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択捉島の密約

 択捉島中部のロシア名カサトカ湾とは単冠湾という歴史的地名だ。1941年11月23日、空母赤城を旗艦とする第一航空艦隊はこの泊地へ集結し、真珠湾攻撃の使命を受けて出港した・・・旭日旗を翻した主力艦隊の終結はこの時以来といってよい。

 イージス艦、DDH護衛艦、汎用護衛艦の総勢20隻を超える護衛艦隊の中には象徴的な「かが」の名をもつ事実上の空母も含まれていた。

 上空を海自のヘリが飛び交っているが、ロシアの航空機は一機も飛んでいない・・・択捉島から飛来した数機の海自ヘリは「かが」に着艦した。

「かが」の作戦室には各護衛艦の艦長が集まっている。唯一の陸自の将官、市川陸将が作戦会議を主導している。

 ロシア海軍の動向について、「しらぬい」の有馬艦長が報告した。

「太平洋艦隊の主力はウラジオストクへ引き返しました。空軍にも動きはありません。停戦に応じたとみてよいでしょう」

 ロシア側との交渉結果については当事者である市川が説明した。

「北方領土のロシア軍は期限内に撤退する。ロシア政府の資産や住民の扱いなどは政府間交渉に委ねる。最も重要なことは領土の帰属を確約したことだ。交渉事ゆえ、見返りの要求は受け入れることにしたが、我が国の負担になるものではない・・・これから君達にはロシアが約束を守る為に圧力をかけてもらう・・・」

 合意を確実に順守させなくてはならない・・・北方領土を出入りするロシアの船舶は、民間を含めて監視体制を強化する必要があった。その中核となる護衛艦隊は、担当する海域と臨検対象、各艦の役割と権限が与えられる。

 各護衛艦への指示が伝わったところで会議は終わった。艦長たちが退席する中、市川は有馬だけを呼びとめた。

「防衛省にいる中西とはしばらく連絡は取れないだろう。全権を委任された私の指示に従ってほしい」

「その通達は艦長全員が受けておりますので、自分もそのつもりですが」

「君は疑問に思わないのか?中西とは作戦の核心まで、かなり共有されていたはずだ」

 有馬は中西の信頼が厚く、計画の本質を当初から知る、唯一の海自協力者だった。

「以前、洋上で中西陸将補とお会いした時、昔なら軍法会議ものだと申し上げました。中西殿は、私が告発すればそうなると答えられました。とりとめのない冗談だとお互い思っていたでしょう」

 市川はその意味を理解したように頷いた。

「問題なしと受け取って宜しいな?」

「全く問題はありません」

 有馬は敬礼して立ち去りかけたが、聞かずにはいられない質問があった。

「もし、中西陸将補殿に問題が生じたとすれば、それは何だとお考えですか?」

 市川の答えは明快だった。

「アメリカと親しすぎたことだ」


 バートフたちの隠れ家は漁村の外れにある冷蔵倉庫だ。広々とした一室に、縛り上げられた国防大臣と軍の高官たちが椅子に座らされている。

 銃を構えたバートフの部下たちが彼らを取り囲んでいた。そこへバートフとサーシャ、その後に続いて野口が入ってきた。

 野口は国防大臣の顔をまじまじと眺めた・・・・なるほど、狙撃した影武者と似てはいるが、違う男だと確認できた。

 野口はこの男を殺すために、この仕事を引受けたはずだった。しかし、本人を目の前にしてもその気は全く起こらない・・・・バートフに狙撃銃を取り上げられたからではない、野口はこれまで戦ってきた意味、信念を考え直す時にいた・・・。

「俺はもうこの男に何の関心もない。バートフ、君らの好きにすればいい。俺はもう用済みのはずだが、仕事とは何だ?」

「俺たちの理想をノグチに教えた。俺たちはロシア政府と渡り合う力を得た。この人質は、捕まった我が同胞全員に見合うものと奴らは考えるだろう・・・心配なのは日本政府の立場だ。お前たちの国は協力を約束したが、関係が崩れれば非常にまずい。従って意思疎通の円滑化に一役買ってもらいたい」

