厄日…?
サフィーが『カフェひとやすみ』を立ち去った後、ダイナはヤヤに頼みその日一日を休日とした。ヤヤは不思議がったが、「誰でも休みたいときはある」とのベリルの援護もあり、突然の有給申請は無事受け入れられたのだ。とはいえ意気消沈のダイナが街に繰り出すはずもなく、店内の片隅で一人読書の真っ最中。テーブルの上には大好きなミルクティー。大好きな場所で、大好きな本を読み、大好きなミルクティーを飲む。心の充電にはそれが一番だ。
本日2つ目となる予想外の出来事が起きたのは、ダイナが3杯目のミルクティーを空にした頃のことであった。
突然目の前に人の気配を感じ、ダイナは書物から顔を上げる。年季の入ったウォルナットのテーブルの向こうには、最近カフェの常連となりつつあるアメシスが腰掛けている。ダイナはちらりと店内を見やる。午後2時を回った今、店内に客人の姿は少ない。5つあるテーブルは、まだ2つが空いたままだ。ならばアメシスは他に空席があるにも関わらず、ダイナとの同席を選んだことになる。
「アメシス様、こんにちは」
「…ああ」
何か用事があるのだろうか。ダイナは続くアメシスの言葉を待つが、しかしアメシスはむっつりと黙り込んだまま口を開かない。ダイナは首を傾げ、読みかけの書物へと視線を戻す。
かちこちかちこち。静かな店内には時計の音が響く。店内にはダイナとアメシスの他にも3人の客人がいるが、皆等しく無言でコーヒーを啜るばかり。いつの間にか、アメシスの目の前にも温かなコーヒーが置かれている。アメシスが入店したすぐ後にヤヤが運んできたものだ。小さなカフェだから、常連ともなれば注文せずとも好みの品が運ばれてくるのである。しかしアメシスがそのコーヒーに手を付けることはなく、ダイナを見つめながらじっと黙り込んでいる。沈黙と熱視線に耐え兼ね、ダイナはおそるおそる口を開く。
「あの、アメシス様。何かご用がおありでしょうか」
「…いや。特に用はない」
「そうですか…」
それきりまた会話は途絶えてしまう。かちこちかちこち。時計の音が響き、次に口を開いた者はアメシスだ。
「面倒な仕事をこなしてきたところだ。それで気晴らしに、ここへ来た」
「はぁ…」
アメシスの言葉に、ダイナは違和感を覚える。面倒な仕事が終わったのなら、それだけで気分は晴れやかなはずだ。気晴らしなど必要がない。しかしアメシスの表情には晴れやかさの欠片もなく、声音は不機嫌に満ちている。
ダイナはアメシスの風貌を観察した。煌めく紫紺の髪と、揃いの紫紺の瞳。固く引き結ばれた唇に、微かに日に焼けた頬。それだけならいつも通りであるが、今日のアメシスは珍しく正装だ。襟の付いた白いシャツに、紺色の上着。上着の胸ポケットには白いハンカチが覗いていて、足元はつま先の長い革靴だ。街はずれのカフェを訪れる格好としては、いささか不適切である。人と会って来たのだろうか、とダイナは思う。恐らくアメシスは、どこかしらの要人と昼食を共にした後なのだ。アメシスは神官舎の関係者であるというダイナの予想が正しければ、国家の要人と食事を共にする機会があってもおかしくはない。その接待の中で不愉快な出来事に行き合い、鬱憤を溜め込んだアメシスは『カフェひとやすみ』へと足を運んだのだ。
つまり今のアメシスとダイナは、同じ状況下に置かれている。ダイナは手の中の本を閉じる。
「楽しいことをなさってはいかがでしょう」
ダイナがそう言うと、アメシスは胡乱げな表情を作った。突然何を言い出すのだ、と。
「面倒な仕事が終わったのでしょう。でしたら自分に何かご褒美をあげないと。幸い明日は週末です。欲しかった物を買いに出るとか、友人と一緒に食事をなさるとか。遠くの街まで足を伸ばすというのも良いですね。明日を楽しみにすれば、過ぎた過去などどうでもよくなってしまいますよ」
「…楽しいことか」
「そうです。実は私も今日の午前中に嫌な事があったんです。それで今日はもう仕事をお休みにして、こうして本を捲っています。ミルクティーもいつもは1杯と決めているんですけれど、今日はもう3杯目。安上りですけれど、お陰で少し気分は晴れました」
楽しいこと、とアメシスは繰り返す。腕を組み、思考に耽る。考え込むアメシスの表情からは、多少不機嫌さが消えている。力になれて良かったとダイナは再び本を開く。その時だ。
「ではダイナ殿。明日一日、私に付き合ってくれ」
「…はい?」
これが2つ目の予想外の出来事。
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悪女が再来しましたので、2話まとめてアップしました。