Ⅲ-Ⅲ.乗れない高級車
変わった店であった。私は家に帰らずに、新たなカフェを探す。特にドリンクを飲みたいという訳ではないが、まさかカフェの全てがあの様な店ではあるまいなという確認である。
変わった店員であった。何の為にあの店へ行ったのかがわからない・・・あぁ、そうだ。少しだけ、期待をしていたのだ。アンが、若しかしたらあのカフェにでも飲みに来るのではないかと思って・・・
日記に書かれていたカフェが何処であるのか、私には判らない。だからといって、捜す心算は特に無かったのだが・・・
私は之まで無かった解法の浮ばない感情に、頭を捻った。研究から手を引くと、こうも腑抜けになってしまうのか。
其とも、研究に現を抜かしていた事への付けが回って来たのか・・・
何れにしても、実に愧ずべき情けない情況だ。心理学者ならば、この何とも掴み所の無い嫌な感情の原因と、解法を知っているだろうか。本来、こんな事を考える位なら家に帰ってマクスウェル方程式の百問テストでもしていたい。
だが足は、勝手に家とは逆の方向へ歩いている。カフェテリアを探し、彷徨っている。変わった店員を探しているのか、アンを捜しているのか、もう私に判別は付かなかった。
年を取ると、物事への執着が激しくなると云うが、その通りだと思った。その所為で、全く思い通りに事が運ばない。
自信が無い。あの若僧に奪られないという自信が。少し前までは、私も腰が曲がっていなくて、其形にハンサムだったのに。
若僧が目に入ると、自身の衰えを直に感じる。
――――そうか。
年寄りの執着心は衰えに因る自信の喪失・不安から来る・・・・・・ふふ。如何だ、心理学者。中っているか―――?
ステート=シェリフが車に乗った。
しまった。シェリフだからと油断した。彼はある種とても失礼な事を本気で思った。
背中が痛い。がりっと音がした。
ドアが開かない。鍵を開け・・・とパワー‐ウィンドウのボタンの位置を探る。
が、ボタンの数が多すぎて、どれが鍵の開閉ボタンだか判らない。30個はあるのではなかろうか。
取り敢えずとにかく適当にボタンを押すと、突如、ヘッド‐ライトが光を放った。
「あ、ソレヘッドライトワイパー」
ウィーンウィーンとワイパーの音が聞え始める。サーベイヤーは暫し呆然とした後、我に返って隣のボタンを押した。
ウィーンウィーンと音が2倍になった。
「ソレ、リアワイパー」
後部を見るとリア‐ウィンドウについているワイパーが左右に触れている。サーベイヤーはその隣のボタンを押した。
「ソレ、平行連動式ワイパー」
次。
「ソレ、対向式ワイパー」
次。
「ソレ、パラレル式ワイパー」
次。
「ソレ、オーバーラップ式ワイパー」
・・・・・・次!
「ソレはワイパーブレードのゴムを自動的に交換する・・・」
「どうしてワイパー‐システムばっかりなんだ!!ワイパー‐ブレードのゴムくらい自分で交換しようよ!!」
サーベイヤーは次から次へボタンを押しながら泣きたくなった。
「あんたがワイパーのトコばっかがちゃがちゃやってるからだよ」
シェリフがフォロー無しに一蹴する。ウィーンウィーンと絶え間無く、単純計算で6倍の音量でワイパーが鳴る。側面の窓ガラスまでワイパーが稼働して、逃げ出すのさえ怖くなった。
バッコンバッコンとワイパー‐ブレードのゴムが交換され、古いゴムが乾いた地面に落ちる音まで加わる。この車体の周囲は赤い土ではなく黒いゴムに覆われている事だろう。
「・・・・・・出せ」
サーベイヤーがドアに手を掛けて凄んでみせる。だが、ドアが開いても開かなくても非常に微妙な気分であった。
「ほら、早く出しなよ」
シェリフが脚を組んでハンドルを蹴る。サーベイヤーは・・・・・・は。と彼女の座る助手席を見た。
何故か自分が運転席に座っている。
「何で・・・・・・?」
「さぁとっととあたしをオポチュニティの所へ運びな!お持ち帰りされてやるよ!」
「は!?」
この様な高級車だ。無駄に高級に造ってある。面倒くさがりやの為に在る様な車だ。傷でも付けようものなら・・・只では済まない。
「い・・・っいやいやいや!!シェリフさん運転してよ!!あなたの車でしょう!?」
サーベイヤー、逃げるという目的を忘れている。シェリフはあたしの車である事に、う・・・っとはらわたを押さえて苦しみ、ふっふ・・・と哂った。
「コレは・・・アレさ。こんな高級車に乗る事は、ニートで引き篭りなあんたには滅多に無いだろうから、譲って遣ろうってんだよ・・・」
ニートで引き篭りと言われたサーベイヤーがカチンとくる。あれほど禁句だと注意したのに。
