Ⅱ-ⅩⅥ.人生の主役
『グノーシス君がね、メリディアニのクロンメリン大学に入学するの。学費が掛かってあなたの分はとても払えそうに無いわ。お願い、働いて』
―――それは.確かに昔.言われた言葉.高校を卒業してすぐ.この警察業界へ飛び込んだのも.こうやって後押しされたからだった
「貴様が在なくなれば、全てはあの日常に戻る」
重ねてみれば.大きさの違いはあれど.大してレベルの差は無い相似図形の様なものだ
『あなたが進学しなければ、グノーシスに専門的な勉強をさせてあげられるのよ』
『あなたまで進学するとなれば、バジリデ家は破綻してしまうわ』
カルネアデスの板とはまさにこういう事だとしみじみ感じた.世の中には優先順位というものが存在する
「貴様の告げ口を気にして我がマーシャル家は動けん」
親は惑う.イエを守る為.子を守る為.結果.合理性.重要性.効率性を見い出した大人達は.優先順位を組み立てていった.そこで
カルネアデスの板という問題は生まれた
『お願い、グノーシスの為に。ね?』
かれは兄と二人兄弟であったが、父親が愛人を作って出ていった為、家庭は余り豊かにならなかった
併し、母親はあらゆる面で優秀な兄を溺愛し、兄の勉学の為ならば湯水の如く金を使った
かれの為に貯金していたお金も全て下ろして
今ならばその気持ちも解る.やはりカルネアデスの板だったのだ.そして、自分はいつも誰かの為に犠牲となっていた
ただ.解るからこそ答えが絞れず.どうしても母に訊きたい事があった
『あなたは家と兄、どちらを最も優先させて、私を犠牲にしたのですか―――?』
「あれの為に、貴様は死ね」
バジリデはむくりと起き上がった。立てない。だから、向こうから此方に墜ちて来るよう仕向けてやった。
「ふんもっふ!!」
マーシャルの鳩尾目掛けて、頭頂に有りっ丈の力を集中させてジェット噴射をした。今回何故か油断の多いマーシャルは、鳩尾への頭突きを諸に喰らい、お約束通り墜落した。
悶絶するマーシャル。空を掴もうとするその指はピクピクと震えている。これでお揃い、と思いきや、バジリデが頑張って立ち上がった。
「・・・・・・すっごい勝手」
マーシャルが状況を掴めていない状態でバジリデを見上げる。まさかこんな凡人青二才にやられるとは思っていなかったので、上司を見下すとはえらい事だな等のいつもの嫌みも言う余裕が無かった。
「すっごい自分勝手ですよマーシャル局長!結局俺をマーシャル家の問題に捲き込んでいるのは貴方じゃないですか!!」
バジリデ、啖呵を切る。過去と照し合わせてみても最悪な理不尽さに憤慨せずにはいられなかった。たとえそれが、恐ろしい上司でも。
「サーベイヤーさんを息子の様に想い、心配する気持ちは解ります!でもね、だからといってなら、その他の人は殺していいって事にはならないでしょう!?」
「・・・・・・は・・・?」
そう。犠牲になる事も、今までそれが家族に対してだったから出来た事だ。嫌気がもう既に射しているのに、関係の無い赤の他人に、しかも命を捧げるなんて絶対に嫌だ。
「少なくとも俺の基準はサーベイヤーさんではありません!俺には俺の人生がある!大体ね、それじゃ彼も一人立ち出来ませんよ!!」
マーシャルは見るからに心・外!と書いた顔になり、心底機嫌の悪そうな声でバジリデの言った全てを即否定した。
「何だその妙な家族設定は!基準があれだと!?笑わせるな!あんな奴とは、血の繋がりも無ければ金の繋がりも無いわ!!」
「じゃあ何ですかこの過保護さは!!いや、貴方が過保護なのは別にいい。俺はシェリフ長官には誰かが倒れたからマーシャル局長が保護されていると言っただけです!たったそれだけで俺は殺されるんですか!?これからも貴方は、自分の大切な人の為に他人の大切な人の命を奪うんですか!?」
マーシャルの眼が見開く。考えた事も無いといった様な気づきであった。バジリデはイラッとした。
「・・・まぁ貴方は局長ですし、強いから守り切れるという自信があるのでしょうね。貴方にとっては、俺の大切な人とか、世界の片隅で静かに回っているちっぽけな存在なんでしょうけど・・・」
「貴様に何が解る」
マーシャルが感情的になり、バジリデの小さな身体に掴み掛かった。
「何も知らないくせに―――!」
言ってしまって、マーシャルはふっと我に返った。
バジリデの二度目の頭突き!此奴はなかなかの石頭だ。額に直撃し、マーシャルは思わず取っていた胸倉を放した。
