Ⅱ-ⅩⅤ.代償
「・・・・・・」
やはり、他人の日記の中身は見るものではないと思った。私は焦った・・・・・・如何しよう、照れくさい。
こう見えても昔は研究者仲間や助手には、ハード‐ボイルドで通っていた。自分でもそう思って生きていた。が、このざまは何だ。
もう30余年連れ添ってきたが、アンに慣れるという事は一度たりとて無かった。顔を見たのは一度だけ。併し私はその一度だけで、色恋に掛けては一生を青春時代のみで過ごしている。
アンの美しさは昔から変わっていない。不変だ。永久不変―――其は科学者の永遠のテーマであり、私の最も好きな言葉だった。
見なくても判る。アンの美しさが若し変わっているのなら、幾ら私の妻でも地球の未来を荷ってゆく若者を誘惑する事は出来ない。アンももういい歳の筈だ。
・・・とはいえ、とんでもないものを見てしまった。
何故アンが私の宿敵と懇意にしているのだ。まさか之が、不倫というもの―――!?
日記を読む限り、アンはカフェテリアで奴と二人きりの時を過ごしている。今回の話題は私についての相談だから早計の可能性有り、深入りは出来ないが。
私はアンの日記を閉じた。科学者は真実を知りたがる。そう、そして私は真実を知りたい。久々に科学者の血が騒いだ。
必ず真実を突き詰めてみせる―――!
―――少し気が、若くなった様な気がする。
ドン!とは聴こえなかった。
バジリデは眼を見開いて、ただ呆然と突っ立っていた。彼自身は特には動いてはいない。
「――――・・・」
よろけて、胸を押える。無理も無い。ボロ=マーシャルに胸を撃たれたのだから。死んでしまってもおかしくはない状況だった。
―――そう、死なせる心算だった。距離・位置・速度・・・・・・ガンマンは的確に計算し、相手を即刻ラクに死なせる心算でいた。だが相手はその場に立ったまま身体を硬直させて、斃れる気配が全く無い。立往生とか云うものか。
マーシャルは眼を凝らした。彼も一応警官であるので、死後硬直か単なる仁王立ちか位の違いは判る。が、謂っておくが距離は遠い。此処からの距離では、どれだけ頑張っても確認を取る事は出来なかった。
マントを引きずりマーシャルは、普段と比べると非常にゆっくりとした歩調でバジリデの許へ向かう。普段聞える革靴の音はしない。生きているなら、すぐに死なせてやれるよう、リボルバーをカチカチ回しながら目標へと近づく。
―――生物の死は、眼で判る。マーシャルはすぐ其処まで自分が来ても、瞬き一つしない相手の眼を覗き込もうとした。此処まで来て反応が無いのだから、恐らくもう死んでいる。
そう思って、油断、した。
「!!」
突如、誰のものか手がニュッと伸び、マーシャルの腕を強く掴んだ。愕いたマーシャルはマントの下に隠していた拳銃をぶっ放す。蓄光弾みたいに丸い銃弾がバジリデの頬を掠める。
「ーーー痛いです!マーシャル局長!!」
バジリデは健在だった。怖がって泣く余裕すらある。マーシャルは顔の穴という穴全てを開いて唖然とバジリデの涙目を見つめていた。
「ねね!今俺を殺そうとしてましたよね!?思いっ切し左胸狙ってましたよね!?何でですか!何でなんですか!?うわーーん!!」
大声で言いたい放題涙と唾を盛大に飛ばしながら、上司の肩を上下前後左右やりたい放題揺らし捲るバジリデ。マーシャルはまだ首の据わっていない赤ん坊の様にぐわんぐわん回転し、腰に提げたサーベルのケースがカラカラ鳴った。
「おぅおぅどうも、じっくり殺られたいらしいな・・・・・・」
マーシャルはいつの間にかサーベルを抜いていた。銃で急所を撃たれても平気だったバジリデは、敢無く生きたまま串刺しにされる。
「ごめんなさい・・・・・・調子に乗りました」
マーシャルはマントの下から新たな拳銃を出した。
―――何故あれに撃たれて平気だったのかはわからないが。
こちらこそは、本物の拳銃である。
「ちょっ・・・待ってくださいマーシャル局長!!」
バジリデは自ら己が身体よりサーベルを抜くという高等芸を為し遂げて、縋る様な眼でマーシャルを見上げ、訴えた。
「俺には何が何だかよく解りません!失態をしたという自覚も無い・・・・・反省するチャンスをください!!」
マーシャルは冷ややかだった。土下座までして命乞いをする部下の眉間に銃口を合わせ、キリキリとリボルバーを回す。バジリデの顔がみるみる蒼くなってゆくのは、誰が見ても明らかだった。
引鉄を引く。併し、その弾丸は大きく逸れた。目標が動いたのである。バジリデは絶望で人生を終らせる人間では無かった。
「・・・・・・上層部の考える事って、所詮そういう事なんですね」
バジリデは一瞬だけ、とても悲しそうな表情をした。
「だから言ったでしょう!?命令をくださいと!俺等下っ端は失敗が出来ないんですよ!!」
一転して畏れ多いはずの上司を間違い無くきっと睨みつけると、それどころか上司に掴み掛り怒鳴り込んだ。
「警察官は元々失敗が許されない!それは承知しています!だから末端は上に指示を仰ぐんです!・・・いつか、勝手のわからない部下達が入って来た時に、的確な指示が出来る様に」
