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8.バイオレンスの舞台裏

「そ——そういうことは先に言えや!」


 電話越しにタカが怒鳴る。ミソノは顔をしかめてスマートフォンを耳から遠ざけた。もう家主も寝入っている時間なのだし、静かにして欲しいものだ。安アパート、1LDKの壁は薄い。


「何やねんお前ら……チカ坊も否定せぇへんかったしすっかりそういう関係やと」


 すっかり自分のもののように扱うソファに転がり、ミソノは鼻で笑って言い返した。


「お前がそんな面白い勘違いしてるとは思わなかった。なあ、タカ? お前の法律には同じ空間で生活すると発情する義務でもあるのか」

「それ言うたらお前には一台詞ごとに人を煽らなあかんノルマでも課されとるんか?」

「なんで知ってるんだ」

「えっ」

「冗談だ」


 タカのため息はノイズとなってスマートフォンから出力された。皺だらけになった眉間を揉む様子が見えるようだ。


「たしかに。たッしか〜にな? ワシもちゃあんと確認せえへんかったのも悪い。けどな? ここ一年振り返ってみいや。こっちはお前が老若男女問わず片ッ端から自分に入れ込ませて潰してきたん知っとんねん。ワシかて過敏になるで」

「……苗代沢はそういうのじゃない」


 ミソノはふとテレビ台に目を向けた。そこにはいくつかの写真が飾られている。家族写真とおぼしき一枚を認める。苗代沢千佳という青年は両親に愛されて育ったのだろう。ミソノはそれを羨ましいとは思わないが、尊ぶべきものとは思う。


 尊べど、それらは気紛れに失われてしまうものだ。


「タカ。本当は二千万なんて借金、吹っ掛けるつもりはなかったんだろう? 売り言葉に買い言葉、か?」


 タカが言葉に詰まる。かろうじてぐうの音が聞こえた。


「いつも通り偽善者ヅラをしたかったんだろうが、対応を見誤ったな。普通ならそれで引き下がってありがたがられても、苗代沢には逆効果だ。あいつはすぐに余計な意地を張るから」

「はあ。よう知っとるな」

「だろう? 親友なんだ」

「親友だ? お前からそんな単語聞く日が来るとは思わんかったで」

「失礼な。私にも友達くらいはいた」

「お前のそれは友達ちゃうやろ」


 ミソノは薄く笑って過去の友人を回想する。どれもこれも、長くは保たなかったっけ。信頼できた友人といえば、久遠の過去にたったの二人だけ。


「……ワシにも立場っちゅうもんがある。せやから今更お前が何を言ったところであの(ぼん)には働いてもらわなあかん——が」


 タカの声はそこで真剣みを帯びた。こんなとき、タカはヤクザ者というより行政機関のそれに近い。


「この状況はお前が描いた絵とちゃうか?」


 へえ、とミソノは唇の片端を吊り上げた。


 感心、感心。


 タカがこの場にいれば、問いの答えは明白だっただろう。しかし、ミソノは淡々と受話口に告げるだけ。その本意は欠片も伝わることがない。


「私には大事な友人を危険な目に遭わせて楽しむような趣味はない。考えすぎだ。禿げるぞ」

「禿げ……! ウチは親父も爺さんもフッサフサやで。——ってちゃうわ!」舌打ちをひとつ挟んでタカが再度問う。


「お前、ワシの車のスペアキー、前に失くした言うとったな?」

「ああ。そんなこともあったな」

「それがな〜んでか知らんけど子分のポッケから出てきてん」

「へえ。よかったじゃないか。見つかって」

「事務所の机の上に転がってたらしいで。つい、切羽詰まって使てしもたんやと。それで事故らせたんやからとんだ困っちゃちゃんやな。……しッかし、どないな理由でそんな目立つところにスペアキーが出てきたんやろな? キーがヨチヨチ歩いてきたんかいな? えらい可愛(かい)らしいなあ!」

「ふぅん。一ヶ月も経ってるんだ。そんなこともあるかもしれないな」


 適当にシラを切るミソノに、タカはたっぷり間を置いてかく問いかけた。


「赤目、お前は何を企んどる?」


「あらら。ひどく疑われたものだな。だが、言った通りだ。苗代沢は私の大事な友人。これからも末長く付き合っていきたいと思っているよ」


 思索数秒を数えた沈黙の後、電話越しにライターの着火音が聞こえた。


「もうええわ。気に食わんけどな。こっちも事情があるさけ筋は通させてもらう。せやからチカ坊には仕事を回す……あーあ! 可哀想なやっちゃな〜。ロクでもない野郎に目ェつけられたばっかりに」

「ロクでもない? お前のことか?」

「もうええちゅうねん」

「それはどうも」

「はー。ほんま調子のええ奴やで。相ッ変わらず何考えとんのかわからへん。……せや、チカ坊に早速頼み事があんねんけど。何、ややこしいこっちゃないねん。……」


 タカがミソノに頼んだ言伝は奇妙とも言える内容だった。とても筋者の口から出た言葉とは思えない。しかしその一方、難しいわけでも危険があるわけでもない。


「了解した。苗代沢に伝えておこう」

「……ほな、そういうことでな。おやすみ。愛してんで、ミソちゃん」


 軽薄な冗句で愛を語るタカに、ミソノはしばし口を閉ざしたまま。80ビート、二小節を数えたのちに発するアルトは厳かで神聖だ。


「ああ。愛してるよ、タカ」


 電話の向こうの呼吸が止まる。マイクに拾われない心音の速度を、ミソノは知りながらも無視する。通話を切る。薄い壁に遮られた寝室から聞こえるいびきだけが静寂にさざなみを立てていた。


 蛍光灯が照らす夜の底、ミソノは人知れず唇を歪めた。ほくそ笑んだ。深紅の瞳は妖しい光を帯びて瞬いた。


「——さて。どうなるかな」




 もう、間違えない。

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