ひととき
アメシスが選んだ食事の場所は、神都の街中から20分ほど歩いた住宅街にあるレストランだ。閑静な住宅街の中にぽつりと佇む、趣のあるレストラン。隠れ家的なお店なのかと思いきや、店内に7つある円卓はその全てが食事を楽しむ人々で埋まっている。人々の装いはいずれも、女性はドレスかワンピース、男性は襟付きのシャツに品の良い上着だ。指先までをも綺麗に飾り、磨き上げられた靴を履きこなす人々は、優雅な仕草で食事に舌鼓を打つ。その人々の中に、ダイナとアメシスが紛れ込んでいる。
「格式高いお店なのだと予想はしましたけれど、これは想像以上です」
そう呟くダイナの右手には輝く銀のナイフ。左手には同じく銀のフォーク。目の前に並べられるは、芸術品のごとく盛り付けられた前菜料理だ。それが料理であると知っていても、食べることをためらってしまう。
「あまり気を張る必要はない。格式高い雰囲気ではあるが、厳格なドレスコードのある店ではないんだ。食事の作法についても煩くは言われないから、気楽に食べてくれ」
「気楽とは言われましても…」
ダイナは震える右手で、七色のテリーヌを切り分ける。宝飾品のようなフォークでテリーヌの一切れを突き刺し、口に運ぶ。口に広がるのは上品な人参の甘さだ。アメシスの前情報の通り、料理の味は確かだ。しかしこうも緊張していては、折角の美味な料理を心からは楽しめない。ダイナはふぅ、と熱い吐息を吐き出し、ナイフとフォークをテーブルに置く。レモン水の注がれたグラスに唇を付ける。
「美しいな」
突然のアメシスの呟きに、ダイナは口内のレモン水を吐き散らかすところだ。「美しい」との賛美自体は何ら不自然ではない。テーブルの上の前菜料理は確かに芸術品のように美しいし、天井に浮かぶシャンデリアもきらきらと煌めいて美しい。店内の客人にも、美しいと形容される容姿の者は数多くいるであろう。問題なのは、アメシスの紫紺の瞳が一心にダイナを見つめているということだ。「そうですねぇ。あちらの壁際の絵画は美しいですよねぇ」などとは誤魔化せそうにない。
「と、突然何を仰います」
「失敬。何もダイナ殿の上辺だけを見て美しいなどと述べたわけではない。仕草が美しい。ダイナ殿はどこぞの名家のご息女であったか?」
「…いえ。私の父はしがない神具師でございます。私も父の店で神具師として働いていましたが、店にはいつも閑古鳥が鳴いていました」
「ではどこで食事の作法を覚えられた?椅子に腰かける様子も、食器を扱う様子も、とても一庶民のそれとは思えない」
「…練習したんです。死に物狂いで」
ダイナは声を潜め、レモン水入りのグラスをテーブルに置いた。
「私、恋人との結婚を目前にしていたんです。その人は元々神都の人で、仕事上の理由で私の住む村に滞在していました。そして私は結婚を機に、その人と共に神都に移住する予定でした」
そこまで話して、ダイナは唇を噛む。この先を話して良いのかと迷う。一度口に出せばきっと歯止めは利かなくなる。苦痛に溢れた人の過去など、好き好んで聞きたい物好きがいるだろうか。ダイナがそっとアメシスの様子を窺えば、紫紺の瞳は穏やかにダイナを見つめている。どうぞ先を話してくれ、と。
「…でも私はその人と結婚することはできませんでした。捨てられたんです。私より素敵な人に出会ったからって。だから私はその人に頼んで、神都行きの切符を貰いました。父は私の旅立ちに合わせ新たな神具師を雇い入れる準備をしていましたし、小さな村ですから、私の婚約破棄の噂はすぐに広がってしまいます。ただでさえ胸が張り裂けそうなほど辛いのに、人々の好奇の目に晒されることはもっと辛い。だから私は、一人馬車に飛び乗って神都へとやってきたんです。最低限の荷物だけを持って」
「ああ…そういう事情だったのか」
「食事の作法も立ち振る舞い方も、全ては神都に来るために学んだことです。私の元恋人は神都で立派な地位に就くお方でしたから、結婚相手の私が田舎者では不味いと思って。話し方だって綺麗に直しましたし、化粧の方法も覚えたんです。少ない稼ぎの中からお金を貯めて、靴やドレスも買いました。…結局全部、無駄になりましたけど」
心のうちを全て吐き出して、ダイナはふぅと息を吐いた。ダイナが神都に来た理由を知る者は、数ある知り合いの中でルピだけだ。それも詳細な理由を語ってはいない。「恋人に捨てられて、気晴らしに神都へやってきた」と。そうとしか伝えていないのだ。だからダイナが大失恋の経緯を包み隠さず語るのは、神都にやって来て今が初めてだ。
嫌がられただろうか、と思う。折角の美味しい食事に、ただ辛いだけの失恋話は相応しくない。「食事が不味くなるからその話は終いにしてくれ」と言われても致し方はあるまい。しかしアメシスは、フォークを片手に黙り込み何も言わない。返す言葉を決めあぐねているようにも見える。ダイナは努めて明るい声を出す。
「でもどうぞお気になさらないでください。その件について、私の中で決着はついているんです。彼が別の女性を選んだ理由も、聞けば仕方がないと納得は致しました。私にはどうしようもできないことですから」
「…その理由とは?」
「彼、豊かな胸元が好きなんですって。私はこの通り凹凸の少ない体型ですから。こればかりは努力でどうにもなりません」
ダイナはワンピースに包まれた自身の胸元を指さした。男性相手に、しかも2人きりの食事の最中の会話としてはいささか不適切だ。ここまで言えば最早言いあぐねることは何もないと、ダイナは頭に浮かんだ問いを口にする。
「アメシス様はいかがでしょう。女性はやはり、豊かな身体の方が好ましいですか?」
「…心底どうでもいいな。ダイナ殿、貴女は男性器の大きさで結婚相手を決めるのか?」
間髪入れず返された問いに、ダイナは目から鱗が落ちた心地だ。
「心底、どうでもいいです」
「そうだろう。それを重視するという意見も否定はしないが、私は特定部位の脂肪量の多寡で人の価値を推し量りはしない」
そう吐き捨てると、アメシスは何でもないというように食事を再開する。ダイナはまじまじとアメシスの顔を見つめる。不愉快な質問に不機嫌を抱えているかと思いきや、テリーヌを咀嚼するアメシスの表情には笑みが浮かぶ。特定部位の脂肪量の多寡。口にすれば不自然な言葉の羅列を思い出し、ダイナは俯き笑い声を零す。そのうちにアメシスの唇からも笑い声が零れ、2人は顔を合わせて笑う。