マーシャルはとにかく甘いバジリデの考えに、心底ウンザリした。そんな一辺倒の簡単なやり方で技術が身につくならば、この星の事件は全て平和的に解決している。大義名分が無くても殺したい人種だ。
「我々は確かに駒です!失敗したら処分は当り前でしょう!でも!・・・でも、何が失敗なのか判らないまま何でもやらされて、たまたまそれが失敗に属してて・・・・・・何がいけないのか知らされないまま命を代償にしろって言われてるんですよね、俺!?」
当り前の事だ、とマーシャルは思っていた。カウンティだって、自分を責める気持ちでいっぱいの時に、周囲からどれだけ「死ね!」と言われ続けた事か。
「・・・・・・」
マーシャルははっきりと、この感情がどれほど嫌なものであるかを覚ってしまった。
「―――ならば貴様は、失態の原因が何かわかれば大人しく殺されてやるとでも言うのか?」
この話題になって初めて、マーシャルが口を開いた。バジリデは、正直なところ、自分がこうせがんでも相手になんかなってくれないだろうと思っていたので、返答が来ただけでも嬉しく、その先に自分の死が待っている事なんて忘れてしまいそうだった。
「・・・・出来れば、失態を起こす前に教えて欲しかったんですけどね・・・・・・」
苦笑するバジリデ。思えば、大した度胸である。警視監クラスの人間に、独りでこうも立ち向かっていく凡人はそうは在ない。
「・・・・・・」
気がつけばマーシャルは話していた。銃の手を下ろして。そして気づいた。話せる程に無い少なな公開内容を懸命に話そうとしている事に。
「・・・一つだけ教えてやる。失態の有無はそれほど関係無い。問題は上に気に入られるか否か、そして―――・・・」
これ以上言ってはいけないという自覚はあった・・・が、何だこれは。口が勝手に喋る。口が言う事を聴かない為、銃を持つ手を握りしめる。
「上には、触れてはならない“秘密”が多いのだ」
マーシャルは固く抑えつけた自らの手を無理矢理動かそうとした。もう、生かせない。慣性系が滅茶苦茶になって、上げる手が震えた。
バジリデはふと、何かに気づいた顔をした。
「・・・局長の秘密は―――サーベイヤーさんですか」
マーシャルは眼を剥いた。目撃者なのだから、ここまで話せば気づくに決まっている。己が手に銃があった事も忘れて抛り出し、彼はバジリデの首根っこを掴んだ。
「ーーーギブギブギブ!!痛いですマーシャル局長ーーー!!」
「―――そうだ。情報漏洩はこの業界では御法度。調子に乗って言い触らさなければ、少しは長生き出来たのにな」
「!?」
バジリデは自らの頸部を彼の手の上から押えた。涙目で非情に絞める相手を振り返る。その表情は意外にも―――眉を寄せていた。
(―――サーベイヤーさん自身と局長の間に、何か―――?)
バジリデは少しだけ魅せられた、サーベイヤーの綻んだ笑顔を思い出した。昔を懐かしむ顔だった。
「言い、触らす――・・・?」
何だかとても悪い気がした。
バジリデはパリッシュ=シェリフ長官に謁見していた。ちょうど局長室が慌しかった頃だ。
誰からもオポ・シェリフ脱獄事件の後始末の指示を仰げない侭、悶々と行方を知っている上司の部屋の辺りを縋る様にして歩いていた。長官が国家刑事警察機構に現れたのはまさに不意打ちで、後からやって来たのである。
『・・・どしたの?誰かお客さん?』
答えたのは
「誰かが倒れていたのを、カウンティ警視とボロ=マーシャル局長が発見されたみたいで。保護する、だそうです」
その時は誰が保護されていたのか、バジリデは知らなかった。他言無用だという事も。最終的な目撃者が自分一人だという事も、知らなかったのかも知れない。
長官は褒めてくれ、自分なんて・・・と、バジリデは少し照れくさく感じた。
長官に指示を仰ごうとしたら
『あ、ワタシこれから行方不明になるから。またねー♪』
と、逃げられてしまった。
「・・・・・・シェリフ(あれ)は敵だ」
先程の眉間はドコへ往ったのやら、カウンティの様に虚ろな眼が冷徹に語る。サーベイヤーが何者で、彼との関係がどれほどのものであるかはよくわからないが、局長にとってはとても重要で、守るべき情報であるという事は苦しくなるほど伝わってきた。
苦しいほどに。
苦しい。
「だから苦しいですってーー!!マーシャル局・・・」
突然解放、というか首根っこから叩き落とされ、バジリデの眼球は振盪した。マーシャルが拳銃をぶっ放す。
―――そのまま首を絞めてしまえばすぐに死なせたのに。
誰もがそう思うところであろう。マーシャル自身も疑問を懐いていた。あくまで銃殺に拘る点でも、戸惑いを隠せずにいた。そこまでガンマンという職業に誇りを持った覚えは無い。
ぴしっ、と音が鳴った。
銃弾が遂に、バジリデの大腿を貫通する。バジリデは短い悲鳴を上げて、その場にうずくまった。
「お遊びは終りだ」
やがて銃弾の蓮根が切れる。マーシャルは一度相手に銃弾を命中させた事に依って、今まで抱えていた迷いは全て振り切った様だった。
(・・・・・・!あれ・・・・・・)
バジリデは彼を見上げる段階で、何か違和を覚えた。局長が局長に視えない。
彼に、とある女の姿が重なった。




