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呼び出し

「ふぅ……」


 俺は、小さなため息をついた。


 午前中の授業は全て終わり、今は昼休み。おのおのがおのおののグループを作り、昼飯を食べている。そんな中で、俺と、磯本だけは、一人で飯を食っていた。


 昨日のような失敗をしないために、俺は極力磯本の方を見ないようにしていた。とにかく、ここぞというチャンスを待つんだ。獲物を狙う肉食動物のように。


 繰り返すが、磯本は今、飯を食べている。俺も食べている。従って、今話しかけるのは無理だろう。「一緒に食事しようと誘う」という選択肢も頭を過ぎったが、秒速で却下した。だいたい、いつも一人飯をしている二人が急に一緒に食べ始めるなんて、不自然この上ない。クラス中の連中に「何事だ!?」と心配されてしまう。


 チャンスは、ヤツが弁当を食べきった時だ。弁当を片付け、本を読み始めるまでの間に、俺は第一次ミッションを完了させなければならない。


 今日の放課後に、中庭に来てくれ。そう伝えるのが第一次ミッション。


 やはり、告白と言ったら放課後の中庭だろう。さすがに俺だって、教室の真ん中で告白するほどバカじゃない。こんなところで告白されたら磯本だって困ると思うし、いくらなんでも振られる気がする。その辺りはわきまえているつもりだ。


 それにしても。


(食うの……遅いな)


 俺はもう弁当を食べきってしまったのだけど、ターゲットはまだもしゃもしゃやっている。一体いつになったら食べ終わるんだろうか。このままじゃ、昼が終わってしまう。


 焦る気持ちを抑えつつ、横目でチラチラと彼女の観察を続ける俺。そんなことをしているうちに、だんだんと……ほっこりとした気持ちになってくる。

 

 なんというか……


(かわいいぞ……)


 とにかく、ものすごく一生懸命食べているように見えるんだ。そんなに量があるわけでもないのに、一つ一つ、丁寧に箸でつまんでは口に入れ、もぐもぐもぐもぐ咀嚼する彼女。動作はのろくても、どこか必死さがにじみ出ていて、まるで……ハムスターとかリスとか、その辺の小動物を見ている気持ちになる。人が飯を食べている姿を見て「かわいい」と感じたのは、これが初めてかもしれない。


 でも、見とれていることにハッと気づいた俺は、慌てて目をそらした。昨日のように目が合ってしまったら、また告白することにためらいが生じてしまう。俺は視界の端で彼女を見るようにしながら、ヤツの食事が終了するのをひたすら待った。


 ひたすら待って、待ち続けて。


 ようやく、その時はやってきた。


(弁当を片付け始めたな……。いくか……?)


 彼女が弁当の蓋を閉じ、ピンク色の小風呂敷で包み始めたのを見計らって、俺は席を立った。読書を始めたら、また話しかけにくくなってしまう。急げ、チャンスは一度きりだ。弁当をしまい、本を取り出す前に……。前に……


「あっ!? うおぁっ!?」

『ガッターン!!!!!!』


 …………。最悪だ。


 机の脚に躓いて、机ごとぶっ倒れた。もう駄目だ俺は。どうしてこういう大切な時に、普段は影を潜めているドジ属性が躍り出てくるんだ……。あぁ、パトレッシ……。僕はとても疲れたよ……。


「だ……大丈夫?」


 とある悲しいアニメのラストと自分を重ね合わせて現実逃避していた俺の耳元に、優しい女性の声が届いた。


「い……いそ……も……」


 ピクピクしながらも、なんとか体勢を仰向けに切り替え、彼女への対応を試みる俺。かっこ悪いとか、そういうレベルじゃない。ていうか、普通に磯本が話しかけてくれたけど、もう喜んでいいのか悲しんでいいのかもわからない。


「あの、今日の放課後……って、暇?」


 そして何を思ったのか、俺は仰向けに寝転んだまま、哀れみの表情で上から俺を見下ろしている磯本に向かって、放課後の予定を聞いていた。


「えっ? あ……、うん。特に用事はないけど」


 きょとんとする磯本を尻目に、ようやく半身を起こした俺。この時点では自棄になっていて、緊張もクソもなかった。そのお陰で……


「じゃあ、今日の放課後……中庭にきてほしい」


 ……すんなりと、言葉が出来てきた。とりあえず、磯本の目を見て可能な限り凜々しい表情をしたつもりだ。ぶっ倒れた机の隣で尻餅をついてさえいなければ、そこそこ格好良かった自信はある。


「ん、いいよ。先に行って待ってるね」


 ……こんなにダサくて取り柄のない俺なのに。


 磯本は、にこりと微笑みながら、拍子抜けするくらいあっさりとそう答えてくれた。


「お……おう。えっ? 来てくれるのか?」

「来て欲しいんでしょ?」

「そうだけど……」


 勢いという麻酔が切れてきて、今さら緊張がこみ上げて来る。


 冷静に考えれば、ドン引きされてもおかしくない状況だ。でも、あんなにビビっていた割には、驚くほどスムーズにことが運んだ。そういえば、あえて大きな失敗をすることで緊張を書き消すという裏技の話を、いつか聞いたことがある。どうも俺は、意図せずそれをやってしまったらしい。どうでもよくなるって、時には大切なんだな。


 俺は無言で立ち上がり、パタパタと膝を叩いた後に机を起こした。その間、磯本はずっと、俺のことを見ていた。気まずいだろ、そんなに見つめられたら。


「ねぇ」


 そして、唐突に声を掛けられた。


「もうちょっと話そうよ。まだ、授業始まらないしさ」


 この展開は、完全に想定外だった。俺のプログラムには組み込まれていない。どうレスポンスしたらいいのかが分からず、古いPCのようにフリーズしてしまう。


「話そうよ。ね? ほら、ここ座って」

「いや、あの……、はい」


 俺は磯本の押しに負けて、自分の席についた。こんなに……積極的だったのか、磯本って。いや、今までほとんど絡みがなかったんだ、俺は磯本のことを知っているようで、実は何も知らないのだろう。


「すごくおもいっきり転んでたけど、大丈夫? 怪我してない?」

「そのことはもう、忘れてくれ。できれば、脳内のシュレッダーで粉砕して欲しい」

「なにそれ! 篠原くんって面白いこと言う!」

「えっ、そうか? そんなこと初めて言われた。ところで磯本は……いつも一人で何読んでるんだ?」

「ん? あ、えーと。小説! 『君の内臓をなめたい』ってやつ。知ってる?」

「あー、聞いたことあるかも。最近有名になってきたヤツだろ? 面白いのか?」

「んー……」


 磯本は、腕を組みながら首を少しかしげた。


「私、面白いとか面白くないとか、あんまりそういうこと考えないんだ」


 そうなのか? 面白くない小説って……読んでも辛いだけだと思うんだけど。


「そうじゃなくてね、探るの」

「……探る?」

「うん。なんでこの人は、こういう物語を作ろうと思ったのかな、とか、普段はどういう人なのかな、とか。色々な思想が詰まってて、そういう意味では何でも面白いよ。だから私は、色々な人の作品を、平均的に読むのが好き。ケータイ小説も、結構読むよ」


 ふぅん、そういう作品の楽しみ方もあるんだ。俺には思いつかなかった。なんだか、コイツの話は新鮮だな。


「あ、そろそろお昼休み終わっちゃう!」

 

 気がつくと、お昼休み終了五分前だった。


「じゃあ、放課後中庭でね!」


 磯本はそう言うなり、急に席を立って行ってしまった。その場に呆然と取り残される俺は、まるで抜け殻のように空っぽになっていた。

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