Ⅲ.サーベイヤーの釈放
{オポチュニティ・・・オポチュニティ・・・}
若い女性の声が、脳裏にぽわぽわ浮んでいる。そう、それは羊水に浮く胎児のように。
聞き憶えの有る声。よく知っている声だと思う。だが、それは私を呼んでいない。オポチュニティ・・・それは、火星探査機の名前。しかし彼女は、旧友に話し掛けるような親しげな声で話す。明るかった。これは・・・夢なのだろうか?
{青いわ。青いのよオポチュニティ。私達の住む火星の赤さとは対極を成しているわ!}
ああ、それは地球の事か。そうだろう。この星は美しい。だが、この地球ももうすぐ終焉の刻が来る。太陽が迫っている。
私は夢の中で、旧友達の事を思い出していた。私の旧友には、宇宙飛行士が多く、皆挙って宇宙に身を投げ出したものだ。しかし、無人でも有人でも、宇宙探査をする事は昔以上に多大なリスクを含んでいた。太陽が膨張を始めたからだ。幾人もの友が、宇宙でその身を太陽に焼かれただろう。そう思うと、この年齢までよぼよぼと生きてきた自分が情けない。だがそれも仕方無い――私は、飛行士ではなく研究者なのだから。
ところで、オポチュニティという彼女の旧友は、不在のようである。彼女が何度オポチュニティの名を連呼しようとも、オポチュニティが応じる様子は無い。彼女も不思議に思ったのか、夢の最後に語尾上りの声が聞え、通信は途絶えた。
{オポチュニティ・・・・・・?}
「早速・・・・・・」
オポチュニティは鉄格子を掴み、前後にがたがた動かした。どうにかして逃げたい、というよりは、己の失態を悔いている様だった。
「まぁ、誰でも失敗はあるよ」
隣の檻からサーベイヤーが慰めに掛る。しかしその他人事のような上から目線が、逆にオポチュニティの神経を逆撫でする結果となった。
「私の失敗じゃないです!あなたがローバーローバー連呼するから・・・」
「へぇ~自分の失敗を、他人のせいにするんだ?」
互いに表情の見えない相手。声の感じだけでニュアンスを判断し、会話をするのはなかなか骨の折れる作業だった。
「はあぁあ!私が捕まる時といったら、シェリフのオバサンが相手の時だけと思っていたのに・・・!」
語尾に近付くにつれて、落ち込み具合が増してゆくオポチュニティ。
鉄格子に叩きつけられて高い音がする。
隣の檻の格子にまで振動が伝わってきたのを感じたサーベイヤーが、少し驚いて格子に手を掛けた。
「―――おい?」
あまりに隣なので逆にオポチュニティの様子が見えない。本当は格子に寄り掛ってうじうじ、へのへのもへじを書いているだけなのだがそれがわからないサーベイヤーは無意味に心配する。
「どうした?オポチュニティ――
「これはステート=シェリフの考案です」
!!一挙に警戒の絃を張るサーベイヤーとオポチュニティ。
逮捕指揮を執ったマーズ=カウンティ=マーシャルが、オポチュニティの檻の前に佇んでいた。
「私はステート=シェリフに言われた通りに部下を動かしただけ――貴女は私に負けた訳では有りません」
オポチュニティが眼を丸くしてカウンティを見る。カウンティの蒼い瞳は、精気があまり感じられず、少々白くくすんでいる様にも見えた。
「いえ、負けですっ。あんな数の警官を私達に気づかせずに配置させるなんて負けの負けですっ「オポ」
オポチュニティが横を向いて頬を膨らませてみせる。サーベイヤーは鉄格子に齧り付いて、オポチュニティを見ようとする。
「油断するなっ」
「?」
急いているサーベイヤーが気になるオポ。だが今はそれよりも気になる事がある。
「カウンティのオネエサン。シェリフのオバサンはどうしたんですか?確かオバサンが、私の専任捜査官だったハズ・・・」
「彼女は現在、謹慎中です」
この言葉は、話を聴く耳を持たなかったサーベイヤーの耳の穴をも無理矢理抉じ開けた。
「謹慎っ!?」
カウンティはカクンと頷くと、極めて機械的な口調でこう答えた。
「そうです―――」
「貴様っ・・・!」
マーズ=ボロ=マーシャルが頬を押える。横暴なシェリフの事だ。殴られたのだろう。だが、横暴さでは負けていないのが彼女の上司。
「親父にも打たれた事の無いこの顔を!!」
「お坊ちゃん育ちだったんですねーボロさまは!!♪」
カウンティが叔父の部屋へ戻った時、叔父の部屋はちょうど模様替えの最中だった様だ。物の配置はだいぶ変り、目の前を机が飛びテレビが飛びシェリフが跳んでいた。
