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苗代沢事件簿—はぐれ者どもの300日戦争—  作者: 朱坂ノクチルカ
Case. 1 ウェルカム・トゥ・ アンダーグラウンド
7/15

6.この状態からでも入れる保険があるんですか?

 ぼったくりバーでの悶着から一夜明け、ご機嫌に晴れた真昼のこと。「苗代沢千佳(チカ)だな」と、ものものしい輩に声をかけられた。チカじゃない、と訂正する間もなくあれよあれよと後手に縛られ、目隠しをされ、スモークガラスの黒いプリウスに乗せられ(ヤクザもエコカーに乗る時代らしい)、少しでも声を上げようものなら死神が肩を叩きかねない時間をたっぷりと体験した。これを巷では拉致と言う。


 車から降ろされると目隠しが外された。着いた先はいかにもチンピラが根城にしていそうな廃工場であった。まだ朗らかに太陽が照らす日和なれど、そこには墓場の静けさが横たわる。かつては板金工場だったのだろうか。錆びついた看板には、「茂國板()」とあった。近くに(たむろ)していたのは不良少年らに違いない。プリウスから降りた()()の姿を認めると足早に去っていった。


「タカさん来るまで待っとけ」と、プリウスを運転していた七三の男が言った。白シャツにネイビーの背広はごく平凡な新入社員に見えなくもないが、その顔には大きな傷がある。


 パイプ椅子の固さを感じながら苗代沢は考える。なぜこうなったのか。煙草を買いに行こうとしていただけなのに。なぜ吸いもしない煙草を。居候(ミソノ)のためである。おや、と思う。ということはやはり奴のせいだ。昨日と同様に。となれば、俄然怒りを覚えた。


 全部あいつのせいじゃないか!


「よう」


 熊が喋ったらこんな声がするに違いない。苗代沢は身を固くした。熊——ではなくタカは乱暴な所作でパイプ椅子を開くと、苗代沢の真正面に陣取った。人並み外れて恰幅が良いわけでもないのにこれだけ大きく見えるのは、まさしく威圧感の為せる業であった。いったいどれだけの戦場、いや抗争をくぐり抜けてきたのか。


「おう、挨拶くらいしろや自分」

「はッはははいッ! は……あ……こんちは……?」


今日は白スーツではない。洒落たブラウンのスリーピース。血が飛んでも目立たなそうだ。なるほど、これが殺意の表れか。早合点した苗代沢は勝手に思考をショートさせていく。自滅の始まりであった。


「手荒なことして悪いなあ。でもなあ、ワシも生半可にしてなあなあになってほしくないねん」

「は……ひゅ」

「だからなあ」


 タカがおもむろに手持ちの瓶を開栓した。それを、傾ける。透明な液体がどろりと滴った。ジュッ、と焼けるような音がして、


「ワシもらしぃ〜くさせてもらうで」


 白い煙が上がった。


 慄く苗代沢にタカは呵々と笑った。が、目は笑っていない。


「これ、おもろいやろ。たまたまここに残っててん。何やろな? 仏さんも溶かせるんかな? ガッハッハ」


 もちろん、苗代沢だって笑うまい。


 蒼白をさらす苗代沢を、タカはサングラス越しの眼光で突き刺した。何を言われるのか。やはり金か。臓器を打って即金で払え、さもなくばここで跡形もなく溶けて死ね。そういうことか。どうしてこんなことに——


「——あいつと別れてくれんか」

「ん?」

「いや、わかるで。前にも同じようなことがあったからな」

「はい?」

「好きになるのはわかる。わかるんやけどな……」


 苗代沢は目をパチクリさせた。呆気に取られて「ゑ」だか「ゐ」だか、何とも判別し難い感嘆詞が口から飛び出した。


「あいつはまともやあらへん。わかるな? チカ坊みたいなお育ちのええ堅気の兄ちゃんが深入りするべきやない」

「あいつ」

「赤目——ああ、お前にゃミソノって名乗っとるんやっけ? また適当な……。兎も角、チカ坊は今あいつに一千万の借り作っとる状態や。それがどんッだけ危ないことかわかっとるか?」


