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要塞の首相官邸

 防衛省にいた中西陸将補は、緊急指令システムの発動を事実上指揮している。彼のデスクの前に、突如として現れたのは陸上幕僚長だった。

 彼は中西に、問題となった指令文書を叩きつけた。

「RHSを介さない、いかなる命令は無効とする・・・越権行為だぞ!国家の危機を試作AIに委ねるつもりか!」

 中西は落ち着いた表情で淡々と答えた。

「統合幕僚長の許可は得ています」

「私は聞いていない!」

「この事件は陸自の関与が疑われています。あなたはそのトップのお立場です」

 陸幕長は怒りを押し殺すように、中西へ問いただした。

「ならば、真っ先に私へ報告するのが筋だろう」

「何れ分かるでしょうが、武装グループの正体は、陸自のレンジャー部隊です。官邸警備隊は完全に不意を突かれました。手引きした者がいることは明らかです・・・つまりこれは組織的なクーデターなのです」

 陸幕長の顔は、みるみる青ざめていく・・・しかし彼は尚も食い下がった。

「ならば我々陸自の責任で事態を収拾すべきだ・・・直ちに防衛出動命令を・・・」

 中西は厳しい口調で遮った。

「事はそう単純ではありません。関東地区の東部方面隊が、まず疑われています。下手に出動命令など出すと、クーデター勢力側へ加勢する者が現れるでしょう」

「信じがたいことだ・・・そんな疑いなど、断じて容認できない!私から統幕へ掛け合う!」

 中西の話は、まだ肝心なところが残っていた。

「単純な事件でないと申し上げたのは、この件にロシアが関わっているからです」

 立ち去ろうとした陸幕長は、その言葉で立ち止まった。

「ロシアだと?」

「レンジャー隊員が、ウクライナへ派遣されていたことをご存じですか?」

 陸幕長は怒りを忘れて驚いた。

「ウクライナ?何のことかさっぱり分からない・・・どういう事だ?」

 中西は軽く頷いた。

「知らないでよかった・・・知っていれば、あなたも共犯が疑われたところです。防衛省の誰かが、その手回しをしたはずです・・・何れにせよ、問題のレンジャー隊員はウクライナの東部戦線で、ロシア側と接触した形跡があります。少なくとも一人が、ロシアへ入国しているのです」

 中西が述べた事実は、意味するところは全く別のところにあったが、今起きている状況がその繋がりを疑わせる十分な効果があった。

「サハリンと国後島のロシア軍に、尋常でない動きがあります。今このタイミングで、ロシア太平洋艦隊の動きも活発です・・・これは偶然ではありません。我が国でクーデターを成功させるなど、途方もない企てでしょうが・・・軍事力をもつ支援国がクーデター側のバックに付けば、話が全く変わります」

「いや、しかし・・・」

 陸幕長は、幾分冷静さを取り戻して言った。

「我が陸自の一部に反乱分子がいるにせよ・・・ロシアなどと組んで何ができるというんだ・・・合理性もなく、違和感でしかない」

「その反乱分子が親米の国粋主義者であれば、そもそもクーデターを起こす動機がありません。クーデターの目的は国の支配です。可能な手段は、国を明け渡してでも、権力を握ることです。西側諸国との同盟を捨て、中露の勢力圏に組み込まれるなど、想像もつかないでしょう・・・残念ながら、我が国の国民性は抑圧に耐え、運命を受け入れる素地があるのです・・・さらに地政学的な合理性を否定できず、今のアメリカは、それを阻止するリスクを冒さないでしょう・・・」

 陸幕長は、怒鳴り込んできたときの勢いは全く失せていた。彼の能力で事態の収拾など、簡単でないことは明らかだった。ひとつ間違えば、陸自の威信どころか、国家を滅ぼすことになりかねない・・・。

 中西は立ち上がり、たたみかけるように言った。

「我々の敵は内と外にいます。残念ながら、この防衛省の中にもいます・・・我々にはその備えもなく、今この瞬間にも、彼らの企てによる計画は進行し、その戦略の手がかりすらつかめていません。我々の組織体制では、こういった事態に受け身で対処せざるを得ず、致命的な敗北を招くでしょう・・・これがRHSに委ねる理由です」


