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神殿

 翌朝7時50分。薄桃色のワンピースに身を包んだダイナは、『カフェひとやすみ』の出入り口前に立っていた。朝食を求めてカフェに立ち入る人々が、入念に着飾ったダイナの姿を物珍しげに一瞥する。好奇の視線に居心地の悪さを感じながらも、ダイナは黙って迎えの馬車を待つ。

 そうして待つこと5分。人気のない住宅街の向こうから、一台の馬車が駆けてくる。神都の街中を走る安価な乗合馬車とは、似ても似つかない豪華な馬車だ。船底型の客車は朱漆塗りで、屋根には黄金色の鳳凰の像を載せている。客車の左右にはめ込まれた窓ガラスは紙のように薄く、馬車が動くたびにかたかたと音を立てて揺れるのだ。客車のあちこちに施される紋様は、朱漆に映える真っ白なサカキの花。神事に欠かせないサカキの花は、神国ジュリの象徴ともいえる花だ。

 身震いするほどに豪華な客車は、『カフェひとやすみ』の前で留まった。緋色の御者服を着た老齢の男性が、ダイナの姿を見てにっこりと笑う。


「ダイナ様でございますね。アメシス様よりお話は伺っております。どうぞお乗りください」


 御者に促され、ダイナは恐る恐る客車へと乗り込んだ。揃いの馬具を付けた2頭の黒馬は、ぶるると鼻息を吐き出し歩み出す。


 走り始めてしばらくは、馬車は見慣れた神都の街中を進んだ。職場へ向かう青年、買い出しへ赴く老婦、義塾へ向かう子ども達。たくさんの人々の間を抜けて、朱漆の馬車はゆっくりと進む。

 そのうちに馬車は緩やかな坂道を登り始めた。昨日、ダイナとアメシスが出会った坂道だ。その坂道を上った向こうに、神官舎があることをダイナは知っている。実際に訪れた経験はなくとも、神都に住まう者で都市の中心となる神官舎の場所を知らない者はいない。


 そうして『カフェひとやすみ』を出発してから20分。馬車は広々とした庭園の門前へと辿り着いた。鉄柵に閉ざされた庭園の中心部には、さほど大きくはない煉瓦作りの建物が佇んでいる。真っ白な木枠に囲まれた半円窓、年季を感じさせながらも一つの傷さえない赤煉瓦の壁。翠屋根の左隅には小さな煙突と、中央部には青空に伸びる鐘楼。青空に映える美しい建物だ。その建物が何であるか、ダイナは知らない。


「ダイナ様、到着致しました。どうぞお降りください」


 御者の声掛けに、ダイナは客車の乗降口からひょいと顔を出す。


「ここで降りるんですか?でもアメシス様は、神官舎に来るようにと」

「ご安心ください。神官舎は、こちらの建物のすぐ裏手に位置しております。建物の内部に渡り廊下が設けられており、自由な行き来が可能なのですよ」

「そうなのですか…でしたら神官舎側の準備が整うまで、こちらの建物で待っていれば良いのでしょうか」

「ええ、そう伺っておりますよ」


 その時、園庭を抜けて駆けて来るものがあった。花咲き乱れる美しい景色の中を、一直線にダイナの元へと向かってくるものはアメシスだ。アメシスの手が鉄門を内側から押し開けたのと、ダイナが客車から下りたのは、ほぼ同時であった。


「ダイナ殿、おはよう。予定時刻丁度の到着だ」

「アメシス様、おはようございます」

「早速だがこちらへ来ていただけるか。皆、貴女の到着を心待ちにしている」


 早朝に相応しく爽やかな表情のアメシスに手を引かれ、ダイナは歩み出す。ダイナの背後では、大役を終えた御者が恭しく一礼をする。手のひらを絡ませたまま、2人は園庭の中央を貫く煉瓦路を歩く。


「とても美しい場所ですね。ここは神官舎の園庭ですか?」

「違う。ここは神殿の園庭だ」

「神殿?」

「目の前に見える赤煉瓦の建物、あれが神殿だ。ダイナ殿は、神殿の名に聞き覚えは?」

「いえ…恥ずかしながらありません。神都では有名な建物なのですか」

「そうだな、有名だ。神都に住まう者で、神殿の名を知らぬ者はいない」


 田舎者の名に拍車をかけてしまったと、ダイナは肩を竦める。

 そうして取り留めなく話すうちに、2人の足は神殿の内部へと立ち入った。美しく装飾された廊下をいくらか歩くと、間もなく目の前に細長い渡り廊下が見えてくる。神殿と神官舎は渡り廊下でつながっているのだと御者は言った。ならばあの渡り廊下を渡った先が、目的地である神官舎か。


「…アメシス様。こんな早朝に神官舎に伺って、ご迷惑ではないでしょうか」


 渡り廊下の途中でダイナがそう問えば、傍らからは和やかな笑い声が返ってくる。


「本来なら、貴女を神官舎に連れて行くのは午前9時半頃を予定していた。神官舎の始業時刻は午前9時だからな。それまでは私の執務室で優雅な茶会をと思っていたが…昨晩神官一同連名で苦情を受けたんだ。『どうせ一日仕事など手に付かない。無駄に焦らすくらいなら、ダイナ殿が到着次第早急に神官舎へ連れて来い』と」

「…仕事が手に付かない?」


 なぜ一神具師の来訪で、仕事が手に付かなくなるほど浮足立つのだ。ダイナがその問いを口にするより早く、2人の足は渡り廊下を渡り終えた。刹那、割れんばかりの歓声がダイナの耳に届く。

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