新章序章―――バッキー、カフェにて―――
カフェ・ボンヌール。私の家のすぐ近くに在る喫茶店である。
何故『ボンヌール』なのか、何が『ボンヌール』なのか、そもそも『ボンヌール』とはどういう意味なのか、私には解らない。だがまぁ、嫌いな雰囲気ではなかった。
まさかこの喫茶店に、アンとあの若僧が居るわけはあるまい。そう思いながらも、どうしてか此処へ来てしまった。
ドアーを開く。
ほら、居ない。
「いらっしゃいませー」
私も何だかんだいって他の年寄り同様、若者が基本好きでない。他の年寄りと私の違う面は“最近の”若者が、私は嫌いだという事だ。臨機応変に行動できない。他人に気を回す事が出来ない。
「お好きな席へどうぞ」
私はスタッフに噛みついた。
「案内は?」
「別に貴方の座りたい席でいいですよ」
スタッフはけろっとした顔をして、夜のがらんとした店内を指さした。なかなかに広い喫茶店であった。
「面倒がるな。どの席に座っていいかわからんだろう」
「別に面倒とは思っていませんよ。どの席でも構いません。何処も空いていますから」
最近の若者ならば男も女も同じだ。そのスタッフは女性で、本当に今時の若者であったが、台詞の割にソフトな口調で話をしていた。
「併し、客が来たならば店員が案内するのが当り前だろう」
「いえ、私がしても構いませんが。そちらも貴方が決めてください」
私は呆気に取られた。呆れるなんて話ではない。勿論此方にそう言う時点で、気が利くとは到底思えないが、遣る気もいまいち感じられない。
「アルバイトだな、君は」
どうせ小遣い稼ぎの学生だろう。社会も知らずぬくぬくと親の鳥籠の中で育ってきた今時の子供は、こうもはっきりと意見された事も無い。社会へ出る前に、甘ったれたその芽を摘んでおこうか。
「主体性がまるで感じられない。いつだって受身だ。之だからアルバイトは・・・」
「確かにアルバイトですがねぇ・・・」
そのアルバイトは苦笑しながら呟いた。スタッフがゲストに向かってアルバイトだと堂々と明かしていいのか。
「私が此処で食べるわけではないのに、私が主体的になるのもどうかと思いますが・・・・居心地のいい席を御自身でお選びになって、其処で食べるのが一番いいでしょう。お食事は貴方のいらっしゃる席へ持って参りますから」
そこで、彼女より20cmほど背の高い男のスタッフが現れ、私と彼女の間へ割って入った。彼女を手で払い、私を窓際の席へ手早く案内すると、ポケットから紙片を取り出して
「御注文は如何でしょう」
と、如何にも作った笑顔で訊いた。
「ホット‐ミルク」
私はいつもの飲み慣れたドリンクをオーダーする。するとその男のスタッフは変わらぬ笑顔で
「誠に申しわけ有りませんが、夜のメニューはアラビカ・セットとロブスタ・セットとリベリカ・セットの3種からしかお選びになる事が出来ません」
と、テーブルに立てて貼り付けてあるメニューを掌で示した。どれも似た様な色でコーヒーだ。コーヒーは、私は苦手だ。而も高い。その割に、メインはコーヒーなのでセットのくせにミニ‐ケーキしか付いてこない。コーヒーの味を純粋にわかって貰う為か、ケーキの種類はどのセットでも同じであった。
「・・・どれも飲みたくない。私は帰る」
女性アルバイトの言う“客が主体”であるなら、私のしたい事はまさに其であった。遣りたい事が無いから、帰りたい。帰って偶には自分でホット‐ミルクを作って遣る。
私は席を立ち、出て行った。之ばかりは男性スタッフでも止める事は出来ない。此処に金は注ぎ込まない事が判ると、男性スタッフは急に無愛想になり、客が出て行くのに挨拶一つせずに紙片を元のポケットに片づけた。
「昼間はもう少し、豊富なメニューをご用意しておりますから」
・・・・・・女性アルバイトが調子のいい事を言う。その調子のよさも、売れないからと不快感を露骨に表す男性スタッフよりはだいぶましだと思えた。
「またいらっしゃいませ」
・・・・・・気は利かないが信念を感じる女性であった。店から出ても、ガラス越しに頭を下げて
「有り難うございました」
と、笑顔を最後まで忘れなかった。一応甘さを正そうとして言った心算なのだが、この女性・・・何気に強いのではないか。
あ・・・男性スタッフから肩を叩かれている。女性が顔を上げた。遣り切った、という感じである。
「君ねぇ」
あ・・・どうやら説教が始まった様だ。まぁ・・・今回は私一人だったからよいが、あれでは仕事は捌けないだろう。個々への対応以上に大切なものなど、山程あるのだ。だが、まぁ・・・そういう考えも、嫌いではない。
店外にまで声が漏れてくる。私は段々と、申し訳無い気分になってきた。男性スタッフの、客ではない客への対応の仕方も問題だと思うのだが。
「もういい。君クビ」
あ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Boys Be Ambitious.




