溢れる
恋の始まりとはどこだろう。一目惚れなどという言葉も耳にするが、稲妻に打たれたように、突然目の前の人物と恋に落ちる者が果たしてどれほどいるだろうか。今この世界にある大概の恋というものは、ある特定の人物の言動や行動に、好意を積み重ねた結果の産物だと感ずるのだ。では特定の人物に対する好意とは、一体どの段階で恋へと変貌するのか。笑顔が好ましいと感じたときか、肌に触れたいと思ったときか、それとも些細な用事を見繕いその人物の元へと足を運んだときか。
いずれにせよ確かなことは、先に述べた3つの要件を全て満たすのならば、それはもう紛れもない恋だということ。
アメシスは、自身の腕の中でふるふると震える少女を見下ろした。根元から毛先まで至るところで絡まり合った銀色の髪、塗料まみれの頬、かさかさに乾いた唇。傍目に見れば廃人同様のその少女が、今のアメシスにとってはまるで宝石のように感じられる。
「あの、アメシス様…」
少女が呟く。蚊の鳴くようなか細い声だ。少女が身じろぎをするたびに、銀色の髪束がアメシスの二の腕をくすぐる。突然の抱擁に戸惑いながらも、しかし少女がアメシスの腕を振り払うことはない。
肌の触れ合う場所から、たくさんの感情が流れ込んでくる。幸福、戸惑い、安堵、不安、喜び、罪悪感。入り乱れる感情は、いつしか一つの情へと行きつく。愛情。
「ダイナ殿。貴女を愛している」
頭上から降り注ぐ愛の言葉に、ダイナの全身が毬のように跳ねる。あの、あの、と何度も言い淀み、それから絹糸のような声が絞り出される。
「突然そんなことを仰られても、私は一体どうしたら良いのか…」
「どうして欲しいと要望を伝えて良いのであれば、私は貴女の気持ちを聞きたい」
「私の…気持ち」
「そうだ。ダイナ殿、貴女は生活を犠牲にしてまで、私からの贈り物を探し出そうとしてくれたのだろう。その行動の根底にある想いを知りたい」
アメシスは腕に込めた力を緩め、ダイナを抱擁から解放する。ダイナはよろよろと後退り、アメシスからは数歩離れた場所で立ち止まる。身体が離れて初めて、その表情が明らかになる。銀色の眼は溢れるほどに潤み、左右の頬はまるで完熟林檎のよう。まだ夕焼けには早い時間だが、まるでダイナの顔にだけ夕陽が射したようだ。ダイナは何度も視線を巡らせて、それから捲し立てるようにこう伝う。
「アメシス様。私は貴方が好きです。突然すぎて整理ができないのだけれど、多分そういう事なんだと思います。だってそうじゃないと―」
ダイナは一度口を噤み、乾いた唇を舌先で舐める。はぁ、と熱い吐息。
「―今、こんなに幸せなはずがないもの」
そう言って、ダイナは花が咲いたように笑う。その笑顔があまりにも愛しくて、アメシスは銀色の少女に向かって再び腕を伸ばすのだ。先程よりもずっと熱いダイナの身体が、アメシスの腕の中へと飛び込んでくる。
愛おしい。今までに感じたどのような情よりも強烈に、腕の中の少女が愛おしい。
「…ダイナ殿。触れてもよろしいだろうか、唇に」
アメシスがそう問えば、ダイナは頷き背伸びをする。アメシスの方が遥かに長身なのだから、ダイナが精いっぱい背伸びをしてようやく、2人の吐息は混ざり合うのだ。
「どうぞ…何度でも」
囁く小さな唇に、引き寄せられるようにしてキスを落とす。