「ボロさま言うな!気持ち悪い!!」
ボロさまがサーベルを繰り出しシェリフの投げる机やテレビを一つ一つスライスしていく。序でに、跳ねるシェリフも真一文字に斬りに掛るが、武術を身に付けている彼女はしなやかに宙を舞い、くねくねしていて、直線的なサーベルではとらえられない。
「坊ちゃんでも年は年ですねぇボロさま!!あんた、息切れしてるよ!」
真横に伸びたサーベルの上に、ふわりと着地せんとするシェリフ。
しかしそれは火星の大気でも物理的に不可能だった。
「うひゃー!」
シェリフの落下に捲き込まれる前にサーベルを横にずらし、更に捻ってマーシャルは落下したシェリフに刃先を差し向けた。
「ボロ=マーシャル局長」
マーシャルとシェリフがビクッとして出口の方を見る。一部始終を観覧していたカウンティが、漸く口を出したところだった。
マーシャルがサーベルを腰に下げた鞘に急いで収める。シェリフも尻をぱんぱんとはたいて立ち上がった。
「何だ」
マーシャルが不機嫌そうに言うと洗面台に向う。局長室は最早、簡易ホテルと謂えそうな位に装備が調っていた。
鏡を見ると、セットが崩れている。ち・・・と顔をゲンナリさせると、両手を髪に当てた。遠くで見ている分にはいいが、隈が酷かった。
「スパイ・オポチュニティの件ですが」
マーシャルが振り返る。顎をしゃくって、先を言うよう促す。カウンティはそれを見ると、再び目線を下に戻して坦々(たんたん)と話し始めた。
「スパイ・オポチュニティの同伴者に、グローバル=サーベイヤーという男がいらしまして」
「『グローバル=サーベイヤー』―――・・・?」
「?」
マーシャルの眼光の変り具合に、シェリフは直感的な疑問を懐いた。それに気づき、マーシャルは素早く顔を鏡に戻す。カウンティは構わず続ける。
「その男―――」
ちらとシェリフの方を見るカウンティ。シェリフは無機質な感じのするこの女性が苦手だった。思わず構えてしまう。
「なっ、何さ。闘るか!?」
挑発しても素通り。カウンティは視線をすっとマーシャルの映る洗面台の鏡へ移すと、視力がよいのか鏡の中の彼と目を合わせた。
「ステート=シェリフ警部の爆破なされた家の持主だそうです」
「・・・・・・・・・」
マーシャルが物凄い形相でシェリフを睨みつける。仕舞いには洗面台に向かって唾を吐くという悪態までつき始めた。仮にも上官、恐ろしく思う一方、いつかシメてやろうと誓うシェリフ。
「前科もございませんし、スパイ・オポチュニティとも偶然に行動をしてらした様です」
「ほぅ・・・で、マリネリス行政区は何と言っている」
マーシャルは嗽をし、服の袖で乱暴に口許を拭う。そして振り返り、カウンティの濁った瞳を見据えた。その拍子に、適当に置いたカップがシンクの中へと転がり落ち、カランカランとうるさい音を立てた。
「彼はむしろ被害者であり、釈放するのが妥当である、と」
「それはそうだな」
当て擦りにシェリフの方を見て言うマーシャル。余裕ぶっこいた態度が逆にシェリフの中で“シメ”から“殺意”に格上げされる。
「・・・マリネリス行政区に申し入れをなさいますか「いや」
マーシャルがマールボロを咥え、火を点ける。口から離すと、わざわざシェリフの方を向いて煙を吐き出した。
「・・・・・・こいつ!もう我慢なら
「最終的な権限は地方行政区に有る。意見してもムダだ」
カウンティは煙草を吸う叔父の横顔をちらと見ると、また目を伏せる。ボロはそれに気づき、カウンティの方を見た。
「――畏まりました。では、グローバル=サーベイヤー釈放の許可をマリネリス行政区に通達致します」
「ああ」
きっちり15度の敬礼を二人にし、局長室から出て行くカウンティ。
シェリフは複雑そうな眼でその後ろ姿を見送った後、マーシャルに言った。
「・・・冷たいんじゃない?」
「あ?」
マーシャルが喉元から低い声を出した。敬語を遣えという事だろう。だがシェリフは意に介さない。
「姪だろ?一応あんたの。あたしが居るからかも知れんが、もう少し労ってやったっていいんじゃないか?」
「・・・・・・労っているさ」
煙草を口から離し、長くなった灰を落す。
「それにはあいつも気づいている」
落ちたカップはそのままに、短くなった煙草をシンクに押し付ける。シェリフは納得がいかないという顔をしてこう言った。
「あたしには、あんたが姪を愛してる様には見えないんだけど」
「愛しているさ。そして、誇りにも思っている」
