Ⅵ.-閑話休題-
「植民に対する興味を失われた様ですね」
その生温い声に、私は振り向いた。
「この頃は、学会にこそいらっしゃるものの、発言される機会がめっきり減ったではございませんか」
現在、学会で大きな発言力を持つ若手の研究者だ。
何も知らない、という顔をしているが、私を学会から追放しようとしているのは、間違い無く奴だ。
「・・・元々、植民に対する興味など無い」
嫌な声だ。学会などもう行きたくない。其でも行くのは、長年あの家に独りにさせていたアンを悲しませたくない為だ。今更になって研究を放棄する事は、逆にアンを悲しませるだろう。
だが、世界が宇宙移民を求めるようになってからは、私の中では学会へ出席する必要性は無くなってしまった。
だが、奴はこんな事を言うのだ。
「あら、其はおかしいですね。貴方は火星に興味が御有りなのでは無いのですか?」
「私が興味が有るのは太陽系全般だ」
「あぁ、植民は別に火星に限らずとも、他の惑星でも出来ますものね」
「違う」
私は苛々した。何故こうなってしまったのか。何故人間は、自分達だけが助かる道を選ぶ?何故生れた星を棄てる。
眼中にちらつく若僧の顔が、ピエロの如く戯けている。何が・何が愉しいのだ。何が可笑しい。
「其はおかしい」
嗤っている。奴は嗤っている。何がおかしい。何が可笑しい。
「何が可笑しい」
私は声に出して言った。苛々する。こいつは本当に人間か?歪んだ笑顔はまるで、気狂いピエロ(ピエロ・ル・フ)だ。私は少しぞっとした。
「貴方は、人間は地球に生れたから地球に住むべき、と考えておられる様ですが、其は違う。そんなもの、カーマーゼン地域に生れた者は一生をカーマーゼン地域で過すべき、と言っている様なものです。併し、そんな考えは100年以上前に否定されました。現代はカーマーゼン地域の者でも、自由にロンドンへ移住したりしていますよ」
「私が言いたいのはそんな事では無い」
私は声を荒げた。何と理解に欠ける者だ。奴は間髪入れずに勝手に話を進めていく。
「其とも何です?地球が危険地帯になったからといって他の惑星へ移住するのは、貴方の愛郷心に反すると?そんなくだらない愛郷心を他人に押し付けて、移住の邪魔をする事はやめて頂きたい。もう100年以上前でしょうか・・・“疎開”という政策が在った事は、貴方も御存知でしょう。戦争に捲き込まれない様に避難する、あれですよ。似たようなものです」
「我々には、この地球に対する責任が有る」
「・・・・・・・・・責任?」
奴の笑顔に侮蔑の表情が加わる。そして、その侮蔑は間違い無く私に向けられている。奴の声色が変った。
「いいですか?フラーレン先生。万物は、神が与え給うたもの。神は1日目に、原始の海の表面に混沌した暗闇がある中、光を創り、2日目に天を創りました。3日目に大地を創り、4日目には・・・太陽と月、そして星を創られたのです。そして5日目に魚と鳥を創り6日目にこう言われたのです。
『我々に模り、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚・空の鳥・家畜・地の獣・地を這うもの総てを支配させよう』
――人間は、神に最も愛されし種族。人間の降り立つ処は何と呼ばれますか?そう『大地』です。降り立てば、何処の惑星も大地。
『産めよ、殖えよ、地に満ちて地を従わせよ』―――『地』と『大地』は同意義です。太陽も月も、人間が産み、殖やすべく用意された舞台―――地球だってその一つに過ぎないのです。勿論、人間が之から向かう火星も―――神が人間に課せられた責任とは、産み、殖やし、人類が未来永劫生き続ける事です」
「馬鹿馬鹿しい」
私は言った。
「君はいっその事、宗教家にでも転じたら如何か?君も研究者ならば、研究者の思考で考えてみ給え。太陽はガス星だ。はっきりした表面など存在しない。木星型惑星にしたってそうだ。どうだ、之で太陽のみならず、木星・土星・天王星・海王星の可能性が消え」
「核が存在するではありませんか」
・・・驚いた。こいつは、木星型惑星の核にまで降り立つ事を考えているのか。あの、ブラック‐ホールの様な莫大な質力の中を。
「フローティング‐シティを作れば核まで辿り着く必要も無くなりますしね」
「出来ない」
私は半分、意地になっていた。若者に言い負かされたからというくだらない理由ではない。出来てはいけないと思ったからだ。
「・・・その根拠は?」
奴が訊く。私はその根拠など有してはいない。いや、根拠は有るが、之を言ったところで理解できる様な物解りの良い相手では無い。併しながら、こんな根拠を述べるのは研究者として如何かと、後になって思った。
「・・・之迄で、其を為し遂げた人類が存在しないからだ」
奴は、案の定ふっと哂った。
「誰も為し遂げた事の無いものを研究するのが、我々研究者の仕事でしょう?其に―――」
奴が最後に言った科白が、何故か今も頭から離れない。
「貴方がそう言えるのは、貴方が“地球人”だからですよ」