宣戦布告《ノクス side》
っ……!いくら何でも早すぎる……!
確かに逃げ出そうと画策している貴族は多く居るけど、まだ誰も逃げていない筈!
仮に逃げていたとしても、ここまで早く戦争を吹っ掛けてくるなんて……おかしい!
ガブリエラ帝国の連中は、ノワール帝国の貴族の言葉を鵜呑みしているのか!?
『普通は入念に裏取りをするだろう!』と叫びながら、僕は執務室で一人頭を抱える。
『何故こうなったのか』と自問自答を重ねるものの、答えは出ず……時間だけが過ぎていく。
不安と焦りでいっぱいになる中、勢いよく扉を開け放たれた。
「────ノクス、他国の軍勢が攻めてきたわ!早く逃げないと!」
そう言って、部屋の中へ入ってきたのは────姉のライラだった。
『はぁはぁ』と肩で息をする彼女は、腰に二本のレイピアを差している。
戦いは避けられないと踏んで、武器を持ってきたのだろう。
えっ?もう進軍を……?宣戦布告を受けてから、まだ三十分も経ってないのに……!?
『どうなっているんだ!?』と困惑する僕は、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。
動揺のあまり目を白黒させる僕の前で、姉は二つ結びにしたお団子を解いた。
かと思えば、リボンを唇で挟み、素早く髪をまとめる。
そしてポニーテールと呼ばれる高さまで髪を上げると、リボンを使って固定した。
「ウチの騎士団は実力も忠誠心もないから、当てにならないわ!早く逃げましょう!」
「えっ?でも、民を見捨てる訳には……」
「そんなことを言っている場合!?もう生きるか、死ぬかの瀬戸際なのよ!?」
皇族としての義務を説く僕に、姉は思い切り眉を顰めた。
『民の命なんて、どうでもいい!』と吐き捨て、彼女は僕の手を掴む。
そのまま無理やり連れていこうとするものの────突然手を離し、抜刀した。
その直後、カキンッと硬いものがぶつかり合う音が響く。
「────今の斬撃を防ぐとは、さすがですね。噂以上の実力だ。貴方とは、楽しい一時を過ごせそうです」
姉と剣を交えたままスッと目を細める男性は、無邪気に笑う。
まるで、新しい玩具を手に入れた子供のように。
「っ……!アンタ、誰よ!?」
レイピアに風を纏わせ、やっとの思いで相手の剣を跳ね返した姉はそう問い掛ける。
すると、相手の男性は僅かに目を見開いた。
「おっと、これは失礼……名乗るのを忘れていました。私は────ガブリエラ帝国第三皇子のハザック・シュヴェルト・ガブリエラと申します。以後お見知りおきを」
わざわざ一度帯剣してから、彼はお辞儀した。
侮られているとしか思えない態度に、姉は青筋を立てる。
今にも相手に斬り掛りそうだが、何故か踏み止まっていた。
多分、姉上も本能的に理解しているんだろうね……一筋縄じゃいかない相手だって。
僕も詳しいことは分からないけど、ハザック皇子が剣豪として名を馳せていることは知っている。
ほぼ鎖国状態に近いノワール帝国にも、噂が届いていたから。
まさか、戦場で会うことになるとは思わなかったけど……。
姉の背中越しにハザック皇子を見つめる僕は、『きっと無事じゃ済まないだろうな』と考える。
『最悪、二人とも死ぬかも……』と怯える中、ハザック皇子は再度剣を構えた。
と同時に、姉が魔法を展開する。
ブワッと周囲に風を撒き散らしながら、勢いよく斬り掛かった。
────が、ハザック皇子にすんなり受け止められる。
「ふむ……ちょっと、力に頼り過ぎですね。これでは、棍棒を振り回しているのと大差ありません。もう少し技術を磨いて欲しいものです」
殺し合いをしている筈なのに、相手にアドバイスまでするハザック皇子は余裕綽々だった。
一瞬、虚勢か?とも思ったが……彼の様子を見る限り、違うだろう。
だって、茶色がかった瞳が……僅かに赤くなった頬が……血色のいい唇が笑っていたから。
「魔法は力押しに利用するより、手数を増やすための道具として利用した方がいいですよ。ほら、こんな風に」
まるで教師のように振る舞うハザック皇子は、お手本を見せるため風の刃を生み出した。
はらりと揺れる茶髪をそのままに、風の刃を発射する。
「っ……!」
四方向から迫ってくる風の刃を前に、姉は急いで風の膜を張った。
恐らく、僕を守りながら全て捌くのは無理だと判断したのだろう。
「あぁ、やはり────単純ですね、貴方は」
姉の取った行動を嘲笑い、グッと手に力を込めるハザック皇子はレイピアを跳ね飛ばした。
その反動で姉はバランスを崩し、横に……いや、風の膜に転倒する。
このままだと、体を切り刻まれてしまう……だからといって、風の膜を解除すれば風の刃が僕達を襲うだろう。
『どうすればいいんだ!?』と頭の中が真っ白になる中、姉はついに風の膜と接触した。
と同時に、風の刃も風の膜に突っ込む。
「くっ……!」
風の刃が消えたのを確認してから、姉は急いで風の膜を解除した。
そして、勢いよく倒れ込むと、左手でレイピアを構えた。
────が、大量出血と激痛でまともに動けないのか、剣先は震えていた。
「おや?これは驚きです。右手を肘あたりまで削られているのに、まだ動けるんですね」
ニコニコと笑いながら言葉を紡ぐハザック皇子は、慣れた様子でレイピアを弾く。
カランと音を立てて飛んでいくレイピアを一瞥し、彼はこちらに視線を向けた。
「第一皇女は事実上の戦闘不能。城の包囲網も既に完成しており、逃亡不可……という訳で、投降してくれますね?」
有無を言わせぬ物言いで投降を求めるハザック皇子に、僕は項垂れるしかなかった。
「……姉上は」
「大丈夫ですよ。ちゃんと治療しますから」
『殺すつもりはありません』と言い切り、ハザック皇子はニッコリ笑う。
悪意なんて微塵も感じられない笑顔を前に、僕はただただ戸惑う。
殺すつもりはないって、どういうこと?
敗戦国の王族は普通、処刑されるよね?
あっ、もしかして『この場では殺さない』って意味?
なら、理解出来るけど……。
「とにかく、早く投降してください。これ以上、時間を掛けたくないんですよ」
僕の思考を遮るように投降を迫るハザック皇子は、『早くしてください』と急かす。
玩具である姉が動かなくなったせいか、この戦いに価値を見出せなくなったようだ。
『つまらない』と言葉や態度で表す彼を前に、僕はグッと手を握り締める。
無力な自分に嫌気が差しながら、青白い顔で短い呼吸を繰り返す姉をじっと見つめた。
悔しいけど……今の僕には、この状況をひっくり返すだけの運も力もない。
姉上を助けるためにも、大人しく相手の言うことを聞くしかないだろう。
『ここで変に意地を張ったって、いいことはない』と判断し、顔を上げる。
そして、茶色がかった瞳を真っ直ぐに見つめると、意を決して口を開いた。
「……分かりました。投降します」




