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プランB

 前田は首相官邸占拠を長くても五日程度とみていた。第七装甲旅団到着まで持ちこたえればよい・・・官邸の鉄壁の守りで何か月も持ちこたえるのは可能だが、それは敗北のシナリオを意味する。クーデター側の大義は失われ、体制側はテロリストとして抹殺しようとする・・・レンジャー隊は最後まで戦うだろう・・・しかし官邸を攻める側も多くの命を失うことになる。

 それは双方にとって、全く無意味な犠牲だ。

 加藤三尉は縛り上げた二名の官邸事務官を前田隊長へ突き出した。

「この二人は我々の情報を警察へ流そうとしました」

 前田は加藤から二人の身分証を受取り、三十代位の二人の男を交互に眺めた。

「勇気ある行動だが、捕まるとは間抜けな奴らだ」

 前田が合図すると、加藤は一人の男に拳銃を突き付けた。

 憐れむような目で前田は二人に言った。

「時に勇気は身を亡ぼす・・・恨むなら浅はかな自分を恨め」

 二人は観念したように目を閉じた。

 加藤はトリガーを引き、撃鉄が勢いよく倒れる・・・しかし弾は発射されない。

 死を覚悟した男は膝をつき、崩れるようにうずくまった。もう一人は呆然と立ちすくんだままでいる・・・前田は倒れた男の襟をつかみ上げた。

「情報を流したければ流すがいい・・・こちらの兵力はたったの22名だ。人質の閣僚は最上階の執務室にいる。これ以上の事は話すな・・・今度こそ額に風穴が開くぞ」

 前田が促すと加藤の部下が二人を連れだした。加藤は拳銃から空の弾倉を抜き、実弾入りに取り換えた。

「二百名と伝えても案外信じるのでは?」

「あの二人は事務官に化けた警官だ。ばれる嘘を言っても仕方がない」

 加藤は頷いた。

「では二番目の情報を信じるかどうかですね」

 人質は地下一階に集めている。前田の時間稼ぎの策略だと加藤は理解していた。

「攻めてくるとすれば屋上か地下だ。それ以外にカメラの死角はない・・・我々の狙撃手が見逃さないだろう」

 加藤の部下が現れ、暗号通信のメモ書きを手渡した。加藤はその内容を前田に伝えた。

「援軍の到着が遅れるようです」

「どのくらいだ?」

「その事には触れていません。ただ情報を待てと・・・」

 前田は考え込むように黙り込んだ。加藤はさほど深刻な事態と受け止めていない。

「ここは難攻不落です。連中に人質を救出する度胸もないでしょう」

 それは相手が無能であることの前提だ・・・前田は懸念していることがあった。

「もし俺が相手の立場なら、カメラを狙撃し、相手の目を封じるだろう」

「お言葉ですが、我々側にも狙撃手はいます・・・優秀な彼らが先に敵を仕留めるでしょう」

 加藤の言っていることは正しい・・・実戦を経験したレンジャーの狙撃手は一流ぞろいなのだ。狙撃の先手を許すなどあり得ない・・・普通に考えれば。


 撤去作業は困難を極めた。破壊された74式戦車は38トンあり、26トンの装甲車両で引っ張ってもびくともしない。数台がかりでやろうにもスペースの問題がある。

 辰巳部隊はスピードを重視するあまり、戦車を随伴させなかったことが裏目に出た。

 大和インターから十数台の救急車が進入し、負傷者の搬出にあたっている。軽傷者は捕虜のような扱いで取り調べを受けている。

 無傷の島津と大塚は辰巳の部下たちに拘束された。両手を縛られた島津は路上に連れ出され、そこに辰巳一佐が待っていた。

「公安庁の主任とは恐れ入った・・・怪我ひとつないようだが高田は死に、他の者も死んだか重傷者のどちらかだ。お前が焚きつけなければこんな事にならずに済んだものを・・・」

