Ⅱ-Ⅶ.梅干談義
『―――届きましたか?』
かれが彼女の映像を見て、ニッコリと微笑む。如何やら彼女はご健在の様だ。
{・・・ええ。御蔭様で}
女が己の胴体ほどの大きさのカプセルをかれに見せた。中には原形の保たれた生き物―――猫か。
かれは、細い眼を開けて映像を凝視した。女の表情も合わせて視る。余りよい結果では無い様だ、とかれは読み取った。
『―――生きていますか?其』
其でも訊いてみると、女は眉をひそめた。俯きがちになって、首をゆっくりと横に振る。
{・・・・・・残念ながら}
女の感傷に一緒に浸る気も無く、かれは胎児ではいけないのですね・・・と次なる策を考える。何がいけないのだろうか。原因が解らぬ内は、闇雲に対照実験も出来ない。予算は限られているし、何より、我々の技術では一体を搭載するのが精いっぱいだ。
『―――分りました。もう一体、同じモノをお送りしましょう。其でもダメなら、また違う策を考えます。その失敗作は、次の帰還時に此方にお持ち帰りください』
かれはB5サイズの紙にメモを取る。丁度、カルテと同じ大きさだった。
『―――では、お気を付けて―――』
リコネスの雰囲気が違う。オポは何と無くそう思った。
シドニアの駅から列車に乗って、ヘラス地方に向かう。ヘラス地方は火星最南端にある、クレーターが多く分布する地域。昔から戦争多発地帯で、火星の環境変化に因って人口が激減しても、構う事無く殺し合い、自爆テロをも行なった。クレーターは、隕石の衝突跡では無く爆弾の爆発跡では無いかという噂さえある。
余談をいうならば、其処はパンドラ海峡を越えてやって来たサバ人と、ヘラスと陸続きの大地・テラ=チレナのエトルリア人が争い合い、サバ人はほぼ全滅に近い状態になってしまったらしい。一説には、エトルリア人の手から逃れた一部の民は、アルギュレ平原へ行き先住民と融合したとか、或いは絶滅したとも云われている。
現在、ヘラスにはエトルリア人が住んでいると云われているが、平和にはなっていない。今度は内戦という形で同族を互いに殺し合っている。エトルリア人というのは、どうも殺しが好きな民族らしい。
その様な戦争地域に、リコネスとオポはこれから行く。オポはスパイだが、まだ戦争地域の偵察は担当した事が無い。
リコネスの緊迫した雰囲気に、オポの高揚した気分は縮み上がってしまった。列車に乗っても、リコネスはずっと窓の外を見ていて、それがオポの不安を掻き立てる。駅弁を受け取っても、二人は膝の上に載せた侭で、なかなか手を着けようとはしなかった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
食堂。サーベスとバジリデは、結構な時間、対面の席で無言の時を過していた。目の前にはウメボシとメンマがある。
気まずい。
「あの!」
会話が無い事で緊張していたバジリデが、先程からずっとメンマを見つめているサーベスに話し掛けた。
「・・・はい?」
さっさと食べてしまえばそれでいいのに、何故か話をせねばと焦るバジリデ。此処は交流の場では無く、嫌いな食べ物との合戦の場だ。バジリデは髭眼鏡を見て言った。
「今日はどうして国家刑事警察機構に?」
「・・・・・・」
どうしてだろう。それはサーベス自身が一番訊きたい事だった。思い出せずに悩んでいると、バジリデがあ!と叫んで恐る恐る訊いた。
「もしかして、マリネリス(僕等)が誤認逮捕をしたから、訴えに来たとか・・・!?司法手続・・・!?」
「はい!はい!違うから!!」
サーベスが大きな声を出してバジリデの声を遮る。この場にはまだリコネスの様なゴシップ記者が居る。
叉もバジリデがあ!と叫んだ。
「今度は何・・・「毛布に包れて運ばれて来た人って、もしかしてサーベイヤーさんじゃないですか?」
え?サーベスにはよく解らなかった。毛布の中で目覚めたのは確かだが。サーベスは怪訝な顔をしてバジリデに尋ねる。
「・・・・・どういう事?」
