Ⅺ.権力者
若き科学者が、コーヒーを啜りながら、誰かと話をしていた。
「ムキになっておられる様だ」
かれの席にあるコーヒー‐カップの皿には、シュガー‐スティックが5本程、ミルクが3個殻の状態でひっくり返っている。詰り、中の砂糖やミルクは、全てかれのカップの中でコーヒーと融合し、カフェ‐オ‐レという別のドリンクとなっていると謂える。
「私は好きですよ。彷彿とさせるものが有る」
ごみだらけの皿に、コーヒー‐カップを置く。シュガー‐スティックの殻が下敷となっているが、特に気にはしない。
置き方が悪かったのか、シュガー‐スティックの殻一つが真中から大きく二つに折れて、跳ね返るという一連の運動が起きた。その拍子でテーブルから身を投げ出し、床へ向う重力の軌道に引っ張られる。
「・・・と」
床に転がった其を、かれは拾い上げ、目を丸くして物珍しそうに見つめ続ける。見慣れた物を
・・・暫くして、丸く空洞の出来た其を、両側から挟んで引っ張って、潰す。平らになった其は、縦に二つに折られ、巻かれたりして、いつしか美しい蝶となった。
「クローンは、後天的な影響があって基の個体とは同一になり得ない。この場合にも、当て嵌まるのかも知れませんね」
本日は珍しく、私と同年代の研究者が会議に出席した。
マス‐コミの力というのも恐ろしいものが有る。私達は同志との再会を歓び、懐かしみ、学会が始ってもずっと喋り続けていた。
だが、何かが違う。
同志も変ったと感じる。
本日、学会に出席して、私の同志は同志でなくなっている事に気づいた。
皆、諦めている。研究を放棄している。本日、彼等がこの場へ来たのは、旧友との再会を愉しみ、若僧の進める学会の邪魔をする為だ。純粋ではない。
私は純粋に研究したい。地球が地球で居られる術を。何れ滅びると解っていても。
太陽光が接近している。寧ろ今は、火星の方が棲み易いかも知れない。そう知った時、私と同年代の研究者の大半は、研究を放棄した。あの若僧は転向した。純粋に、人間が人間で居られる術を求めて。
独善的だが、奴の学会は神聖だった。穢い人間の私情など無かった。純粋に、宇宙移民の研究のみを呈示していたのだ。
私はこの神聖な場が、心地好かったのだ。そして、私と奴は実はよく似ている。
その事に、私は今、初めて気づいた。
「スティトちゃんっ♪」
白髭を生やしたひょうひょうとしたお爺さんが、シェリフに満面の笑みで手を振った。
「!おじさま!♪」
シェリフが日頃の態度からは全く想像のつかない可愛らしい声で叫ぶ。微妙に内股気味で走り、お爺さんにぎゅっと抱きついた。
ボロ=マーシャルが舌打する。
「怖かったねぇスティトちゃん。あんなに沢山のギャァングに囲まれて・・・」
お爺さんが自分より背の高いシェリフの頭を撫で撫でする。シェリフはお爺さんの胸元に顔を寄せて
「そんな・・・大した事ありませんわ。この頃の火星のギャングは弱いもの・・・・・」
と呟く。お爺さんはがはは!と笑って
「さぁすが私のスティトちゃん!並の人間にゃ乗りこなせない!!」
んーんっ♪と、シェリフの頬に熱烈キスをした。
「・・・・・・」
余りのイチャイチャぶりに、気持ち悪いという感情を露骨に顔に出すマーシャル。口角が片方、床に着いている。
傍観者で終えたかったが、そういう訳にもゆかず、イチャイチャパラダイスに乗り込んで老人の数m手前、敬礼をした。
「お帰りなさいませ。パリッシュ=シェリフ長官」
「・・・・・・」
老人が、白けた顔をしてマーシャルを見上げる。ちぇーっ、と鶏(Chicken)の様に唇をとんがらせて
「今いいトコだったのに!」
と拗ねた。
「何がですか!!」
マーシャルが広い額に血管を浮き上らせて呶鳴る。
