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訓練にあらず

 中西は、北海道を訪れるのはこれが最後と思った。旅団司令部へ市川陸将を訪ねた時、その理由を彼に伝えた。

「国後島へ工作員が潜入しました。連絡も取れていますので、作戦に支障はありません。私は持ち場に戻り、指令システムの工作を進めます・・・二人に話されましたか?」

「話した」

 市川は、窓の外を眺めながら答えた。そこからは戦闘車両の訓練を見渡すことができた。

「反応はいかがでしたか?」

「何の問題もない」

 二人とは池田戦車隊長と、装甲部隊を指揮する辰巳一佐を示していた。

「それはよかった・・・こちらは少し問題が生じました。公安庁が何か感づいたようです」

「ヘリの事故の件かね?」

「はい、作戦には支障ありません」

「泳がせておくつもりか?」

「これも想定内です」

 市川は振り向いて、中西と面と向かった。

「私は君が、RHS依存症にならないか心配だ」

 思いもよらなかった指摘に、中西は考え込むように黙り込んだ。

「見当はずれの忠告だったかな?」

 市川は振り向き、再び窓の外へ視線を移して言った。

「いずれにしても、君はあまり動き回らない方がいい・・・あとは我々に任せろ」


 呉基地から「しもきた」と「くにさき」の二隻の輸送船が苫小牧港の沖に停泊している。この九千トンのLST二隻で、戦車一個大隊を収容できる。第一甲板にはトラック、装甲車両を搭載する。

 揚陸訓練の為、港に集結した部隊は全て実弾を装備し、根室半島を目指すことになっている。上陸訓練は実戦同様の条件でなければ、現実性ある評価が下せないという名目の為だ。

 市川旅団選りすぐりの、550名の隊員が乗船を待っている。指揮官の池田は、隊員たちの前で訓示した。

「半島の上陸地点は、まだ明かさない。戦闘のさなかで、予期せぬ事態に対処できなくてはならない・・・これはその為の訓練だ。目標は追って船内で伝える」

 池田はいつものように、ジョークで笑いをとって締めくくることにした。

「北方領土を目標にしたい者は?」

 全員が手を上げ、歓声に包まれた・・・。


 国後島のメンデレーエフ飛行場は、元は旧日本軍が建設した、二千メートルの滑走路を整備した空港である。

 たびたび濃霧が発生し、閉鎖されることも多いこの空港はこの日、ロシア軍の航空機でごった返している。

 国防大臣と警護する兵士で、この小さな空港はたちまち混雑した。厳重な警備の中、軍用車両の列が、視察の目的地であるユジノ・クリリスクへ向かう。

 人口は七千人にすぎないが、千島列島最大の都市であり、漁業や水産加工業が主要産業になる。

 空港から一時間で町に入った車列は、地元の幼稚園や商業施設といった、軍のトップに似つかわしくない場所を訪問し、住民たちと交流する。

 最後に正教会から、大臣が一人でドアを開いて登場する・・・その悠然と歩く様を、遠距離から報道カメラマンが撮影するところで、華々しく締めくくられるはずだった。

 そこは開けた見晴らしの良い高台にあり、国防大臣が手をふりながらゆっくり階段を下りてくる・・・そこで彼は、頭に銃弾を受けた。

 崩れ落ちるように、倒れこむ国防大臣・・・悲鳴を上げる群衆をかき分け、護衛の人だかりが一斉に集まった。警備の兵士たちは、狂ったように周辺に散らばり、犯人を探し始めた。

 動かなくなった大臣を、青ざめた護衛たちが車に運び入れている・・・その様子を、スコープ越しに野口は確認した。完璧な狙撃だ・・・大臣は、まず助からないと野口は確信した。

 ロシア兵たちは、あたりの建物へ片っ端から押し入っているが、野口はずっと離れた、農業用サイロの換気小窓から狙い撃った。狙撃銃をロッドケースに収めた彼は、梯子を駆け降り、サーシャの待つ車へ飛び乗った。