 液体が落ちる。床が溶ける。溶けて上がった白煙が苗代沢の思考力を奪う。視野を狭める。そこまではタカの狙い通りだった。しかしどの方向に向けて視野を狭めるか。その制御が甘かった。


 ゆえにこうだ。


「たしかにミソノさんは普通じゃないですけど」

「おう。せやろ」

「俺ん()の家事を完璧にこなしてくれますけど」

「ん?」

「俺の何気ない発言覚えててキロ単位の唐揚げの作る人ですけど」

「んんん?」

「でも別れるってなんですか!」

「お……おう?」

「今さら無理でしょうが! うちの冷蔵庫の生鮮食品を誰が処理してくれるんですか! ベランダのよくわかんないハーブのプランターとかどうすればいいんですか⁉︎」

「えっ……そうなの? あいつそんなことしとるんか……? ワシでも見たことないでそんな……」


 気圧されかけたタカがはっとして険しい顔に戻る。タカが体裁を保てなくなったのは苗代沢の剣幕とはまた別の理由だ。しかし、それを気取られるわけにはいかなかった。


「だから! それが! あいつのやり口や言うとんねん! あぁれぇそうやったかいな⁉︎ ワシも自信なくなってきよったわ! ……いーやわかったもうええわ。そないなことならワシが昨日言うたこと覚えとるな? ワシはチカ坊のことこっち側として数えたるで」


 節くれだった手から瓶が滑り落ちる。音を立てて割れたガラスの破片が飛び散った。その破片ひとつひとつに付着した液体が方々を溶かし白煙を上げた。もう苗代沢の喉は悲鳴しか発さない。


「選ばんかい。今すぐここで(モツ)で払うか。死ぬまで八尋(ウチ)にコキ使われるか」


 苗代沢は首を横に振る。それしかできなかった。


「ほんなら三つ目。嫌なら赤目(あいつ)と手ェ切れや。全部忘れんかい。……どれがお利口さんかわかるな?」

「——ッ」


 タカが右手を上げる。それを合図に七三分けがエイコラと両手にポリタンクを運んでくる。何が入っているかはお察しください、ということ。苗代沢は察した。俺はここで死ぬ。


 それなのに。


「別れるな?」


 苗代沢は首を縦に振り損ねた。


 だって、別れるって何だ? そもそも付き合ってないし。付き合ってないのに別れるもクソもない。付き合うなら——付き合うならそう、過日のルリハちゃんのようなロリ巨乳を所望する。即ちこの尋問は、苗代沢の男の威信にかけて否定せねばなるまい。追い詰められた結果の、何ともしょうもない要らぬ意地であった。


 よって、苗代沢は首を横に振った。


「そうか」


 タカがゆらりと立ち上がった。苗代沢は死を覚悟した。後悔した。俺はなんて愚かなことを?


「まっ」


 待ってくれと言ったところで、このバイオレンス・ヤクザが止まるのか。んなわけない。ヤクザ稼業とは人の話を聞かないことで成り立っている。


 逃げようとあたりを見回すも、後を壁、前をタカ、左右を古びた機材で囲まれていた。何たるデッド・エンド、もっと早く厄祓いに行くべきだったのだ。


「ワシも市民のみなさんを傷付けたくはない。けどな、非情にならへんとアカンときもあんねん。それが仕事やねん……」


 ——間違えた。


 もうやり直すことはできない。現実とは親切設計、もとい心折設計ゆえオートセーブ機能が万全なのだ。


「し、死ぬの?」苗代沢は声を震わせた。「骨まで溶けて死体も発見されない行方不明扱いで社会から抹消されてどうせ俺を探す人間だっていないしいるワケないだろ友達にはハメられるし会社は爆破してるし路頭に迷って失踪した二十四歳なんてもう地方版のベタ記事にもならな」


 何の足しにもならない苗代沢の痛嘆をタカはもう聞いていない。苗代沢を放置して明後日の方を向いている。明後日の方、というのは苗代沢から見てのことだ。実際のところ、タカはここにいるはずのない人物の姿に硬直していた。


「ごきげんよう、タカ。——ときに、どうしてここに苗代沢がいる?」


 不遜に響くその声は、やはり冬の夜を思わせる透明だ。

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