初デート
時刻は午前10時45分を回ったところ。神都の中心部にある大通りの片隅に、そわそわと落ち着かない様子のダイナがいた。ダイナの背には、ふくよかな肢体の女性の銅像がある。それはかつて神国ジュリを興したとされる女神像。像の周りは一帯が小さな園庭のようになっていて、ダイナと同じく待ち合わせをする人々で溢れている。「女神像前集合」は待ち合わせの常套句なのだ。
集合予定時刻まで残り10分を切ったとき、ダイナの目の前に一人の男性が現れた。真っ白な白いシャツに、ねずみ色のズボンを履いた若い男性。太陽光を浴びて煌めく紫紺の髪に、同じ色合いの紫紺の瞳。人混みを縫って歩むその人物は、ダイナの待ち合わせ相手であるアメシスだ。アメシスはきょろきょろと辺りを見回しながら、ダイナの元へと近づいてくる。そしてなぜかダイナを一瞥すらせずに、女神像の傍らに身を寄せた。長い腕を身体の前で組み、目の前の人混みをじっと見やる。待ち合わせ相手であるダイナは、すぐ隣にいるというのに。
「あの…アメシス様。こんにちは」
ダイナの挨拶に、アメシスは弾かれたように視線を下げた。紫紺の瞳が驚愕に見開かれる。
「…もしやダイナ殿か?」
「はい、ダイナです」
「それは失敬。昨日と随分印象が違うものだから、別人かと思った」
冷静を装いながらも、アメシスの声音は戸惑いに満ちている。そんなに違うだろうかと、ダイナはふわりと広がったワンピースのすそを撫でた。今ダイナが着ているのは、敏腕美容師ルピに選んでもらった薄桃色のワンピースだ。柔らかな絹地のワンピースは全体に花の刺繍があしらわれていて、腰回りが真っ白なリボンで引き絞られている。人混みを歩きやすいようにとスカートの丈は膝より少し長い程度。そこに薄地のタイツを合わせ、靴はワンピースと同じ薄桃色のカジュアルパンプスだ。長い銀色の髪はルピの手により丁寧に編み込まれ、後頭部でひとまとめにされている。前髪は、最近流行りのぱっつんだ。いつもは軽く白粉をはたくだけであった顔面も、今日はしっかりとした化粧を施している。ルピ御用達の高級白粉に、頬紅、まゆずみ、口紅、その他諸々。敏腕美容師ルピが一時間を掛けて作り上げた顔面は「こりゃどんな男もイチコロだね!」とのお墨付きである。
アメシスは長いこと無言で、ダイナの顔面を眺め下ろしていた。それからあちらこちらに視線を彷徨わせ、やがて申し訳なさそうに口を開く。
「ダイナ殿。街を歩く前に、あちらの店に立ち寄っても構わないか?」
そう言ってアメシスが指さす先は、30mほど離れたところにある男性用の服飾店だ。
「構いませんが…何か用事がおありでした?」
「上着を買うんだ。この気の抜けた格好では、今の貴女の隣を歩くには相応しくない」
「…そうでしょうか」
ダイナは首を傾げる。今日のアメシスの格好は、カジュアルな革靴にねずみ色のズボン。シャツは襟やボタンの付いていない真っ白な丸首シャツだ。昨日の正装に比べれば、まるで別人のような装いだ。しかし街を歩くのに不適切な格好、というわけではない。
「悪いが食事の場所も変更させてくれ。近間のカフェで済まそうかと思っていたが…少し足を伸ばそう。街外れに小洒落たレストランがある。値段は張るが味は確かだ」
「小洒落たレストラン…ですか。あの、私そんなにたくさんのお金は持ってきていなくて」
「金のことは一切気に掛けなくて良い。まずは上着だ。ここで待…いや、悪いが付いてきてくれ。今のダイナ殿が一人になるのはよろしくない」
アメシスは早口でそう告げると、ダイナに背を向け歩きだした。向かう先は30m先にある服飾店だ。人混みに紛れる真っ白な背中を眺めながら、ダイナは思う。恐らくアメシスはアメシスなりに考えて「気の抜けた」格好をしてきてくれたのだ。化粧気のない顔に、擦り切れたワンピース。いつものダイナの格好ならば、今のアメシスが横に並んで何ら遜色はない。食事をする場所も、いつものダイナの格好に合わせて手頃な場所を選んでくれていたのだろう。
「…悪いことをしたかな」
ダイナは呟き、アメシスの背を追い歩き出す。