「ほらぁーおじさま。カレはまだ慣れていないから・・・」
「貴様は一体ドコのどいつだ?イモムシの真似事か、それは」
セクシーさをアピールしているのか、くねくねと老人の肩の下から出て来るシェリフにマーシャルは冷たい言葉を投げつける。するとシェリフは涙を下目蓋いっぱいに溜めて
「おじさま!!」
と老人に泣きついた。シェリフの顔の動きに遅れて、涙が空気中で散り、舞ってからついて来る。
「おぅおぅ、可哀想にねスティトちゃん。碌な上司持たないと苦労するねぇ」
「それはこっちの台詞だ!!」
シェリフをすっぽり包んで、背中をトントン叩いてあげる御老人。その光景を見ると神経は萎えて、マーシャルは只々顔を蒼くした。
「しかぁしまぁ遣ってくれたねぇ君達は」
その比較的真面目な声を聞いて、マーシャルは顔を上げた。が、御老人は先ほどの場所には居なく、既に専用席の、大きな窓に正面を向けて後ろ手を組み立っていた。
(速い・・・・・・!)
マーシャルは素直に寒心した。国家刑事警察機構、長官のポストは一つしか無い。しかも、火星に於いて国家刑事警察機構は国立航空宇宙局と対極を成す、絶対的権力の機関。
警察機構は軍隊の役割も果し、戦争となれば長官は元帥にもなる。彼ならば確かに、マス‐コミの批判など気にも留めずに、自分の部下を好きな様に動かせる。
「ごめんなさいおじさま。でも・・・・・・!」
ステートが演技を続けながらも必死な声で、長官席の机に両手を載せて訴える。パリッシュ=シェリフはゆっくりと振り返ると、彼女の手に己の手を優しく重ねて、穏かに語り掛けた。
「スパイ・オポチュニティを捕まえたい―――そうだね」
こくんと、上品に頷くステート。パリッシュは彼女の手を持ち上げ、顔の正面まで往かせると、彼女の碧眼を真っ直ぐに見て言った。
「オポチュニティを逮捕できるのは、男すら手玉に取ってしまう君しかいないよ。人事を尽しなさい、精一杯に」
「おじさま・・・・・・!」
「お待ちください」
ステートが喜ぶのも束の間、マーシャルが水をさす。つかつかと靴音を響かせて彼女の隣へ立つと、感情を交えぬよう努めて意見した。
「ステート=シェリフの実力は、私も認めるところであります。併し、今回は犯罪者であるスパイ・オポチュニティと共謀して脱獄している。それに対して何の処分も為さらないという事は、国家刑事警察機構の骨組として不味いのではないかと」
「――じゃあ、君は何故彼女を牢屋に入れたのだね?」
「!」
パリッシュの丸眼鏡が背後の光を受けて、彼の眼を視る事を禁止する。マーシャルは予想し得ぬ質問に、切り返しはすぐ出来なかった。
「・・・・・・職権を濫用ばかりするもので、法に触れていた部分も有りましたので仕置の積りで・・・・・・」
「其こそ職権濫用ではないのかね?」
・・・・・・ マーシャルは何も言う事が出来なかった。
「局長という立場を利用して、部下を牢に閉じ込め身体の自由を奪った―――これ、職権濫用であり法にも触れていると思うけどなぁ。なら、君も牢に入らなきゃだよねぇ」
「おじさま!もういいですから――」
流石に気の毒になり、愛想笑いを浮べながら止めに入るステート。だが、パリッシュは一向にその手を緩めない。
「今の君に何を言われても、没落した貴族の負け犬の遠吠えにしか聞えないなぁ。何なら、名称まで統合しちゃってもいいんだよ?ね、マーズ=ボロ=“シェリフ”君―――?」
さぁて、コーヒーでも買って来よっ♪と言って、コインの音がじゃらじゃらするトレンチ‐コートを腕に引っ掛けて長官室のドアまで小走りするパリッシュ。マーシャルが誰も座らない長官席に向かって、微動だにせずに頭を下げているのを見て