「カウンティ警視から聞いたんですが、シドニア精神病院で倒れていた所を保護したそうです。本来はシドニア地方警察の管轄なんですが、上司の人から此方で保護するから持って来いって言われたって・・・」
保護・・・?サーベスは露骨に不服そうな顔をした。自力で脱出して来た感がたっぷりなのだが。現に手錠も掛けられていたし。
「・・・・・・あーね」
サーベスは納得した。
「―――フゥ・・・」
一息吐いた途端、咳き込むマーシャル。また部屋が滅茶苦茶だ。彼は先ず、局長席に居座っている気に喰わぬ剣を引き抜きに掛った。
『之を引き抜いた者は王となるだろう』
気持ちがよい程にスッと抜けるサーベルは、自分がアーサー王になった様な気分になって本当に気持ちよかった。上機嫌でサーベイヤーの散かした毛布と手錠を回収してゆく。
「――――」
今一度、サーベイヤーの散かした毛布と手錠を見つめた。
マーシャルの中に、こんこんと蘇り、湧き上がってくるものがあった。それは、これから見せる懐かしさの笑顔か。
「―――相変らず、餓鬼だな・・・・・・」
そう呟き、また一つ、咳をした。
「マーシャル局長と、懇意なんですか?」
バジリデがしつこく訊いてくる。サーベスは流石に嫌になって、ぎっ!と彼を睨みつけた。バジリデ、ビクつく。
「・・・すごい訊きたがるね。何で?」
そう訊かれるという事は、そういう要素が有るからに違い無い。サーベスは口調を抑えて訊き返した。聴く耳は物凄く有った。
だが、バジリデは逆に黙り込んでしまう。しかも何故か、顔を紅らめて。
「・・・?」
サーベスは気味が悪くなった。
「・・・・・・マーシャル局長と、カウンティ警視が叔父と姪の関係だって、知っていましたか・・・・・・?」
バジリデが非常に小さい声で、か細く言う。聞き取り難かったが、それが聞き取れた時、サーベスは眼を円くした。
「・・・・・・知らない。というか俺が知っている方が変な気がするけど」
もしかして――と呟いた時、急にバジリデに横髪を引っ張られ、顔をテーブルに引き寄せられる。バジリデはしっ!と声を出さずに息だけ吐いて言った。
「この事は、他言無用ですよ・・・・・!」
「この髪は、馬の手綱じゃ無いんだけどなぁ・・・っ」
テーブルにダイブする二歩手前で、サーベスはわなわな震え出す。テーブルダイブの前に、メンマのお椀にダイブするところだった。
「・・・へぇ。君、あのオネエサン好きなんだ。ふーん」
からかう様にだが、めちゃくちゃ興味が無さそうに言うサーベス。ある意味で、最も辛い反応のされ方だ。
「・・・で、俺が局長さんと懇意だと何かあるの?」
サーベスは何かと引っ張られる長い横髪を指にくるくる巻きながら言った。バジリデは声を詰らせる。
ん?(にこにこにこにこ)
満面の笑みで先を促す彼。でも、背後に黒~ぉいオーラを感じます。動機を言えばバッサリ斬られる。バジリデはそう確信した。
「・・・」
サーベスは顔は動かさずに、黒眼だけを動かしてバジリデや、窓際に座る周囲の人々を見る。リコネス似の彼女が手つきから察するに『腹黒王子』とメモ帳に書き込んでいる。サーベスは苦笑した。
「・・・俺も、別に関係は無いんだよね」
思っていたより相当柔らかな声が返って来たので、バジリデは驚いて顔を上げた。渋っていた割にさらさらと答える。
「兄が局長と懇意だったからね。その誼じゃないかな」
バジリデが叉も髪を引っ張ろうとする。サーベスはその手を払った。
「え、お兄さん何という名前ですか!?局長と懇意なら上層部の人ですよね!?」
「言ってもわかんないと思うよー!まず、警察関係者じゃないし」
バジリデが大声を出すと、何故かサーベスの声も大きくなる。二人は取り敢えず、椅子に真っ直ぐ座り直して落ち着いてみる事にした。
「・・・とにかく、早く此処出たい・・・・・・てか、出て行って・・・・・・」
遂に弱音を吐くサーベス。嫌いな食べ物を前に頭を抱える彼に、バジリデはショックを受けた。
「俺の恋愛話には、付き合ってくれないんですか!?兄さん!!」
「俺は弟を持った憶えは無い!!君の方が年上でしょう!!」
「そうなんだ!?」