湿った煙草をゴミ箱に投げ入れ、新しい1本を出すマーシャル。そして叉、火を点けた。
「・・・・・・ドコを?」
マーシャルは大きく煙を吸い、煙草の味を堪能して、吐いた。今度はシェリフの方を向いて吐く様なイジワルはしなかった。
マーシャルの眼の焦点が定まらなくなる。煙草の煙と共に、魂まで吐いたのか。しかし声は確りしていた。
彼はこう答えた。
「命令以外の事は決してしない、という点だ」
シェリフは耳を疑った。これまでも、鼻持ちならないクソ上司だと常々思ってきたが、本日の臭気は格別だ。顔を突き出して上司を睨み付けると、彼の眼が余りにも黒い色である事に気づいた。
元はカウンティと同色ではなかったか。
「それ――人間とは、謂えなくない―――?」
マーシャルは洗面台に寄り掛った。
「そういう人間が、単に世の中に少ないだけだ」
洗面台の鏡に、マーシャルの背中が映る。煙草の煙に包まれた、現実の体躯より、鏡の中の彼の方が、よほど本心を表している様に見えた。
「刑事機関にはそういう人間が、特に必要だ」
「――?」
マーシャルがシンクに後ろ手に着き、溜息と共に煙を吐いた。訊く前に考えろ、とでも言いたげである。
「・・・『咄嗟の機転』だとか言うが、地道な捜査に於いて、そんなものは役に立たない」
カウンティ=マーシャルが長い蛇行した廊下の右側を、一定の速さで歩いてゆく。
「一度見聞きしたものは決して忘れない。一度命令すれば一生勝手に解釈を変えずに従い続ける。余計な事はしない―――まさに、マーシャル(保安官)に相応しい」
「だが、虚しくないか?」
マーシャルが瞳を大きくしてシェリフを見た。黒い眼が微妙に蒼く変化する。シェリフは少し安堵して、言葉の続きを言う事に決めた。
「人間在っての刑事だろ?『機転』てのは自由な発想だ。人間(自分ら)を“刑事”の型に嵌めんじゃ無いよ」
マーシャルの口許が弛む。煙草が下向きになり、灰が落ちて、風に乗って窓の外へと出ていった。
『撃つな!!カウンティ!!』
カウンティ=マーシャルが銃を構える。制止も空しく、震えるその手からは銃弾がぶっ放された。
「・・・・・・シェリフ(本家)には解るはずの無い事だ」
「・・・?」
後ろ向きのまま、2本目の煙草をシンクに押し付けるマーシャル。勢いよく水を出して、水圧でシンクに残った灰を洗い流した。
カップが水を浴びて、左右にカラカラとのた打ち回った。
「何だ・・・・・・?」
「別に」
マーシャルが視線を逸らす。もう1本煙草を出そうと上着のポケットに手を掛けて・・・・・・止めた。
「特に無いです」
「ダレの真似だそりゃあ!」
シェリフがツッコミというよりは喚く。煩そうに耳朶を握るマーシャルの片手を見て、シェリフのテンションは急激に下がった。
「・・・・・・今日、てかカウンティ来てから、あんたおかしいよ」
・・・・・・? マーシャルは怪訝な目つきでシェリフを見る。とても鋭い眼光なのだが、シェリフは澄んだ碧眼でじっと見返す。
「『グローバル=サーベイヤー』―――」
マーシャルの眼が微妙に泳ぐ。シェリフはそれを動揺したと看做す。自分の上官さえも、冷静に観察し、寒い位に淡々と声というものを腹のポンプから押して発した。
「その名を聞くと取り乱すね。知り合いか何かかい?」
「別に。聞き憶えがある名だから気になっただけだ」
シェリフは納得がいかない。口をへの字にしてマーシャルを睨んでいると、彼は突如、額を押えてクックック・・・と哂い始めた。
「・・・惜しいな」
「は?」
シェリフが気持ち悪そうな眼をして滅多に笑わない自分の上官を見る。上官は彼女を流し目で見て、ふっと表情を和らげた。
「その頭脳を以てすれば、優に警視を超えられるのに・・・」
人間、滅多にされない表情をされるとぐっと来るものである。シェリフもその時、マーシャルの表情に見蕩れていた。
・・・一瞬にして鬼の顔に豹変するまでは。
「余計な行動さえ起さなければな・・・・・・!」
さぁ其処に直れ!!私の別荘をめちゃめちゃにした責任は重いぞ!!サーベルを振り回しなまはげの如くシェリフを狩るマーシャル。
「さっ・・最終的に家具を再起不能にしたのはあんただからね!?」
「うるさい!!」
一刑事のささやかな人権は、うるさいの一言で却下された。
「マーズ=ステート=シェリフ!!貴様を建造物等損壊罪・強要罪・職権濫用罪・それに因る警察への信用毀損罪・グローバル=サーベイヤー逮捕、監禁罪・住居侵入罪・器物損壊罪で36年位牢屋に入ってろ!!」