「全く。君も死んだお兄さんそっくりだねぇ。すぅぐに拘る。くれぐれも、お兄さんの二の舞を演じて、姪のコをこれ以上悲しませない様に。ま、そうなったら私が養女に貰って大切にしてあげるけどねぇ♪」
あ、と唇に人さし指を当てて、何かを思い出した様な顔をした。上に向かった視線をマーシャルに戻すと
「君に対する処分は、また後日言う事にしよう。だぁいじょうぶ、別に悪い様にはしないから♪スティトちゃんに何かしない限りね♪」
シルク‐ハットを頭に載せて、コサック‐ダンスをしながら部屋を出て行くパリッシュ。彼が出て行ってからも、口笛は暫く聞えた。
アスレチック風のログ‐ハウスレストランに、来客の鉦が鳴った。店員がそそくさと赴く。
店員の案内で、二名の客が一番奥のテーブルに通される。エクスプロレーション=ローバーがパスタを食べていた。
「よぉ」
リコネッサンス=オービターが声を掛ける。ローバーはびっくりして、パスタを噛まずに呑み込んだ。
「どうだった?」
グローバル=サーベイヤーが心配して訊く。手近にあった席に座るが、其処はローバーの隣だった。ローバーは飛び上がって愕く。
「ちょ・・・っ、何でこっちなんですか!!」
は?とサーベイヤーが間抜に口を開く。オービターは取り敢えずローバーと向い合う席に座り、二人の遣り取りを観察する事にした。
「・・・あのねぇ、俺まだ足痛いの。だから此処に居させてよ。後でリコネスの隣に移るから」
えっ、と、追い出そうとしているのにそう言われると寂しそうな顔をするローバー。サーベイヤーはその複雑な乙女心が解らない様だ。リコネスが言った。
「いやだ。こっちに来ないで欲しい。邪魔だから」
「え!?」
身の置場が無いのはサーベイヤーである。このテーブルには、ローバーの席とその隣、リコネスの席とその隣の計4つしか椅子が無い。
「俺達も何か注文していい?腹減った」
「はぁぁーいえ、全然!注文しちゃってください!」
この頃、俺の扱いがぞんざいな様な気がするのは気のせい・・・?ローバーに背を向け体育座り、サーベイヤーは落ち込んだ。
「サーベス。何がいい?」
リコネスがメニューをサーベイヤーの前に置く。サーベイヤーはえ・・・とリコネスを見ると、ひどく困った顔をした。
「・・・・・いい。俺、お金無いから・・・」
「知ってる。その上で訊いてんの」
サーベイヤーが目をぱちくりさせる。
「金は嬢ちゃんが余分に持ってるから「何で私が!!」
がたっと音を立てて椅子から立ち上がるローバー。反射的に言ってしまってから、はっとなってサーベイヤーを見る。彼はひどく傷ついた顔をしていた。
「・・・・・・うん、いい・・・・・・」
サーベイヤーが立てた膝に顔を埋める。お金を持たない事が、こんなにも惨めな気分にさせるなんて知らなかった。
「・・・・・・」
リコネスがメニューを仕舞う。ローバーはこれまでと違うサーベイヤーの脆さに、どう接したらよいかわからない様子だった。
沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは、やはりオービターだった。
「・・・で、どうだったの?」
「え」
「インタビュー。巧く誤魔化せた?」
今迄渦巻いていた内面的な問題から、未だ脳がついていっていない。ローバーはあっ、あぁっ、と相槌だけ先に打つと、少し考えた。
「大丈夫でした。何か最後人生相談みたいになってたし」
「人生相談?同情とか誘えた?」
「はい・・・・・・」
ローバーが不安げな表情で、オービターを見る。彼はその視線に気づくと、甘心した様に目尻を下げた。
「さすが」
褒められた様で、ローバーは安心と共に照れくささを感じる。会話はそこで切れ、レストランの一角は再び静寂に包まれた。