 地上五階、地下一階の首相官邸は、かつてない厳重な警備体制が敷かれているが、その理由は従来のものと全く異なってる。警視庁の特殊部隊が動員され、彼らは官邸側へ向けて小銃を構えている。

 東側の正面玄関から、ひっきりなしに職員たちの行列が、バリケードを築いた警官隊に向って歩いてくる。彼らは解放された人質であり、中には負傷した警備隊員も含まれている。

 無論、総理大臣をはじめとする閣僚たち、重要人物が解放されることはない。医療、通信、セキュリティスタッフの一部は官邸に残され、武装勢力の命令に従っていた。

 解放された人質への聞き取りから、警察は武装勢力に関するおぼろげな情報をつかんでいた。

 武装勢力は屋上のヘリポートから侵入し、陸上自衛隊に似た戦闘服とヘルメットを身に着け、人数は50~100名規模と推定された。

 地下一階が彼らの拠点であり、人質は監視カメラのある部屋へグループ分けして収容されている。

 セキュリティセンターで監視カメラの映像をチェックする武装勢力・・・その正体が陸自のレンジャー隊員であることを警察はまだつかんでいない。

 ひとつのモニターに、警備隊員の遺体を収容する警察車両が映っている。

「何人射殺した?」

 前田は責めるような目で、加藤三尉に尋ねた。

「報告では26人です。我々側の死傷者はゼロです」

「彼らが撃ち返さなかったからだ。我々が覆面姿のテロリストの格好だったら、結果は違ったかもしれない」

「相手は拳銃を構えていましたから・・・それに我々はテロリストではありません」

 前田はそれ以上、追求しなかった。ウクライナでそうだったように、加藤の徹底した非情さに幾度も助けられてきたのだ。

「許可した時間内に終わらねば追い返せ。下手な小細工をされても困る」

 警告するまでもなく、警察車両は遺体を全て回収し、時間内に立ち去った。

 監視カメラと、各階に配置されたレンジャー隊員の目で、官邸の外側は全て見渡すことができる。鉄壁のセキュリティシステムは、今や前田たちの為にあるようなものだ。

 皮肉なことに、こうした強力なテロ対策の設備が、警察の動きを封じる結果となった。何千人も投入して包囲したところで、彼らは全く手出しできないでいる。

 電力や通信を遮断したところで、それを賄う独自の設備があり、水と食糧の備蓄も十分すぎるほどある。周囲はコンクリート防護壁に覆われ、まさに要塞といえる官邸の中に、国家の指導者たちが捕らえられている。

 その異様な光景を、遠巻きに眺める警察関係者の中に、公安庁の島津と大塚が紛れ込んでいた。

「官邸の中に、あの前田がいるという事ですか?」

 大塚は、騒然とした国家の中枢区域を、呆然と眺めて言った。

「全く、主任の言った通りになりましたね・・・」

「問題はこれからだ。このままでは、まだクーデターに程遠い」

「今のところ、何の声明も発していないようです。警察はしきりに投降を呼びかけていますが、無駄な努力でしょう・・・」

 警察は、それしかやれることがなかったのだが、包囲されたレンジャー隊員側も、積極的に行動できないことは明かだった。

「警察は官邸の図面を広げ、人質救出作戦を練っているはずだ。しかし、レンジャー部隊が相手と分かれば、陸自に防衛出動を要請するしかない」

「それは前田も予想しているのではないでしょうか?持久戦になれば、前田にとっても不利だと分かるはずですが・・・」

「だからそれを待っているんだ」

「それ?」

「空挺作戦の一種だ・・・小規模の空挺隊員が、ピンポイントの重要目標を制圧し、主力の地上部隊が到着するまで時間を稼ぐ」

 大塚はその意味するところが理解できなかった。

 主力の地上部隊とは何なのか・・・。


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