 苛立っている辰巳を、島津は冷たい目で見ていた。

「殺したのはあなたです。後悔していますか?ならばあきらめて引き返すことです。高田一佐の死も無駄にならないでしょう」

「無駄口を叩くんじゃない。聞かれたことに答えろ。大変な邪魔をしてくれたが、公安庁の指示ではないな?」

「上司の説得などしてたら手遅れです。警察すら見事に騙されている状況ですから。もっとも、こうしている間に連中も疑いはじめるでしょう」

「高田とは知り合いか?」

「いいえ、初めてお会いした方ですが、調べはついていました。決して引き下がることはない方と確信していましたが・・・遺憾な結果でした」

 辰巳は作戦を継続することに疑念を抱き始めた。足止めを食らったことよりも、島津や高田といった伏兵の存在、そして自衛隊員の命がけの抵抗は全く予期しなかったことであり、辰巳部隊全員の士気に影響を及ぼしたことは確実なのだ。

 無線通信の呼出で、辰巳は島津から背を向けて距離をとった。市川陸将からの報告要求であることは予想していた。

「・・・迂回ルートは反対車線の一部を使うことになりますが、今その区間を警察と調整中で・・・」

 高田部隊と交戦があった事実は既に市川へ伝わっている。市川はその件を問いただした。

「戦闘の損害は?」

「死者4名、負傷者10名です」

「で、相手の死傷者は?」

「死者48名、負傷者36名・・・大半は重傷者で死者は増える可能性があります」

「隊員たちは動揺しているだろうが、士気を損なわせるな。反逆者に勝利したことを称えることだ」

「・・・隊員たちは見ていました。相手は反逆者などの戦いぶりではなかった・・・市川旅団長の望まなかった結果です。ひとりも殺さないお考えでしたね?」

「その考えは変わらない。これが最後の犠牲と思えばよい。君は任務に全力を尽くせ。辞めたいのなら今すぐ言うんだ」

 辰巳は力なく答えた。

「任務に全力を尽くします」

「宜しい・・・その公安庁の男とやらに話がしたいが、近くにいるか?」

 辰巳は島津に近付き、無線レシーバーを彼の頭にかけた。

「俺の上官が話したいそうだ」

 うつろな目をした辰巳は、そのまま部隊の指揮に戻っていった。

 イヤホン越しに聞こえる低い声・・・彼こそ事件の首謀者に近い人物だと島津は確信した。

「私が旅団の責任者、市川だ。公安庁の島津だな?」

「はい、島津です」

「君のせいで計画を見直さなくてはならなくなった。その責任を君に取ってもらうつもりだ」

「自衛隊に私を逮捕する権限はありません。計画の見直しですか?中止されるつもりなら賢明なご判断です。あの辰巳という方ですが、続ける気力も残っていないでしょう」

「初めから分かっていたことだ。これも計画の内だと言ったらどうする?」

「この失敗が計画の内ですか?レンジャーの前田は孤立無援でクーデターは成り立たない・・・既に終わっていると思いますが」

「終わりではなく始まりだよ。君は私がどこから話しているか分かるかね?」

「さあ・・・北海道ですか?それとも東京ですか?」

「択捉島だよ・・・話を戻すが、君がレンジャーの前田を嗅ぎまわっていた時から、君という男の存在は認識されていた。有能な奴がこの計画を知ればどうする?高田への働きかけが唯一阻止する手段と気付く・・・攻撃ヘリは私の命令通りに働き、辰巳は勝利するが戦意を喪失する・・・ここまで予想することは容易だ」

 島津は驚いたというより、むしろ呆れている。しかし、この市川という男が虚勢を張るような人物にも思えない・・・。

「択捉島・・・クーデターの失敗でロシアへ亡命申請ですか?」

「ここは日本の領土だ。ロシアと駆引きはしているが、亡命の話ではない。神国の復活への第一歩だ」

 市川は終わりではなく始まりと言った・・・島津は相手に致命的なダメージを与えたと思っていたが、思いもよらぬ展開が待っているのでは・・・そのような不安が島津の頭をよぎった。

 島津は率直に尋ねた。

「始まりとは、どういう意味でしょう?」

「プランBだ。これは必然の流れだった」

 市川の意図は読めないが、この時を待っていたように思える・・・無駄とは分かっていたが、島津はそれを探ろうとした。

「神国の復活とプランBですか・・・聞かせてもらいましょう。本来は私が尋問する立場にあります」

「知りたければ待つがいい・・・君の言うように辰巳はもたない。じきに私はそちらへ行く。君に知ってもらうべきことは多い」

 島津は自分が何かに利用される可能性に気付いた。でなければ抹殺されても不思議ではない・・・島津の疑念を見抜いたように市川はひと言付け加えた。

「君には責任を取ってもらうと言ったはずだ」


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