「―――あの」
今度はローバーが、オービターに話し掛けた。とても申し訳無さそうに。オービターはいつだって何かを考えていそうだが、何を考えているのか、本当に考えているのかは判らなかった。
「なに」
しかし、きちんと反応は返って来る。ローバーはまた少し安心した。だが、すぐにまた不安げになる。訊きたい内容が不安な事なのだ。
「私は―――」
オービターは冷静に、自分を視ている。
「私は、サーベスを傷つけてしまったのでしょうか―――?」
オービターが驚く回数は、意外にも多い。ローバーの言葉に、彼の瞳孔はまた開く。彼の目線を追ってみると、うずくまるサーベイヤーに行き着いた。
「・・・・・・てか、サーベス寝てんじゃね?」
「え!?」
サーベスの手はだらんとなっている。もうすぐこの店も閉る。此処で眠られては困る。
「・・・嬢ちゃん、早く食べな」
そう言って、サーベスを起しに掛る。長い横髪を両方から引っ張る一風変った手法を験してみるが、目を覚ます気配は無い。
「サーベ・・・」
オービターがサーベスを起そうと触れた瞬間、バチバチッと静電気の電荷が放電される音がした。だが、静電気の其よりかなり大きな音で、青白いコロナが十字に光り、レストランの灯やテレビが消えて、ローバーの交信機器が勝手に起動した。
大画面が現れて、マーズ=パスファインダーが映り込んだ。
{素晴しい・・・・・・}
「・・・?」
リコネスが何かに感激するパスファインダーを見て、不思議に思う。居る空間が先ず違うので、彼女が何を見て感激しているのか流石の彼でも全く見当がつかなかった。
「パスファインダー!これは・・」
{外を、見てください!!}
言われるが侭に、リコネスもローバーも窓の外を見る。訊く必要無しに、外を見る必要性が瞬時に解る光景が、其処には広がっていた。リコネスがカメラを持って、外へ出て行こうとする。と、ローバーが服の裾を握って彼を引き止めた。
「待ってください!」
「待てない。スクープを逃す」
「今は一体、何が起きているんですか!?」
リコネスがローバーを振り返る。明らかに驚いた眼をしていた。
「・・・・・・わかんないの・・・・・・?」
{彼女に緋色の空は視えませんからね}
パスファインダーが二人と同じ目線まで下りて来る。着地した全身画像の彼女は、ローバーより確実に高く、リコネスより若干低い背丈だった。相変らず美しい。
{地球でも今、似た様な現象が起っています――地球と火星は現在、シンクロしている。この現象、地球では蘇る勇者を迎える甲冑の輝きという定訳がつきますが、逆の歴史を辿っている火星ではこう云われています―――
『殺し合った勇者の魂を狩りに往く死神の来襲』と―――}
ローバーもリコネスも、意味が解らないという顔をしている。
店員の一人が、客が混乱しない様にと店内の奥へ来た。其処で、等身大の実体の無い女性を目撃する事になる。十字のコロナが客等の目を潰す。
「―――!」
店員の目も、やがて潰される。
{詰りは、こういう事です――之ほど迄に空が緋いという事は、空中に舞う砂に酸素が雑じり、宇宙空間に逃げ出してしまっているという事です。この侭では、火星の大気は失われてしまう}
パスファインダーがサーベスを見る。大騒動であるのに、髪と髪の間から覗く目は開く様子は無く、身体もぴくりとも動かない。
{――一刻も早く此方へ来てください。さすれば}
此方・・・?パスファインダーが二人を見た。十字のコロナが彼女と重なり、後光の様な、奇妙な感じを創り出す―――
「―――!!」
ローバーにも、眩しくて見えない。はっきりと一部始終を見る事が出来たのは、色覚異常のリコネスだけだった。
{火星が亡びぬ手立てが打てます}