 町を出るまで、彼は銃をいつでも撃てる態勢で握りしめた・・・検問に引っかかれば、許可証無しで入島した彼らは終わりだ。

 軍用車両と何台もすれ違ったが、不思議と呼び止められることはなかった。

「俺たち、無視されているようだ。有難いことだが・・・」

「バートフたちが見つかったのかもしれないわ」

 別行動のバートフは、軍事基地を偵察していたはずだった・・・。

「どうする?彼らが捕まると、俺たちも危ない」

 その時、サーシャの携帯にメッセージが届いた・・・相手はバートフだ。

「港で待てですって・・・何かを運んでくるらしいわ」

「港?」

 目当ての物を見つけ、その一部でも手に入れたのかと野口は思った。国後島へ潜入して以来、彼らは驚くほどの行動力で島内の警備体制を把握し、野口の狙撃のお膳立てをした。

 野口の探していた、海自の最も脅威となるロシア軍兵器を、彼らは早々と発見したかもしれない。

 無人の小さな港でバートフと落ち合った時、それは期待外れと分かった。接岸した船のタラップから降りて来たのは、口枷で顎を固定され、両手を縛られた、七人の行列だった。ロシア軍の高官らしき彼らに銃を突きつけ、バートフが最後に降りて来た。

「対艦ミサイルは簡単には破壊できない。だが、発射不能にすることは可能だ。こいつらがいろいろ教えてくれた」

 そう言って、バートフは再び野口に狙撃銃DXL-5を手渡した。

「さあ、直ちに出港だ。この人質は隠れ家に運ばせる」

 サーシャは、車のキーをバートフの部下に手渡した。

「決して殺さないで」

 彼女はこの「捕虜」の存在を、まるで予期していたかのようだった。

 トロール船に乗り込んだ野口とサーシャは、バートフの危険極まりない計画を耳にする。

「発射基地は突き止めている。肝心のミサイルは海からじゃないと狙えない。それも発射態勢に入ってからだ」

 野口はその意味をすぐに悟った。攻撃目標が現れない限り、ミサイルの発射孔は開かない・・・。

「あんたのお仲間が現れれば、そのチャンスが訪れる」

「自衛艦を狙わせるつもりか?被弾すれば作戦は失敗だ」

「だからあんたがその銃で撃つんだ」

「作戦決行の信号を送れと?」

「元々あんたの任務だ。無論、失敗すれば、お仲間はお陀仏だ・・・しかし、あんたのお仲間が来ないと、我々はロシア軍に勝てない」

 ブリッジでは、サーシャが衛星通信装置の前で待機している・・・バートフは野口に決断を迫った。

「分かるか?日本のお仲間も、俺たちの命も、スナイパー野口の腕にかかっている・・・さあ、決めてくれ!」


 ある命令が下り、二機のUH60JAブラックホークが飛び立った。前田栄一を隊長とする、完全装備のレンジャー隊員22名を分乗させて・・・。

 一時間も経たないうちに、衝撃的なニュース速報が、国中を駆け巡った。

≪速報です!首相官邸が武装グループに制圧された模様・・・≫

≪総理大臣をはじめ、閣議に出席中の全閣僚が拘束され・・・≫

≪官邸警備隊は奇襲攻撃を受け、ほぼ全滅した模様・・・≫

 騒々しく報道が繰り返され、時間の経過とともに、深刻な事態が明らかになっていく・・・。

≪警視庁は一万人規模の動員をかけ・・・≫

≪至る所で道路封鎖が実施されました・・・政府は都民に外出を控えるよう呼びかけています・・・≫

≪全国で大規模通信障害が発生しています・・・通信各社がサイバー攻撃を受けた情報もあり・・・≫

 一方、防衛省は専用回線を通じ、自衛隊の全部隊へ一斉に通知した。

「現在、国家の中枢が正体不明の敵から攻撃を受けている。全部隊は防衛出動命令に備え、待機せよ・・・この事態は、他国の関与又は何らかの反逆行為が疑われる。最大の危機レベルが適用される、緊急指令システムに基づく、正式な命令で行動を許可するものとする・・・RHSを介さない、いかなる命令は無効とする・・・これは訓練ではない」


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