「そうでしょうとも!!22じゃ警部補にもなれないでしょ!!」
「・・・兄さんは、恋愛には興味無いんですか?」
「無いね」
溢れ出す好奇心を極力抑えたうえで訊いた心算なのだが、その甲斐無くこちらでバッサリと斬られた。
「・・・それより、早く食べてくれないかなぁ・・・」
サーベスはしびれを切らした様に言った。
「食べられるでしょ?梅干くらい。美味しいじゃないか」
「あの酸っぱいだけのやつのどこが!?あんなの食べ物じゃない!!」
バジリデが泣き叫ぶと、奥からおばちゃんがやって来て、彼の後頭部を鉄板で打ち鳴らして去って往った。バジリデ、テーブルに臥せて指先をぴくぴくさせる。サーベスは呆れた様に彼を見た。
「そんなに言う位だったら、最初から頼まなければよかったのに」
痛みより怒りが勝った。バジリデは顔を上げ、キッとした眼でサーベスを睨むと、畳み掛ける様にこう言った。
「定食の漬物ですよ!?毎日変るんです!予測できる訳無いでしょう!!兄さんだって、何ですかその支那竹!食べられないんだったら、老麺なんて最初から注文しなければよかったんですよ!!」
「俺はどうしても老麺が食べたかった!!だがどうして支那竹が入っている!?それこそ想像できない!!」
いや!ラーメンにメンマって普通でしょ!?普通だよね!?バジリデは兄さんの感覚を疑った。
「とにかく!完食しなければ食堂から出る事は出来ないんだろう?なら食べて、ほら」
サーベスが爪の先でテーブルを叩いて急かす。かつかつと音が立つ。意外に無骨な、貝殻爪だった。
「行儀わろし!!」
突如カウンターの奥から、泡のついた鍋が飛んで来る。サーベスが顔を伏せてそれを避けると、鍋はそのまま窓を突き破って姿を消した。
・・・いったか?とサーベスが窓の方を見ながら顔を上げる。何事も無かったかの様に元の姿勢に戻って、ウメボシの皿をバジリデに近づけた。
「はい」
人の好さそうな満面の笑みが、逆に怖い。今回、黒いオーラは発していないのに、逆にその清らかさが恐怖心を煽る。何故だろう。
バジリデはその理不尽さに屈しはしなかった。メンマの皿をサーベス側に寄越し、無言の圧力を彼に掛ける。他人の事より自分の事でしょ、兄さん。僕が梅干を食べても、兄さんが支那竹を食べないと出られないんだよ。
彼は気づいていない様だが、先程の態度からみてサーベス自身は食堂から出たいという気持ちより、バジリデと離れたい気持ちの方が強いのではないかと思える。
サーベスは溜息を吐くと、諦めた様に自分の手を引っ込める。だが、ウメボシの皿は先程より更に前進していた。
「お姉さん、水を貰えませんか?」
サーベスが不意に手を挙げて、水をオーダーする。おばちゃんをお姉さんと呼ぶのも戦略か。そして水で流し込む心算か。バジリデも慌てて手を挙げ、オーダーした。
オーダーを増やす分には特に問題は無い様で、おばちゃんは、んー!とゴツイ声を上げると、間も無く水を持って来てくれた。
あれは返事だったのだろうか。
「・・・有り難う」
水で喉を潤す。彼がメンマに着手する気配は全く無い。カップを口から離したサーベスは、両手で揺らしながら神妙な面持ちで言った。
「・・・サンさん。俺は、眠ってしまう様な長い話をするつもりは無い」
張り詰めた空気。バジリデは固まった。少しでも動けば仕留められそうなこの雰囲気は、この男が出しているのだろうか―――?
「・・・でも、いつまでも此処に留まるつもりも無い」
サーベスが、カップの中身に目を向ける。水面に映った己の眼は、光を反射しない分真黒で、感情も無いがらんどうなものに見えた。
「だから、少し長いが話さなければならない」
サーベスがすっと、腕を真っ直ぐに伸ばして或るモノを指さす。バジリデは目を凝らして指さされたモノを見た。
「!」
その、或るモノを見てバジリデは息を呑んでしまう。リコネス似の彼女も身の乗り出して或るモノを見、意外性に口に手を当てた。
そう、梅干を。
サーベスは目を細め、まるで畏れているかの様に乾いた声で語り始めた。
「梅干の種に棲まわる、神様のお話を―――」