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厄日

 その日のダイナはことごとく不運であった。いや、ある意味では幸運と言うべきかもしれない。とにかく吉凶の判断は難しくとも、ダイナにとって予想外の出来事が立て続けに起こったのだ。


 赤茶髪の麗人が『カフェひとやすみ』へとやって来たのは、昼食時の混雑が落ち着きを見せた頃であった。空いた皿を盆の上に積み上げていたダイナの耳に、ぎぎ、と扉の開く音が届く。新たな客人かと店の出入り口を見やれば、そこにいるのは予想外の人物。


「…サフィー様?」


 ダイナの脳裏に在りし日の記憶が蘇る。婚約者クロシュラに呼び出されたその日。胸弾ませながら袖を通したドレス。弾丸のように胸を貫いた婚約破棄の言葉。そしてクロシュラに絡みつく赤茶髪の恋敵。


「ダイナ様。本当にこんなところで働いていらっしゃったのね」


 サフィーはそう言って艶やかに微笑むと、ダイナの元へと歩み寄った。磨き上げられた紅のヒールが、かつかつと床を打つ。


「勘違いなさらないで。何も貴女の惨めな姿を見に来たわけではないの。私、貴女が心配だったのよ。ろくな神具も作れない貴女が、一人神都に赴いてどうやって暮らしていくのかしらって。でも様子だと、最低限の生活は送れているみたいね。良かったわ」


 高らかと語られるサフィーの言葉を聞き、ダイナは愕然とする。薔薇模様のワンピースを翻すサフィーの姿は、傍から見れば天女のように美しい。しかし紅色の唇から語られる言葉は美しさには程遠い。ダイナに対する優越感と、悪意に満ちている。

 私はこんな悪女に愛する人を盗られたの?湧き上がる動揺を胸の内に留め、ダイナは言う。


「私がここで働いていることを、どうやってお知りになったのです」

「私の勤める神具店に、このカフェの常連がいるのよ。銀髪の女の子が働いていると聞いて、もしかしたらと思ってね。一点の曇りもない銀の髪なんて、神都でもあまり見かけないでしょう」

「…サフィー様は神具店にお勤めなんですか」

「そうよ。大通りの2本南側の通りにある白塗りの店。加護付きの剣を持参したら、その場で採用をいただいたわ。神都の神具店はレベルが高いと聞いていたけど、拍子抜けよ。たった一晩で仕上げた剣で採用をいただけるなんて」


 大通りの2本南側の通りにある白塗りの店。それはダイナがこの街に来て、最初に訪れた神具店だ。持ち前の神具を披露し、あえなく不採用を突きつけられた神具店。ダイナが手に入れられなかった物を、サフィーはまたしても手に入れたのだ。神都での恵まれた暮らし、神具師としての地位、クロシュラの愛。サフィーの幸せはダイナの犠牲の上にある。ふつふつと憎しみが湧き上がる。どす黒いダイナの心の中を知ってか知らずか、サフィーはご機嫌と語る。


「今日はお店がお休みだから、街歩きを楽しんでいたのよ。私、神都に来て本当によかった。ずっと憧れていたの。だって神都には私の欲しい何もかもがあるんだもの。綺麗な服も、美味しい食事も、たくさんの人の羨望の眼差しも。誰もが私を羨むわ。だって私の夫であるクロシュラ様は、いまや栄光ある神都隊の副隊長だもの。最高の肩書よ。偽りの愛を誓ってでも、手に入れた価値はあったわ」

「偽りの、愛?」


 ダイナは一瞬、その言葉の意味を掴み取ることができない。


「そうよ。貴女には悪いけど、私はクロシュラ様のことを愛してはいないわ。神都に来るために利用しただけ。言い方を変えれば―たぶらかしたのよ」

「たぶらかした…」

「先に言っておくけれど、このことをクロシュラ様に告げ口しても無駄よ。クロシュラ様は真に私のことを愛していらっしゃる。私も、彼の前では慎ましやかな淑女を演じているわ。貴女が私のことを悪し様に告げ口したとしても、信じてなどもらえない。まぁこんな寂れたカフェの店員が、栄えある神都隊の副隊長にそう簡単に会えるとも思えないけれど」


 悪意に満ちたサフィーの言葉は、ダイナの脳髄に染み渡る。サフィーはクロシュラを愛してはいない。恵まれた神都での生活を求め、クロシュラの愛を利用しただけ。ダイナを蹴落とし、全てを手に入れた。

 この悪女。ダイナは拳を震わせ、罵倒を吐き出すべく口を開く。しかしダイナが叫ぶよりも寸分早く、先に悲鳴を上げた者はサフィーだ。


「冷たい!一体何!?」


 いつの間にか、サフィーの背後には男が立っていた。サフィーよりも遥かに背の高い老齢の男だ。短く刈り上げられた白髪、年齢以上に力強い眼、筋肉の盛り上がった2本の腕。顔面に仏頂面を貼り付けたその男は、カフェの厨房担当であるベリルだ。つまりはヤヤの夫。ベリルの右手には、空のグラスが握られている。グラスの縁からはぽたぽたと水滴が落ちるから、どうやらその中身をサフィーの背に流しかけたようだ。


「おっと姉ちゃん、悪いな。うっかり手が滑っちまった。しかしそこに立たれると片付けの邪魔だ。注文する気がないならとっとと帰れ」

「何よ―」


 サフィーは一瞬声を荒げ、しかし結局何も言わずに口を閉じた。自分よりも遥かに高い場所にある、ベリルの双眸を見たからだ。ベリルは元々神都隊の隊員であった。高齢を理由に神都隊を退役し、そしてヤヤとともに『カフェひとやすみ』を開いた。退役からもう数年が立つが、鍛え上げられた体躯は健在である。

 サフィーは悔しそうに表情を歪め、ワンピースのすそを翻し店を出て行った。ベリルは何も言わずに、ダイナの頭を一撫でし厨房へと戻って行く。残されたダイナは、人気のない店内で一人呆然と佇む。


―私はクロシュラ様のことを愛してはいないわ

 サフィーの言葉がぐるぐると巡る。

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