想い繋ぐ紫水晶(終)
やっほー、あたしの名前はルピ。神国ジュリの神都に住まう、今をときめく乙女だよ。髪の色は濃い桃色、目の色も同じ色。珍しい色合いだと言われるけれど、あたしの故郷では有り触れた色なんだよねぇ。好きな物は美味しいお菓子と綺麗なお洋服、あとは可愛い女の子。最近のお気に入りは、同じ下宿所に住む「ダイナ」という名前の子。何でも大失恋を経て神都にやって来たらしく、いつもどこか自信なさげ。髪も伸ばしっぱなしで、服はいつも同じ地味なワンピース。素材は良いんだから、もっとお洒落をすればいいのにっていつも思っているんだ。さてそんなダイナにも、どうやら最近良い出会いがあったらしい。良い出会いと言うべきか、驚愕の出会いと言うべきか、あたしには判断しかねるけれど。
前置きはこのくらいにして、とくと語らせてもらいましょうかねぇ。どん底の少女が掴み取った、この世に二つとない幸福な未来。この物語の、幸せに満ちた結末を―
「はい、終わり。崩れたところは全部直したよ」
そう言うと、ルピは山羊毛の化粧筆をテーブルの上に置いた。テーブルの上には化粧筆の他にも、白粉やまゆずみ、口紅といった化粧品が散らばっている。テーブルの背面には高さが2mはあろうかという巨大な姿見。そして姿見の中心には、純白のウェディングドレスを纏ったダイナが、天使にも似た微笑を湛えている。
「ルピ、ありがとう」
「いいえ。それにしてもすごい数の来客だったね。早朝から今に至るまで、よくぞここまでの謁見申し込みがあったもんだ」
ルピは壁に掛かった時計を見上げる。現在時刻は13時を回ったところ。ダイナの身支度が整った午前9時から現在に至るまで、200人ではきかない客人がこの控室を訪れている。客人の地位は他国からの来賓であったり、神国ジュリ内各都市の首長であったりと様々だ。今ようやく来客の波は途絶え、ルピは本日2度目となるダイナの化粧直しを終えたところだ。
「まだ挨拶が済んでいないお客様はいる?同盟国の国王様方は、もう皆お見えになったと思うんだけど」
「うーん、どうかな。ちょっと待ってね」
ルピは化粧道具で溢れた机の上から、10枚綴りのメモ紙を取り上げる。それは今日という記念すべき日に、ダイナとの謁見を望む人々の名簿だ。ダイナの身繕い役兼秘書に任命されたルピは、客人が訪れる度にそのメモ紙に「済」の一言を書き入れてきた。よれよれになったメモ紙には、200に及ぶ人の名と「済」の一言が書き連ねられている。まだ未到着の客人はいるだろうかと、メモ紙を捲っていたルピは、いまだ「済」の書き入れられていない名を見つけ声を上げた。
「ああ、ダイナのお父さんがまだ見えていないよ。どうしたんだろう」
「お父さんは、ここには来ないと思うよ。折角神都に来るんだから、神具店巡りをするんだって張り切っていたもの。私のウェディングドレス姿は、パレード中に一目見れば十分だってさ。手紙にそう書いてあった」
「そうなの?ダイナのお父さんも中々の奔放人だねぇ…」
そう言いながらも、ルピは少し安堵する。もし今この場にダイナの父が現れたとなれば、ダイナの顔面は涙に濡れること間違いなしだ。パレードの出発時刻までは、残り30分を切っている。今から主役の顔面を作り直すには相当の労力を必要とするだろう。
「あとは…神都隊の関係者がまだ見えていないね。隊長と副隊長が来られる予定になっているんだけど」
「神都隊…」
ダイナの肩が跳ねる。耳朶にぶら下がるダイヤモンドの耳飾りが揺れる。ひょっとして神都隊に知り合いでもいる?ルピがそう口を開きかけたときだ。部屋の扉を開く音が聞こえ、ダイナがどうぞと入室を促す。白木の扉をくぐり入って来た者は、揃いの鎧をまとう2人組だ。鎧の胸元に刻まれたサカキの花は、彼らが神都隊に属する者であるということを示している。彼らは扉の前に横並びに立つと、恭しく一礼をする。
「ダイナ王妃殿下。参上が遅れ誠に申し訳ございません。最近大規模な人事異動がございまして、隊員の統制に思いの外時間を取られてしまいました。どうぞご安心ください。準備にこそ時間は掛かりましたが、パレードの最中は我々神都隊が命を賭して王と王妃の御身をお守りさせていただきます」
ハツラツと告げるは、金茶の髪を有した長身の青年だ。髪と同じ金茶色の双眸は力強く、腰に差した長剣は使い込まれている。その青年が、栄えある神都隊隊長の任に着く人物だ。そしてその傍らに立つ灰色の髪の女性。彼女が神都隊の副隊長だ。
金茶髪の青年と、灰髪の女性。2人の人物を交互に眺めていたダイナは、やがて遠慮がちに口を開く。
「大規模な人事異動と仰いましたが、副隊長がお代わりになりましたか」
「ええ、その通りです」
「前副隊長殿はいかがされました。ひょっとして怪我による退役ですか?」
「いえ、そうではございません。副隊長としての素質に疑義が生じ、一隊員に降任の上地方へと更迭されております」
「更迭…ですか。何か問題を起こしたのでしょうか」
「問題を起こしたというよりは、日頃の勤務態度が不真面目であったと申しましょうか。前副隊長―クロシュラは数か月前に神具師の女性と結婚しました。それだけならばもちろん喜ばしいことなのですが、結婚相手の作った加護付きの神具で全身を固め、日頃の訓練を怠るようになったのです。副隊長たるものが訓練をさぼったとなっては、他の隊員に示しがつきません。除隊の話も持ち上がりましたが、隊員時代は真面目な男でしたからね。改心の可能性も十分にあり得るということで、地方左遷処分に落ち着いたのです」