「何てアバウト!!文の繋がりおかしいし!!」
「罪数なんていちいち覚えていられるか!そうと決ったらカウンティ!カウンティ!!」
「あんたは姪が居ないと何も出来んのか!!」
「何でしょうか。ボロ=マーシャル局長」
「えぇーー!?来た!!」
マーズ=グローバル=サーベイヤーは振り返った。オポは隣で眠っている。なかなか大きな寝息が聞えて来るのでわかる。
目の前に、マーズ=カウンティ=マーシャルとステート=シェリフが仁王立ちしている。サーベイヤーは身構えた。
「グローバル=サーベイヤー」
カウンティは大して口を開けずに彼の名を呼ぶと、代りといっては何だが格子の戸を開けて手招きをした。
「・・・・・・?」
「さっさと出る!!」
シェリフはそう言ってサーベイヤーを牢から出すと、さも当然とでもいう様に入れ違いに自分が牢に入った。
「は?」
サーベイヤーはぽかんとして、ちょこんと中で正座しているシェリフを見る。
シェリフはサーベスに眼を飛ばした。
「何見てんだよ!!」
「マーズ=ステート=シェリフ警部。本日付で、建造物等損壊罪・強要罪・職権濫用罪・信用毀損罪・逮捕、監禁罪・住居侵入罪・器物損壊罪以上の罪に因り禁錮36年の刑に処せられました」
「余計な事を言うな!!」
カウンティが、牢の中のシェリフを横目で見る。
サーベスは牢の中のシェリフを覗き込んでこう言った。
「大変だねぇ。シェリフさん」
「同情するなら金をくれ!!」
サーベスはそれを聞いて肩をすくめる。残念そうに俯き目を瞑った。
「俺も卒業する前は勤労学生だったんだけどね?今は定職も無く貯金も無いからあげられない・・・!」
「ニートか!貴様ニートか!」
サーベスは今まで自分が中に居た格子をひっ掴み、発狂した様に牢の中のシェリフに迫った。
「本物のニートにニートって言ったら傷つくよ・・・・・・!」
「ごめんなさい・・・!」
牢の中から格子に喰い付くシェリフ。これほどまで素直なシェリフは他に類を見ない。カウンティは二人のベタな芝居をただ傍観していた。
「じゃあっ・・・コレを・・・・・・!」
シェリフがサーベスに手を伸ばし、小さく折り畳んだ紙を彼の掌にすっ、と置いた。
「コレは・・・・・・?」
サーベスが本当に不思議そうに紙を掌の上で転がす。シェリフはおっと!と叫んで彼のその手を両手で包み込んだ。
「コレはあたしからのほんの情けさ・・・!小銭が少々包んであるから家に帰ってから開けてくれ・・・・・・!」
「!そうだ、家――「フッ・・・ベタな事を」
カウンティがサーベスから丸めた紙を取り上げる。サーベスの頭からは家の事が吹っ飛び、シェリフは騒がしいくらいあーー!!と叫んだ。
『やはりチキンはチキンだな。こんな事をして逃げようなんざ、火星が滅亡しても貴様には無理だ!!』
まさに憑依現象。目つきまで叔父そっくりだ。シェリフは半分震えながら、局長室に居るであろうマーシャルに対して叫んだ。
「悪口まで姪にインプットしてんじゃないよ!!」
フォッフォッフォッフォッ!!バルタンの様な声を上げ、ひっ剥すようにして一気に包みを開く。サーベスとシェリフは目をみはった。文字が出て来る。
『M・R・Oをさがせ!!』
「「「・・・・・・・・・」」」
どちらのマーシャルかは判らないが、とにかくマーシャルは一瞬、思考が止った。サーベスとしてはわけが解らない。
カウンティは叔父がよくする額に指2本を付ける仕種をした後、その指を留置場の出口に指して腹から声を上げた。
『逝ってよし』
「へぇ!?」
さすがにうろたゆサーベイヤー。ここまで逝ってしまわれるとついていけない。シェリフが漸く助け船を出した。
「釈放するって言ってんだよ」
「!」
「そうです」
びくっ! カウンティが素に戻った。サーベイヤーは疑わしき眼でカウンティを見る。交霊中なのかそうで無いのか、よく判らない空ろな眼をしていた。
「貴方はステート=シェリフに家屋を損壊された、むしろ被害者でありますのに。誤認逮捕をしてしまい」
カウンティがサーベイヤーに、45度の礼をする。
「・・・申し訳ありません」
カウンティが顔を上げる。形式的な礼で声も機械的だったが、顔も全く表情が無かった。不気味なほどに。
「グローバル=サーベイヤー」
「・・・・・・」
「貴方を、只今を以て釈放致します」