・・・・・・へぇ?とサーベイヤーは目尻を上げると、シェリフの脚のあるハンドルに手を掛けた。シェリフの碧の双眸に顔を近づける。
「・・・・・・ペーパー・ドライバーとかいうやつなんでしょ。運転ニガテな」
シェリフの碧の眼にサーベイヤーが映る。シェリフの瞳が切なげに潤んで・・・・・・あぁ、そうさ。と紅い唇が呟いた。
「・・・・・・あぁ。そうさ!!この歳になっても車の運転免許持ってないよあたしゃぁ!!今でも毎日お迎えだよ!!」
そう呶鳴ってハンドルを蹴り上げた。想像し得なかった事態にサーベイヤーも衝撃を隠せなかった。
「え!?免許すら!?」
彼はハンドルに置いていた手を胸の前で押えた。冗談で言ったつもりが、事実が冗談を超えてしまった・・・後悔が大きすぎて、心だけでなく肉体であるこの手にも、衝撃がきてしまった様だ。
「・・・・・・じゃあ、この車はシェリフさん個人のじゃ、ない・・・・・・?」
そして更に、ワイパー‐ブレードのゴムをばら撒いてしまった事を悔んだ。シェリフのだからいいと思ったが、そうでなければ他人に迷惑が掛かる。彼は非常に片寄った責任感の持ち主であった。
シェリフは如何にも傷ついたという顔で、声のトーンも落とし、首も力無く小さく振って、ハンドルをパワフルに蹴り上げて答える。
「・・・いや、こりゃあたしんだよ。あたしのおじさまがバースデー・プレゼントに買ってくれたやつだ」
サーベイヤーは身を小さくした。ささやかに、だが明らかに抗議をしている。おじさまを笠に着て。
「それに、あんたもクルマが必要だろう?徒歩で、ドコに居るかわからないオポチュニティを捜すつもりだったのかい?」
サーベイヤーは目を大きくした。
「・・・コレで相互関係が成り立つね。さぁ、出しな。お目当ては人間。移動するよ・・・・・・?」
サーベイヤーは、シェリフの太っ腹さに白旗を揚げた。
「もう一度訊きたい」
サーベイヤーは再びハンドルに手を掛ける。ゆっくりと回し、玩んだ。
「俺にこんな高級車を運転させてくれる、その意は?」
シェリフは待ってましたとばかりに、不敵な笑みを浮べてサーベイヤーを見た。そして、揺るぎなくこう答える。
「仲間だからに決まってるだろ・・・!」
サーベイヤーはこの言葉を甚く胸に刻みつけ、ハンドルを今度は本格的に握る。そういえば、この男は運転が出来るのだろうか。
シェリフが至近距離から車のキーを投げ渡す。その意はそうした方が格好いいと単純に思ったからであって、普通に手渡しをした方が早いのではないかという疑問は受け付けない。この二人はアクションに拘るのだ。
キーを挿す。エンジンが掛る。熱の籠った風が二人の髪を吹き上げる。
パーキングからドライブへ。フット‐ブレーキを上げて。意外に順調・・・ ガコッ!
「!?」
タイヤがまだ進んでもいないのに空回りし、噴煙を上げ始める。ゴムの焼ける様な臭いがして・・・
「あ!!」
シェリフが車のドアを勢いよく開ける。するとドアの高さまで来ていたワイパー‐ブレードのゴムが遠くの赤い地面まで飛び散った。シェリフはそこからヒントを得て、車が発進せぬその原因を突き止める。ハンドルで何とかこの地からの脱却を図るサーベイヤーに呶鳴った。
「ワイパーブレードゴムチェンジングスイッチを止めな!!」
「どのボタン!?」
サーベイヤー、見事に自分の押したボタンを憶えていない。ランダムに押していた様には思えないのだが。
それも素晴らしき事だが、シェリフが彼以上に愕くべき事を言った。
「知らないよ!!」
「えぇ!?」
ゴムはまた新たなゴムを産み、バッコンバッコン産声を上げて生れてゆく。併し二人には、人間の創る生命の神秘に感激する心のゆとりなど無かった。
「何で!!だってこのゴ・・・いやこの車!シェリフさんのでしょう!?」
タイヤがゴムを捕食して、減るどころかパンクしそうになる。今、あくまで余裕の無いシェリフはうっかり口を滑らせた。
「えぇいうるさいねあんた!!こんな高い車、気が引けてとても乗れないよ!!」
「!」
サーベイヤーがエンジンを切り、キーを大振りで引き抜く。ゴムの交換が無くなり、タイヤがゴムを噛む事も無くなった・・・何だ、最初からこうすれば
「シェリフさん!!降りて!!」
「あ!?」
サーベイヤーがシェリフを蹴り出す。続いて自分も跳び降りた。形振り構っては居られない。出来るだけ、遠くへ行く事が必要だ。
シェリフは赤い地面へスライディング‐スマッシュをすると、怒りの色か地面の色か、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「何すんだい!!痛いじゃない・・・」
ドン!!