「全っ然解りません!!でも、貴方だって解らないでしょう!?いつ踏み潰されるかわからない下層部の蟻達を!!世界の命運を握り死ぬ気でいるのは貴方達ですが、実際に死んでいるのは俺達なんですよ!現実問題なんです!!」
「いずれにしろ貴様等赤シャツは死ぬ運命にあるという事か!滑稽な話だ!生命というものは実によく出来ているな!!」
殺す・殺されるの話題で盛り上がっているのに本来の目的を忘れている二人。武器が地面に散乱しているにも関らず、互いに素手で掴み合った。
「・・・・・・・・・闘るか?」
「・・・・・・・闘りますかーー?」
・・・拳で語り合う漢の会話『漢会話』・・・只今生放送。
マーシャルの頬に拳が当る。それは無論、バジリデの拳。以前もシェリフに頬を殴られていた。恐らく、上官の中でも最も部下に手を上げられているだろう。
「・・・っ!痛ってぇよ!」
そして、拳で殴り返す。恐らく、上官の中でも最も部下に手を上げているだろう。
「痛い!痛いのは俺の方ですよ!!」
さて、諸君は拳の漢会話を聴き取れているであろうか。私バッキーには「痛い」という怒りしか聴き取れない。
「ふふ・・・強情ですね貴方も。どれだけやっても倒れやしない」
はぁはぁと、息遣いの荒いバジリデ。鼻腔が塞がって呼吸がし難い。顔を重点的に遣られた様だ。
「フ・・・誰が貴様を前にして手を着くか。ラクになりたければ貴様の方から墜ちるんだな」
と、言いつつ咳き込むマーシャル。口からは血が流れ出ている。でも猶、負けなど端から頭に無い不敵な笑みは、終りなど恒久に来ない事を暗に示していた。 ・・・・・・それでも。
「嫌ですよそんなの。俺の命は俺のものです。誰かに奪われていい様な、そんな軽々しい価値に育てた覚えはありません」
世の中には優先順位が存在する。物語に於いても、キー‐パーソンと呼ばれる者が出てきて、世界を救う。併し、主人公達が敵を倒し世界を救うまでの始まりの過程で、端役と定められた者達は引き立ての為に掃いて棄てられている。端役が嫌なのではない。端役なら何をしてもいいという、人権侵害的な発想が、人間同士の中にあるのが嫌なのだ。
―――もっと.優先順位で決める事の出来ない価値が在る事を.知って欲しい
だが、日頃の自分の仕事ぶりからも、自分が如何に無力な存在であるかは思い出せば恥かしい程に自覚をしていた。それはきっと、価値云々の話ではなく、単に役に立つか立たないか。
―――自分の命(価値)は譲れない。だがそこに、求められる何かが在るのなら。
「・・・しょうがないなぁ。死にはしないけど折れてあげますよ。これは価値とは別問題です」
―――守ろうとして必死に掴んで、掴んだ分以上に取り零してしまう不器用さに。
自らの死を局長は望んでいない。何の為にこんな茶番を演じに来たのか、局長の本音は知らないが。
「・・・フッ、端役にしてはずいぶん恵まれた端役だな」
取り零しすぎて、己の身を守る物の一切無い、武器の散乱した地面をバジリデは見つめた。
・・・・・・大体、殺すのだったら冒頭の一発目で殺せたのに。
一発目のバール・バレットの所以を彼等は知らない。
「全然関係無かったのに、今回ので秘密の存在を知ってしまいましたよ。こうなったら気になって、俺の方も無かった様には出来ません」
こんなんでは、秘密の存在を知らない人でも察してしまう。本当に隠したい程の“秘密”は、独りで抱え込められるものでは無いから。
「それに・・・中途半端にわかるから逆に心配で、裏切るわけにもいきませんよ。貴方も安定していないから、俺が補佐しないとだめみたいです。補佐しますよ。裏切ったら殺せばいいでしょう」
併し、その“秘密”が何であるかこの男は一生を通じて言う事は無いだろう。鬱屈して、精神状態が危うくなるだけだ。
・・・全く、その不安定ささえ無ければ、自分は捲き込まれる事は無かったのに。
「・・・言っておきますけど、中身もよく知らないのに裏切れば殺していいって、それでも充分理不尽ですからね?何が裏切りか、判らないのですから」
一気に言って息を吐くと、上官が視界に入る。全く強情な奴等だ。殴り合いはもう落着しているのに、互いに負けじと坐りさえしない。マーシャルはその言葉を聴いて、心底嫌そうな顔をしていた。
「えっ!何ですかその眼!!不服ですか!?不服なんですか!?俺にしてはいい事言ったと思うのに!!」
黙っているのが逆に怖い。何も言わないのに、腹の底では耽々と何かを練っている。典型的な不言実行タイプだ。
・・・・・・明日、目覚めた時に広がるのは楽園かも知れない。
「何か言ってくださいよーーー!!」
マーズ=サン=バジリデ。端役から脇役へ昇格。目指せ、主役!!




