神に誓った契約です。浮気は許されません
私は、婚約者の黒く染まった元腕輪を見て、残念に思った。
初恋の人なのに。美しい顔が、父親に殴られたのだろうか、ボコボコになっていた。
私が婚約したのは、10歳の時。相手は、私を溺愛する父が、一人娘の婿にと選びに選んだハインライン伯爵家の次男、優秀で美しい、当時15歳の少年だったキリアン様。
父は、私の幸福を願って、神前契約による婚約式とした。
内容は、誠実であれ、ただそれだけ。
神前契約は、とても高価なものであるが、その価値はあった。
神の目は、ごまかせない。
3年後の今、誓約の証であった銀色の腕輪は、真っ黒に変色して、神の断罪の証として、手首から位置を首にかえ首輪として、キリアン様に巻きついていた。
今日は、両家による、婚約破棄のために神殿にきていた。婚約が神前契約であったゆえに。
神官、貴族院の立会人、父と私、ハインライン伯爵夫妻、キリアン様、そしてキリアン様の浮気相手とその両親。キリアン様は、父を甘くみていた。父にかかれば、キリアン様の素行調査など造作もないこと。何日の何時何分の行動まで、父が知ろうと思えば丸裸にされるのに、何故、浮気がバレないと考えていたのだろうか。
「貴族の血筋は守らねばならぬ。結婚前から種を撒き散らし、将来の御家騒動の元をつくる婿など言語道断。このまま結婚するということは、ハインライン伯爵家は、我がリア侯爵家の血を断絶させ、のっとるおつもりか?」
父の声は、零下の氷よりも冷たい。
「お願いいたします。キリアンは若さゆえの過ちなのです。どうか一度だけ、寛大なお許しを」
すがりついてくるハインライン伯爵は、自領で大きな水害がおきたばかり。どうしても、リア侯爵家からの援助がほしいのだろう。
この3年間、私はキリアン様との間に、信頼関係と愛情を成せるように努力してきた。けれども、それはキリアン様にとって、子守りをさせられている、と不満だったらしい。おままごとだ、と。
私は、ため息をついた。
「たった一つの約束すら守れない方に、リア侯爵家はまかせられません」
父も、頷いた。
「神の前で誓ったのだ。浮気は許されない。リア侯爵家は、婚約不履行の賠償金を、ハインライン伯爵家にもとめる」
ハインライン伯爵が、ガックリと膝をついた。水害のうえに賠償金までともなると、伯爵家はおそらく傾いてしまうことになるだろう。
青い顔をしたキリアン様は、愛人をつくっても、私と結婚する気でいたらしい。財産家として有名なリア侯爵家の婿予定者として、皆からチヤホヤされてきたのだ。当主となれば、どれほどの栄華を極めることができることか、皮算用をしてきたのに、残ったものは黒い首輪。誰もが知っている、神が認めた罪人の証。誰も彼を信用しない。もう貴族として、いや平民としてさえ、健やかに生活できるのかすらあやしい。
キリアン様は、自分の優秀さを過信しすぎた。優秀な者が自分だけだと、リア侯爵家の婿になれる者が自分だけだと、思っていたのだろうか。
何より、愚かすぎるほど愚かにも、神への誓いの重さを理解していなかった。
10歳の私ですら、キリアン様ただ一人を愛すると誓ったのに。彼の誓いは、口先だけだった。
長い、長い、ため息をはくとともに、私は初恋の残滓をふりはらった。
私は、父にエスコートされて、神殿を後にした。後ろでは、キリアン様たちと浮気相手とその家族が、お互いを罵りあって怒鳴っていた。
ありがとう、初恋の人。
とことん幻滅させてくれて。
未練も残さず、あなたを捨てることができるわ。