧に動いたのは50名足らずだった。
朴少将の、優れた軍人としての能力を疑う者はいなかった。1944年、大日本帝国陸軍の数少ない朝鮮人将校として、朴は満州の関東軍に配属された。八路軍との戦闘を経験し、中尉まで昇進した彼は終戦後、発足したばかりの韓国軍の育成にあたった。
朝鮮戦争の休戦後、韓国では不正選挙による政治の混乱や、軍の腐敗が横行する。危機感を抱いた軍人の一部はクーデターを決意し、朴少将こそ、そのリーダーにふさわしいと考えた。決起した軍人たちは、朴の教え子たちだった・・・。
このクーデター成功の要素は、スピードと手際の良さ、そしてリーダーの「顔」だった。軍から反感を買うリーダーであれば、韓国軍は総力を挙げてこの反逆者たちを抹殺したかもしれない。事実として、国民はクーデターによる軍事政権にも好意的なほどで、当初はクーデター政権に反対していたアメリカでさえ、容認せざるを得なくなった。
成熟した民主主義国家であり、経済的に余裕のある現在の先進国では、革命やクーデターが起こる要素はほとんどない。そもそも、軍人が不満を抱くような動機が生まれにくく、仮にその芽があったとしても、それが広まり、結束する条件が整わない。
ただ、強力な軍隊がある以上、クーデターのリスクはゼロとはいえない。従って、それを監視する機関はどこの国でも存在する。
過去には旧日本軍の憲兵隊のような軍内部の組織や、スターリンの大粛清で猛威を振るったNKVDのような外部組織の秘密警察があった。
憲兵隊は二二六事件の軍部のクーデターの際、事前に情報を把握していたにも関わらず、未然に阻止できなかった。
NKVDは、少しでも疑いがある者、130万人以上を捕らえ、その半数を処刑するという徹底ぶりで反逆者を根絶やしにした。無論、その中には無関係の無実の者が相当数含まれる。
取締りが手ぬるいというだけで、NKVDのトップが銃殺されたこともある。体制側にとって、どちらが心強いか言うまでもないが、独裁政権のリーダーたちは、最も恐ろしい敵は内部に潜んでいる事を、身をもって理解していた。
現在の日本ではそのような組織は存在しないが、かろうじてその意味に近い組織といえば公安庁になる。ただ、逮捕権や強制捜査の権限もなく、内外の諜報組織としての意味合いが強い。
彼らの任務は主に情報収集と分析が中心で、独自の情報網があり、各方面に協力者がいる。調査対象は国際テロ組織、国内の過激派や活動家、反社会的な団体等、公安警察と重複するものが多いが、非公式には日本にとっての脅威又はその可能性のある国家への諜報活動、国内では平和的であろうと、体制にとって不都合な団体や個人も対象となる。
公安庁主任調査官の島津は、防衛省幹部の協力者に突然呼び出され、愚痴ともとれる話に付き合わされていた。
密談の場所は、お決まりの新宿の質素な料亭だった。
「全く、その新システムの実地訓練を抜き打ちでやると言うんだ。我々は現場指揮官たちの苦情に追われていい迷惑だ」
島津は、この不機嫌な男のグラスへビールを注ぎ、なだめるように言った。
「上層部批判は私だけにして下さい。あなたにはもっと昇進して頂かないと困る・・・で、その忌々しい新システムとは一体何です?」
「バックアップ司令システムだ。既存の指揮系統システムが損なわれた際に緊急発動し、トップの命令が妨害を受けることなく、正しく現場へ展開される」
「指揮系統が損なわれる・・・それは何の事態を想定しているのでしょう?」
「外部からのサイバー攻撃、又は内部からの指揮系統制圧の試み・・・つまりクーデターというやつだ」
島津はその言葉に少し違和感を覚えた。内部の危機管理とはいえ、唐突すぎると思った。
「クーデターとはまた物騒な想定ですね。自衛官の士気に悪い影響を与えます・・・まさか本気でその可能性を考えているのですか?」
「知らんよ、将官たちへのけん制かな?馬鹿なことを考えるなという・・・君の言う通り、何のプラスにもならないが」
しかし、それは島津にとって、興味深いテーマだった。
「仮に、の話ですが・・・もし、自らの意志であなたに同調する自衛官を、政府を打倒できるほど大勢集めた場合、あなたはクーデターを考えますか?」
彼は迷わず答えた。
「真っ平ごめんだ。何一ついいことは無い・・・三日天下で殺されるか、豚箱行きだ。君と違って、残り人生を無謀なギャンブルに費やすほど、若さも情熱もない」
島津はむしろ、がっかりしたような苦笑を浮かべた。
「それが普通の反応ですよ・・・しかし、三日天下とは、計画性のない無能な指揮官の場合です。いや、失礼・・・私が言いたいのは、日本という条件の下では、クーデターは比較的容易で、決してギャンブルではありません」
「それはちょっと考えられないな。そもそもクーデターに同調する自衛官がどれだけいると思う?」
「完全装備で50人でも集まれば、警察も手に負えない厄介な存在になるでしょう」
「それこそ自衛隊の治安出動の出番だ。無法者の鎮圧の命令に、全自衛官が従うだろう。法的根拠があるのだから」
島津は大きく頷いた。
「あなたは正に答えを言われました。クーデターを企てる者が有能であれば、その状況を利用するでしょう・・・重要なのは政権を握った後なのです。あなたの言う、三日天下で終わらせたくなければ、私のような人間を雇うべきでしょう。体制にとって脅威となる人名リストを持っているのですから」
「おいおい、酒の勢いで冗談はよせ。君はそいつらを取り締まる立場だ」
彼は呆れた様に笑ったが、何かを思い出したようにはっとした。
「こんな話をする為に君を呼んだわけじゃない。酔いが回る前に、これを聞いてほしい」
ポケットを探り、彼はICレコーダーを差し出した。
「先週、陸自ヘリが海上に墜落した事故を知っているな?」
「知っていますよ、防衛省は大騒ぎでしたね・・・我々の管轄ではありませんが」
彼は深刻な顔つきで言った。
「これはその通信記録だ」
彼は再生ボタンを押し、島津の耳に近付けた・・・それはヘリからの無線連絡だった。
≪山内陸士・・・不明だ・・・弾薬記録をチェック・・・警務隊を待機させろ・・・おい≫
そこで通信は途絶えていた。
「雑音がひどいですね。これでは意味不明です」
「警務隊の待機を要請している。誰かを告発するつもりだったのかもしれない・・・直後にヘリは墜落し、海中深くに沈んだ」
「乗っていた者を知っていますか?」
「パイロットの他、レンジャー隊員が4名いた。そのひとり、山内陸士というのは海外任務から帰国したばかりの隊員だ」
「海外任務ですか?レンジャー隊員が」
「珍しいことじゃない。アフリカ、ヨーロッパ、中東・・・米軍に同行することもある。訓練や調査目的などいろいろだ。大っぴらには出来ないが」
「で、山内という隊員はどこの国へ派遣されていたんです?」
「ウクライナだったらしい」
島津は驚いた。
「ウクライナ?戦闘地域に何故?」
「誰の命令かも分からない。これは推測だが、義勇軍に参加している元自衛官の調査かもしれない・・・」
島津はじっと考えて答えた。
「何か裏がありそうですね。これをお借りできますか?音声記録を解析してみます」