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レイン

作者: フー

よろしければ、目を通してくださいね。

 

       レイン


 公園でたむろしている若者達がいた。しゃがみ込み小さな輪を作って何やら話をしていた。私は遠巻きにその姿をぼんやりと眺めていた。別に若い頃を思い出すわけでもなく、若さを羨ましいと感じていたのではない。ただ視界の中にその人達はいた。

 所々、ペンキの剥げた焦げ茶色のベンチに腰をかけ、仕事にあぶれた私はこの先どうするか考えていた。

 空の色がどんよりしている。太陽は遠くに行ったように薄くぼやけていた。梅雨の空だ。

 ポツリと頭上に雨粒が落ちた。どうやら雨が降り始めたようだ。ふと彼らの方に目がいく。少し狂気じみた声をあげながら一人の青年がおどけていた。少し私は恐怖を感じた。

 やがて雨は激しくなり、彼らは公園から姿を消した。雨の中、私は何故かベンチに座ったままだった。遠くから犬の鳴き声が聞こえる。全身がずぶ濡れになっていることをどこか他人事のような気がしていた。それは、これからの自分の生活が自分のものでないような気になっているような、とても、ぼんやりとした思いだった。

 稲光がし、増々雨は激しくなってきた。雷の音、打ちつける雨、うっすらとした霧のような目の前の光景に私は吸い寄せられていた。

「大丈夫ですか」背後から男の声がした。驚いて振り向くと、雨合羽を着た若い警官がいた。

「まあ」と私は細い声をだした。不審者と思われているのだろうか。

「風邪、引きますよ」警官は優しい声で言った。

「すいません、ちょっと、ボォとしていて」

「お住まいはこの辺りですか」警官は申し訳なさそうに言った。雷の音が響く。

「そうです。すぐそこのアパートです。免許証、お見せしましょうか」

「いえ、大丈夫です」警官は笑顔を見せた。

「心配してくれてありがとうございます。もう、家に帰ります」そう言って私は腰を上げた。

「それがいいですね」警官は何度か肯いた。

 公園の外まで二人は並んで歩く。


「最近、この辺で、中年の男性が昼間、若い男に殴られ、お金を奪われた事件がありまして」ふと、さっきの若者のことが頭によぎったが、なんとなく何も言わないほうがいいと思った。

「そうですか」と返事をした。公園を出て警官はバイクにまたがった。

「お気を付けて」

「ありがとうございます」

 警官はバイクのエンジンをかけ首を縦に何度か振り、走り去った。

 雨は少しマシになっていた。強めの風が吹いた。

 家に戻って、服を脱ぎ熱いシャワーを浴びた。体が温もり、先のことを考えなければと思った。

 部屋の中に薄暮の光が射し込んできた。やけに喉が渇き、さっき脱いだジーンズのポケットから財布を取り出し、中身をみた。千円札が何枚かと小銭が少々、ビールが飲みたくなった。

 窓を開け、雨が降っているかどうか確かめた。小雨がまだ降っていた。洗濯したばかりのさっきとは違うジーンズを穿き、白いシャツを着た。玄関でスニーカーを履き、横に置いてあるビニール傘を手に取った。ドアを開けるとムッとした空気が立ち込めた。

 ゆっくりとした足取りで遊歩道を歩き、自動販売機の前で足を止めた。お気に入りというか、いつもの発泡酒に目がとまる。小銭を入れ、ボタンを押す。ドンと大きな音が受取口から響く。ビールを取り出すと手に冷たい感触が伝わる。雨はやんでいた。

 家まで持ち帰るのが何か面倒になり、その場でプルタブを開け、喉にビールを流し込んだ。ほんのりとやわらかく頭の中がぼやける。缶ビールを自動販売機の横にあるブロック塀に置き、胸ポケットから煙草を取り出し火をつけた。紫煙が空に昇る。ビールと煙草で私は少し恵まれた気持ちになった。

 自転車に乗った若者がチラリとこちらを見て、通り過ぎていく。変なオッサンだと思っているのかも、と想像した。

 空を見上げるといくつかの星が輝いていた。何となく、人は皆、平等のような気がした。

 来た道を幾分軽くなった足取りで家に戻ってきた。置時計に目をやると小一時間ほど時は流れていた。心の中にある大きな砂時計の砂が僅かに落ちた気がした。

 テレビのスイッチを入れ、何気にバラエティー番組を見る。楽し気にしている箱の中の人のことを羨ましいと思う反面、この人達も、これが仕事なのだと感じた。

 先のことを考える。今は何とか失業保険で食いつないでいるが、このご時世、次の仕事をみつけるのは大変だろう。ふと、公園でたむろしていた若者のことを、また思い出す。彼らはいったい何を考えているのだろうか。顎に手をやり、窓の外を眺めた。立ち上がり窓を開けた。夏の香りがした風が部屋の中に入ってくる。何故か、海が見たくなった。時間はある。明日、海を見に行こう。そう思った。急に眠くなり、私は静かに眠りについた。

 目を開けると、部屋の中に、朝の光が射し込んでいた。随分と眠ったようだった。布団から出て、シャワーを浴びた。シャンプーが切れているのに気づき、石鹸で頭を洗った。何か、面白くなり、クスリと笑った。

 体を拭き、ボクサーパンツを穿き、白い無地のTシャツを着た。軽く首を回したり、体をひねってみたりした。まだ体は丈夫かもとも感じた。昨日と同じシャツを着、ジーンズを穿いた。

 昨日の朝は海を見にいくことなど全く考えていなかった。俺は家の外に出た。雨は降っていなかったので、傘は持たなかった。東の空に昇ったばかりの太陽をみながら、どこか爽快な気分だった。

