アメシス
ダイナが紫紺の髪の男と3度目の相対を果たしたのは、神都の街中を歩いている最中のことであった。ヤヤに頼まれた買い出しを終え、両手いっぱいの手荷物を抱えたダイナは、人混みの中にその見知った頭を見つけたのだ。声を掛けようか、否か。数秒迷った後に、ダイナは勇気を奮い起こす。
「お久し振りです」
喧騒に負けぬよう声を張り上げると、紫紺の髪の男はすぐに振り返った。
「ダイナ殿。久方振りだな」
「お仕事ですか?」
「半分は仕事、半分は趣味だ。街の裏路地にある小さな神具店を巡っていた」
「へぇ…神具関係のお仕事に就かれているのですか」
「一部関わりのある仕事だ。神都内で製作される新商品には、極力目を通すようにしている。大通りの大きな神具店は、新商品が発売されると大々的な広告が出されるだろう。しかし個人の小さな神具店は、こちらから足を運ばねば新商品を見落としてしまう。だからこうして、時々街を巡っている」
「そうなんですか…」
ダイナは腕の中の荷物を抱え直した。本日の買い出しは食パン3斤に牛乳5リットル、それに数点の調味料。ダイナの華奢な腕には余る品物だ。紫紺の瞳が、ダイナの荷物へと落ちる。
「ダイナ殿は、買い出しか」
「はい。お陰様でカフェの人入りが増えていて、仕入れが追い付かないんですよ」
ダイナが無事大口注文の納品を終えたのは、今日から2週間ほど前のことだ。達成感に浸ったのは束の間のことで、ダイナの休息を奪うようにカフェの人入りが増え始めた。それも、初めて『カフェひとやすみ』を訪れる新客ばかりだ。数人の客人に事情を聞きただせば、どうやらダイナが神具を納入した神官舎の内部で、『カフェひとやすみ』が話題になっているという。最近神官舎内で出回っている便利な神具は、どうやらそのカフェの店員が作ったものらしい―と。そうして珍しいもの見たさのお役人らが、『カフェひとやすみ』を訪れているのだ。嬉しい悲鳴、と言えば正にその通りである。
「店の売り上げに貢献できたようで何よりだ。では宣伝の責任者として、こちらの仕入れ商品は私が運搬させていただこう」
紫紺の男はそう言うと、ダイナの腕の中から荷物を取り上げた。有無を言わせぬ、一瞬の強奪である。
「お、お待ちください!それは私が運びますから!」
「気にするな。どうせ、今日はもう私宅に帰るだけだ」
ダイナは荷物に向けて手を伸ばすが、紫紺の男はそれを返すつもりは更々ないようだ。ダイナの制止を歯牙にもかけず、人混みの中を歩み出す。ダイナは大人しくその背に続く他にない。『カフェひとやすみ』までは徒歩で5分ほどの道程だから、男にとって大した寄り道にはならないだろう。
「私の神具、評判はいかがですか」
横を歩む男に、ダイナは問う。
「良い。神官舎の備品として配布しているが、人気の品は既に在庫が半分を切っている。消耗品については定期的に発注を掛けるから、暇なときに作り貯めておいてくれ」
「わ、わかりました」
「最も評判の良い神具は誤字鏡だな。仕事柄、書類の誤字には気を遣う。外部から人を招いて会議を行う際には特にだ。書類の誤字チェックは数人体制で行っていたが、今では一枚の鏡を覗き込むだけで事が済んでしまう。会議前の残業が減ったと、神官の間からは嬉しい悲鳴が上がっている」
「そうですか。お役に立てて良かった」
誤字鏡とは、手鏡の形をした神具だ。鏡面に文章を写し込めば、誤字部分が赤く発色して見える。人の名や国名などの固有名詞には反応しないところが玉に傷であるが、それでも誤字鏡はダイナの自信作だ。ガラクタ神具と言われたダイナの作品の中で、唯一その品だけは、故郷のお役人相手に5つを売り上げたのだ。もっとも在籍者が十数名程度の役所では、大した役には立たなかったと聞いているが。
しかし所変われば品物の価値は変わる。国家の中心部である神都のお役所ともなれば、日々作成される書類の量は膨大だ。会議に招かれる人数も、故郷のそれとは天地の差だろう。誤字鏡が人気を博している、という男の言葉にも納得である。苦労が報われたのだと、ダイナは胸のうちが温かくなる。
そうして神具について他愛もない話をするうちに、2人の足は『カフェひとやすみ』へと辿り着いた。店の前で、ダイナは男から荷物を受け取る。
「荷物、ありがとうございました。ぜひまたカフェに顔を出してください」
「ああ、仕事が落ち着いたらそうさせてもらおう」
「失礼ですがその…貴方のお名前は?」
ダイナが問えば、男は無表情の中に笑みを作る。今まで見た中では、一番笑みらしい笑みだ。
「私の名は、アメシスだ」
誤字報告ありがとうございます!