綺麗な靴も服も捨てて
からころ、からころ。
2頭の馬に引かれ、満席の馬車が音を立てて走る。馬車の行く先は、神国ジュリの中心地である神都。辺境の土地から国家の中心部を目指す馬車であるだけに、乗客の顔は明るい。神都に着いたら何を食べようか。滞在期間中に目ぼしい観光地を回れるかしら。そんな楽しげな声が、客車のあちこちから聞こえてくる。
その客車の一席にダイナがいた。膝に上に小さな旅行かばんを載せて、頭の上には麦藁帽子。まとう衣服はただ布を縫い合わせただけの質素なワンピース。靴は歩きやすい革靴だ。
「お姉さん。神都に何をしに行くの?」
一人窓の外を眺めるダイナに、そう声をかけた者は中年の女性であった。女性の隣には、間もなく10歳を迎えようかという少年が座っている。少年の膝上には背負いかばん、それと小さな水筒。女性の膝上にも大きな背負いかばんが載っているから、親子で神都に赴く旅行客のようだ。
「気分転換です。村で少し、辛いことがあったから」
「あら、そうだったの。それはお気の毒ね」
女性は一瞬気遣わしげな表情を作るが、それ以上ダイナの事情を聞きただすことはしなかった。ダイナは麦藁帽子のつばをあげ、努めて明るい声を作る。
「貴女は、神都に行くのは初めてですか?」
「いえ、2回目よ。7年位前に一度観光に行ったのだけれど、その時はこの子がまだ小さくてね。公園で足止めを食らうばかりで、主要な観光地はほとんど回れなかったの。だから再挑戦」
くすくすと笑う女性の横では、息子と思われる少年がふんと鼻を鳴らしていた。思春期真っ盛りだ。
「神都には、何がありますか」
「何でもあるわよぉ。綺麗な服も靴も宝石も。美味しいご飯もお菓子もお酒も。宿屋だって豪華だし、通りは華やか。そこにいるだけで心が躍るわ。なんたって神都は、国王様のお膝元だからね。神都の人々の暮らしは、私達辺境の民の暮らしとは天地の差よ」
「そう…」
呟き、ダイナはのんびりと過ぎゆく窓の外の景色を見やった。ダイナの村から国家の中心部である神都までは、馬車で半日の道程だ。今はまだ行程の半ばであるから、窓の外に神都の街並みは見えない。生まれて初めて訪れる神都の街。一体どんなところだろうと、見知らぬ土地に想い馳せるダイナの耳に、浮かれ調子の女性の声が流れ込んでくる。
「街を歩く殿方もね、素敵な方ばかりなの。服はお洒落だし、髪形にも気を遣っているし、話し方も丁寧よ。眉目秀麗な殿方様に、お嬢様少し店を見て行かれませんかなんて言われたら、そりゃ立ち寄っちゃうわよねぇ。私の知り合いにね、神都観光で出会った殿方と結婚した人がいるの。頻繁に連絡を取る仲ではないけれど、まだ神都で暮らしているんじゃないかしら。貴女、恋人はいる?」
「いえ…」
「それなら素敵な出会いに期待ね。綺麗な靴と服を買って、街を歩いてみるといいわ。辺境の片田舎で一生を終えるより、神都で暮らす方が絶対に有意義だもの」
一息に話し終えると、女性は少し旅の興奮が冷めたようだ。ダイナから視線を逸らし、逆席に座る少年へと言葉を向ける。「トイレは大丈夫?我慢しないで早めに言うのよ」「うるさいなぁ。ガキじゃないんだから自分の尿意くらい自分で管理するよ」思春期真っ盛りの少年と、世話焼きの母の会話である。
ダイナは自身の膝元に視線を落とす。ただ布を縫い合わせただけのワンピースと、安っぽい平靴。神都移住に向けて揃えたドレスと靴は、全て昨晩焼いてしまった。報われると信じて疑わなかった、浅はかな恋心とともに。
―私、恋人に捨てられて神都に行くんです
口の中に湧いた言葉を、ダイナは生唾と共に飲み込んだ。