 駅に着くと、始発の電車がちょうどやってきた。扉が開き、車内に入ると、ほどよく冷房が効いていた。

 緑色のシートの端に腰を掛ける。電車がゆっくりと進みだす。機械の音が徐々に高音になっていく。車内には人の姿はまばらだった。私は向かいの窓の外の景色を眺めていた。

 私は誰なのだろう。不意にそんなことを考えた。景色は確実に変わっていく。どこか自分が、透明になったよう気がした。

 私は今まで何を信じてきたのだろうか。とても長い夢の中にいるような気がした。目を瞑り、静かに自分が呼吸をしていることに戸惑った。何故か、眠気がやってきて、スーッと眠りに落ちた。

 目を開けると、窓越しには海が開けていた。陽がさしていて海面はキラキラと光っていた。

 駅に着き、ホームに出ると,潮の香が心地良かった。改札を出て、階段を降りると、すぐ砂浜だった。波の音が、ゆるやかに流れる。砂の感触が足の裏にじんわりと感じる。オアシスが目前の砂漠を歩いているような気がした。海上では、ウィンドサーフィンをしている人たちがいた。

 雲間から太陽の陽は優しく感じられた。

 私は大きな流木に腰を掛けた。いつものように携帯灰皿を取り出し、煙草を吸う。久ぶりに旨い煙草を吸ったような気がした。

 子供を連れた人が目の前を通り過ぎる。小さな子供は時折、大きな声をあげ、海を喜びの目で見ているようだった。

 母親らしき人は微笑ましくその姿を眺め、父親らしき人は少しばかり難しそうな顔をしていた。

 煙草を吸い終わり、立ち上がり、波の近くまで歩いた。ふと振り返ると、私の足跡があった。夜になれば、きっと潮が満ち、この足跡はなくなるだろう。でも、今は足跡は確かにある。

 波の音が少し大きく聞こえる。水平線には異国からやって来たのかもしれない船が航海をしている。私が船を見ているのか、船が見ているのか、霧笛が聞こえた。時間という概念が心の中に降りる。

 さっきの子供が嬉しそうに走り回っていた。柔らかい風が海の方から吹き抜けてくる。子供が躓いたと思ったら、そのまま転んだ。私はその光景がとても不思議に感じた。大きな声で泣き出し、海が騒いだような気がした。父親らしき、いや、きっとそうだろう。  

 子供を抱き起し、頭を撫でる。母親は優しい笑顔を向けていた。やがて子供は泣き止み、一組の家族は私の視界から消えていった。

 よせてはかえす波に、自分の心臓の音が重なっていくような感覚があった。陽はまだ昇ったばかりだ。私は重い荷物を下ろし、ぼんやりと佇み海に同化していく。胸の中の砂時計がカチリと音を立てたみたいだった。

 空を見上げると海鳥が自由に飛んでいた。雨が降らなければいいのに。

 潮の香が染みついたような体で、ゆっくりと駅に向かった。

 ホームに電車がやって来た。大きめの音がし、扉が開く。乗り込もうとした時、なんだか、この電車に乗る必要はないような気がした。次の電車に乗ろうと思った。ためらうように扉が閉まり、電車は発進した。

 喉が渇き、ホームの中央にある自動販売機で飲み物を買い、ベンチに座った。水分を補給したい時に、喉を潤すことが出来ることはとても幸せなことだ。少し顔がほころんだ自分に気づいた。

 ジュースを飲み干し、暫く帰る方向にある線路の先をじっと眺めていた。やがて、アナウンスの声が聞こえ、ホームに電車が到着した。ベンチから離れ、私はその電車に乗り込んだ。

 車窓から見える街並みが、来た時と違って見える。当たり前のことが、浮かんでくる。金を持っている人、貧しい人、病に臥せている人、恋をしている人、絶望している人、希望に満ちている人、私はいったいどうなのだろうか、反対側の線路を電車が通り過ぎていく。

 いつもの見慣れた駅に着いた。陽は真上にあった。腹が減り、コンビニでパンを買い、店の前でほおばった。汗がしたたり落ちる。

 ポツリ、ポツリと雨が降りだした。傘を買おうか迷ったが、小雨なので、早足で家に帰ることにした。

 もうすぐ家というところで雨は上がった。また、妙に煙草が吸いたくなった。目の前には昨日の公園があった。

 公園の入り口の脇の植え込みに雨の滴を受けた紫陽花が生き生きと輝いていた。

 いつものようにベンチに腰を掛け、煙草をくゆらせる。いつもより旨い。

 どこからともなく、バイクの大きな爆音が聞こえた。それはこちらに向かってきていた。私は嫌な予感がした。

 バイクに乗った若者は昨日の連中だった。彼らは公園の中に入って来た。私は立ち上がり、公園の外に出ようと思った時、一人の青年がこちらに近づいてきた。

「あの、煙草の火、貸してくれません」青年は悪びれるわけでもなく言った。ちょっと私は戸惑ったが、百円ライターを手渡した。

「ありがとうございます」意外に礼儀正しいと思った。青年は煙草に火をつけ、頭を下げた。まだ未成年だ。まあ、でも、私も若い頃から吸っていたことを思い出す。

「おじさん、昨日もいたね」

「ああ、まあ」

「みんなで、言ってたんだよ、なんか、雨に濡れて大変そうって、だいじょうですか」

「まあ、なんとか」

「ならいいけど、じゃあ、ありがとうございます」そう言って、青年はバイクの方に行き、また、頭をペコリと下げ、仲間達と消えていった。

 空を見上げると、雲間から太陽が顔を出していた。もうすぐ夏だ。私はベンチから立ち上がった。    

                                 了









読んでいただき感謝です。

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