さよなら恋心
ダイナは一人、工房裏の山林にいた。時刻は午前0時をとうに回っている。魔獣の活動が活発になる深夜、好き好んで山林を出歩くもの好きはいない。だから今輝く星空を見上げる者は、きっとこの村の中でダイナだけだ。
ダイナの腕の中には、きらきらと輝く靴とドレスがあった。それは今日クロシュラと会ったときにダイナが身に着けていた物。クロシュラとの逢瀬のために購入した、ダイナの一張羅だ。肩に掛けた袋の中にも、何着かの衣服と靴が入っている。全て、クロシュラと会うために買った物だ。神具師として昼夜工房にこもるダイナは、元来綺麗な服にも靴にも興味がない。しかし神都の生まれであるクロシュラと会うのに、まさか作業着を着ているわけにはいくまいと、毎日の生活費を切り詰めて購入したのだ。粗雑であった話し方も、美しく正した。歩く姿にも立ち姿にも気を遣った。全てはクロシュラの傍らに立つため。愛しい人の傍にいるための血の滲むような努力。
山林の中の少し拓けた場所に出ると、ダイナは手の中のドレスと靴を地面へと放った。肩に掛けた袋を下ろし、中に入っている衣装を次から次へと地面へ放る。やがて数着のドレスと数足の靴は、小さな山を形成する。見るだけならば美しい、豪華な衣装の山。
「さよなら、クロシュラ様」
ダイナはそう呟くと、指先に火を灯した。それも神力のなし得る技の一つだ。遥か遠い地では、その技を『着火魔法』などとも呼ぶ。神力の少ないダイナでも、小さな火を起こすのに苦労はしない。
ダイナの指先の火は、地面に置かれた衣装山へと燃え移った。新緑色のドレスのすそが燃えて、薄桃色の靴の踵が焼ける。小さな火は段々と大きくなり、やがて烈火は衣装山を包み込む。めらめらと燃える火柱を眺めていたダイナは、そのうちに地面へとへたり込んだ。灼熱が頬にあたる。髪先が焦げる。擦り切れた夜着の身頃を火花が焦がす。
「う、う…」
ダイナの銀色の瞳から、堪えていた涙が零れ落ちた。一粒、また一粒。澄んだ涙はとめどなく流れ、乾いた地面へと吸い込まれてゆく。
クロシュラ様、私は貴方を愛していました。この気持ちに偽りなどなく、本当に心から愛していた。故郷を離れることも、父を一人にすることも、考えれば胸が張り裂けるほど辛かった。でも愛する人のお傍にいられるならと、私は貴方の求婚を受け入れたのです。
私にとって貴方は天の上の人。ガラクタしか作れない神具師の私と、明るい未来が保証された神都隊の貴方。本来ならば婚約破棄の言葉を突きつけられたとしても、私に文句を言う権利などないのです。それほどまでに、私達の間には身分の差があった。
それでも私は貴方を愛していました。「私の親類には何と説明するおつもりなのです」「お金を払えば済むという話ではありません」たくさんの言い訳を並べたけれど、奥底にある思いは一つ。私は貴方を愛していた。愛する人の傍にいたかった。ただそれだけ。
お読みいただきありがとうございます!
シリアスちっくは本話まで。次話以降ぼちぼち快方に向かいますので(中盤以降はめきめき)、どうぞ引き続きお楽しみください。