「この俺が?日本を捨てた人間だ。連中も俺を快く思っていない」

「その方が好都合だ。日本寄りの奴では俺たちも面白くない」

 野口は大きくため息をついて首を振った。

「俺はあの男の影武者を撃った。理由は問題じゃない、理由なしに殺したことが俺にとって大問題だ。それで全てが変わった。もう二度と狙撃銃は持たない・・・分かるだろう?もう君たちと一緒に戦えないということだ」

「そいつは惜しいが、ここには狙撃する相手もいなくなった。言ったろう?交渉役としてここに留まればいい。戦う必要はないんだ。サーシャもそう思うだろう?」

 サーシャははっとしたように頷いた。

「お前たちがいい関係であることは知ってるんだ、二人だけであれだけの期間を過ごせば無理のないことだ」

「バートフ、君は何か勘違いをしている。そんな関係じゃ・・・」

 野口は否定したが、半分は当たっていた。一時的な感情で関係を持ってしまったが、サーシャは女スパイで野口は異端のスナイパーだった。とても分かり合える関係ではない・・・野口は念を押すように彼女に言った。

「そうだろう?サーシャ。君はアンナに仕え、打倒ロシアの志をもっているはずだ」

「私にはもう無理よ」

 サーシャは力なく答えた。

「あなたは狙撃手をやめるの?私も人間らしい生き方をしてみたい・・・いけないこと?」

 バートフは二人の肩をたぐりよせて言った。

「いいだろう、サーシャ。アンナには話をつけてやる。ノグチ、お前も日本に帰る所はないだろう?二人で安全な仕事をすればよい・・・羨ましいぞ!二人とも」

 その時、突然の地響きが平穏な空気を一変させた。

「囲まれてる!」

 窓の外を見張っていた一人が叫んだ。響き渡る轟音から、戦車の集団であることが容易に想像できる・・・野口はそのエンジン音に聞き覚えがあった。

 10式戦車に間違いない・・・。

 衝撃音とともに、壁にいくつもの砲弾の穴が開いた。爆発はしないが、室内は視界が失われるほどのガスで充満している・・・バタバタと倒れていくバートフの戦士たち・・・野口はもうろうとする意識の中で、動かなくなったサーシャとバートフの姿を認めた。

 そして彼自身も意識を失っていった・・・。


 ユジノ・クリリスクにある病院の一室で野口は目を覚ました。ロシア人の医師と看護婦が簡単な検診を済ませて立ち去った。入れ替わりに入ってきたのは陸自の池田隊長だった。

「後遺症は残らないから心配はいらない」

 野口は起き上がって周囲を見回した。彼一人が病院に収容されたとすぐに理解した。

「他の者は?」

「全員無事だ。命に別状はない・・・催涙ガスと違って致死性が高いので心配したが、何事もなくてよかった」

「何事もないだと・・・ふざけるな!これは何の真似だ」

「済まない、こんなことはやりたくなかった。事情が変わったんだ・・・命令だから仕方がなかった」

 野口は怒りを押し殺すように尋ねた。

「誰の命令だ」

「お前はその方に会うことになる・・・いいか、落ちついて聞くんだ。北方領土は我が国に返還された。ロシア軍は去り、我が陸自が駐留し続ける・・・択捉島も」

「最初からそれが目的だったはずだ。今更何を言う?バートフたちに感謝するがいい。お前たちの上陸を助けた上、どえらい人質まで手に入れた」

「力ずくで奪い取ったとしても、ロシアは必ず反撃し、戦争は拡大するだけだ。国際社会も我々に好意的ではない・・・最も重要なことは、ロシアとの政治的な合意だ」

「ロシアと取引きしたのか?」

「そうだ。我々の有利な条件で合意に達した。これは歴史的快挙なんだ。戦わずして勝利するのが我が旅団長の方針だった・・・しかし、その見返りを与えることになった」

 野口にとっては、虫唾が走るような展開である・・・命がけの戦いは政治的駆け引きに利用されただけなのだ・・・野口は最悪の結末を予感したが、あえて問いただした。

「見返りとは何だ」

「国防大臣と軍の高官の引き渡し・・・そしてバートフたち反政府組織の身柄の引き渡しだ」



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