話の途中に、ルピはダイナの表情を窺い見る。しかし落ち着き払ったダイナの横顔からは、目立った感情は読み取れなかった。「ダイナは、そのクロシュラという人と知り合いなの?」場違いな問いは、口に出せそうもない。
「サフィー様は、クロシュラ様と離縁なさったのでしょうか」
「サフィー?…ああ、クロシュラの連れですか。いえ、離縁はしていないはずです。クロシュラと共に地方に移り住んだのではないでしょうか。というのも左遷先が、サフィー殿のご生家のある村であったはずです」
「…そうなんですか。サフィー様は、離縁を望まれなかった?優秀な神具師であれば、クロシュラ様がいなくとも神都で生きてゆくことは十分に可能でしょう」
「サフィー殿が離縁を望まれたかどうか、それは私共の知るところではございません。しかし風の噂を聞くに、サフィー殿は神具師業界の問題児であったとか。神具師としての腕を笠に着て、何人もの神具師と肉体関係を持っていたと聞き及んでおります。神都は広い都市ですが、神具師界隈は狭い。一度問題を起こしてしまえば、最早神具師として生きていくことは困難です」
「そう…」
ダイナの銀色の瞳に憂いが映る。金茶髪の隊長の言葉を引き継ぐ者は、横に立つ灰髪の女性だ。
「身の丈に合わぬ地位や名誉は、人を狂わせます。あの2人は正にそれであった。神都隊副隊長の地位も、有名神具師の肩書も、神都の街も、彼らには分不相応であったのです。身の丈に合った地位と、慎ましやかながら食うに困らぬ生活。それだけの物があれば、彼らとて常識的な心を取り戻すでしょう。ダイナ様が、彼らの行く先に憂いを抱く必要はございませんよ」
凛とした声が響く傍ら、ルピは再度壁に掛かる時計を見上げた。現在時刻は13時15分を回っている。ダイナは13時20分には控室を出て、神殿前に停められた馬車に乗り込まねばならない。屋根のないカブリオレの馬車に揺られ、国王アメシスと共に神都の街中を一周するのだ。沿道は王と王妃の姿を一目見ようとする人々でごった返し、今日という日を以てダイナは正式に神国ジュリの王妃として民に認められる。記念すべき一日だ。
これ以上話し込んでいては、乗り込み時刻に遅れてしまう。ルピの焦りは、2人の客人にも伝わったようだ。金茶髪の団長が、ダイナに向けて深く一礼をする。
「失敬。予定以上に話が長引いてしまいました。私共はこれにて失礼いたします。ダイナ王妃殿下、本日は誠におめでとうございます」
そうして2人の客人は控室を後にした。部屋の扉が完全に閉まったとき、ダイナはおもむろに席を立つ。化粧品の散らばった机の引き出しを開け、中から小さな小箱を取り出す。
「ルピ。耳飾りを付け替えてもらえるかな」
ダイナが差し出した小箱を、ルピは手を伸ばして受け取る。しっかりとした作りの純白の小箱を開ければ、中から顔を出す物は紫水晶の耳飾りだ。宝飾店特有の刻印がなされているから、そこそこ良い物であると想像はできる。しかし今ダイナの身に着けるダイヤモンドの耳飾りと比べれば、値段は雲泥の差だ。
「…これに付け替えるの?でも耳飾りだけちぐはぐになっちゃうよ。髪飾りも首飾りも指輪も、全部ダイヤモンドで揃えたんでしょう?」
「ちぐはぐになっちゃうから、今まではダイヤモンドの耳飾りを付けていたんだよ。他国のお客様と間近で顔を合わせるのに、ドレスに合わない耳飾りを付けているのは不味いでしょう。でも今日これからの予定は、馬車に揺られて沿道の皆様に手を振るだけ。私の付けている耳飾りが、ダイヤモンドだろうが紫水晶だろうが、誰も気にしないと思わない?」
「そりゃまぁ…そうだろうけどさ」
それに、とダイナは言う。
「アメシス様の隣に座るのなら、こっちの耳飾りを付けていないと」
「…そう。そういうことなら、良いんじゃない」
ルピは両手を伸ばし、ダイナの耳朶から輝くダイヤモンドの耳飾りを外した。代わりに小箱から取り上げた紫水晶の耳飾りを付ける。お世辞にも純白のウェディングドレスに合っているとは言い難い耳飾りが、部屋に射し込む陽光を受けてきらきらと輝く。でもその紫水晶の耳飾りを付けたダイナの表情は、先程までよりもずっと眩しくて魅力的だ。ダイヤモンドの髪飾りを散りばめた銀色の髪、長い睫毛の内側にある銀色の瞳、ほんのりと色づく頬に薄桃色の唇。白い肌を包む純白のウェディングドレス。今この瞬間のダイナは、今までルピが見たどんな麗人よりも美しい。
部屋の扉を叩く音がする。「ダイナ、時間だ。準備はできているか」薄く開いた扉の向こうから、アメシスの声がする。「ばっちりです」とダイナは答える。
「じゃあルピ、行ってくるよ」
「はいよ、行ってらっしゃい。ヤヤさんとベリルさんと一緒に、沿道から見ているからね」
「うん。今日は本当にありがとう」
ダイナの背中は白木の扉へと消えて行く。耳朶に、想い繋ぐ紫水晶を揺らして。
『捨てられダイヤ』これにて完結です。お読みいただきありがとうございました!
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