紫水晶
食事を終えたアメシスとダイナは、そのままの足で街歩きを楽しんだ。気の向くままに小道を歩き、出会った小間物屋で小さな土産を買い、道端にベンチを見つければ腰を下ろして話し込む。そんな時間が数時間過ぎた。
時は夕暮れ時。白を基調とした神都の街並みを、真っ赤な夕陽が照らす。もうじき太陽は山陰にその姿を隠し、うっすらと寒い夜が来る。楽しい街歩きももう終わり。ダイナとアメシスは、それぞれの私宅に帰らねばならない。
「ダイナ殿。あちらの店に立ち寄っても構わないか」
そう言ってアメシスが指さしたのは、大通りの一角にある真四角の建物だ。壁は白い煉瓦作りで、看板は掛けられているが何の店かはわからない。擦りガラスの出入り口からは、内部の様子を覗き込むこともできない。
「構いません。私もお供した方がよろしいですか?」
「いや、外で待っていてくれ。すぐに戻る」
分かりました、とダイナが言うよりも早く、アメシスは箱状の建物に歩みを向けた。紺色の上着を羽織った背中は、擦りガラスの向こうへと消えて行く。
一人きりになったダイナは燃えるように赤い夕陽を見あげ、息を吐いた。夢のように楽しい一日だった。ダイナは神都にやって来てから今日にいたるまで、気ままな街歩きを楽しんだ経験はない。食事は全て『カフェひとやすみ』で済ませていたし、カフェで使う食材の買い出しも最低限の店回りで済ませていた。細々とした日用生活品も、購入は専らが近所の寂れた商店だ。洒落たレストランで食事に舌鼓を打つのも、隠れ家のような雑貨店に立ち入るのも、コーヒーを片手に道端でおしゃべりをするのも、ダイナにとっては初めての経験なのだ。もちろんかつての婚約者であったクロシュラとの外出経験はある。しかし小さな村でできることなどたかが知れている。馴染みの食堂で食事をし、農村を歩きながら他愛もない話をする。それがダイナとクロシュラの全てだった。
ならば今日という日がどうしようもなく名残惜しいのは、初めての街歩きが楽しかったから?考えても答えは出ない。
夕陽を眺めるダイナの元に、アメシスが戻って来た。「すぐに戻る」との言葉の通り、離席からまだ5分と経っていない。アメシスの右手には、真っ白な小箱が握られている。
「ダイナ殿。待たせたな」
「いいえ。欲しい物は買えましたか」
「ああ、買えた」
アメシスは手の中の小箱を、ダイナに向かって真っすぐに差し出した。
「これを貴女に」
「…私に?」
「貴女にだ。今日一日付き合ってもらった礼だ。いや、礼と言うのもおかしいか?…とにかく、私が貴女に贈りたいと思った物だ。差し支えなければ受け取ってくれ」
アメシスはそう言い放つと、小箱をダイナの胸元に押し付けた。半ば強引に押し付けられた小箱を、ダイナはおそるおそる開封する。蝶々結びのリボンをほどき、純白の紙包みを開き、小箱のふたを開ける。中から出て来た物は対の耳飾りだ。銀細工の金具に紫色の宝石をぶら下げた耳飾り。綺麗、とダイナは呟く。
「これを私に?本当によろしいのですか」
「よろしいんだ。貴女のために買ったのだから、貴女が受け取らなければその耳飾りは行き場所がなくなってしまう。本当はもっと良い物を買いたかったのだが、あの店にある紫水晶の宝飾具はそれだけで…失敬。こんな話はどうでもいい。その耳飾り、私が付けさせていただいてもよろしいか。貴女の耳に」
アメシスの口調は、いつもよりも大分早口だ。表情は今日一番の仏頂面。だがその仏頂面は不機嫌からくるものではなく、緊張とか、照れ隠しとか、恐らくはそういう類のものだ。ダイナはこくりと頷く。
アメシスの指先が、ダイナの手の中の小箱に伸びる。耳飾りの片方をつまみ上げ、そのままダイナの耳元へと。微かに震える指先が耳朶に触れる。一つが終わればもう片方も。くすぐったい、ダイナは肩を竦める。
「付けた…が、痛みはないか?人の耳朶に耳飾りをぶら下げるのは初めての経験で、正しい位置がわからない」
相変わらず仏頂面のアメシスがそう言うものだから、ダイナは己の両耳に触れた。柔らかな左右の耳朶が、銀の金具にしっかりと挟み込まれている。指先に触れる2つの紫水晶。
「痛みはありません。あの、ありがとうございます。こんな高価な物を頂いて。食事代も出していただきましたし」
「気にするな。私から誘ったんだ。さぁそろそろ帰ろう。日が暮れると質の悪い酔っ払いが現れる。声を掛けられては面倒だ」
ふと空を見上げれば、緋色の空は徐々に紺碧に飲み込まれつつある。一度暮れかけてしまえば、夜が訪れるのは早い。そうですね、帰らないと。名残しげに呟いて、2人は肩を並べて歩き出す。
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