あなたとの再会
はっと、俺は目を覚ました。目の前に広がっていたのは、自宅の天井……。俺は何をやっていたんだ……? と少しの間考え、すぐに思い出した。
ついさっき、俺の部屋からリビングへ向かう途中に、階段を踏み外して転げ落ちたんだ。まったく、せっかくの休日だっていうのに。
それにしても、なにかモヤモヤする。目を覚ます前に、ものすごく悲しくて辛い目に遭っていたような……。夢? にしては、現実味があるんだよな。まぁ、内容については何一つ覚えていないし、ただ単にそんな「気がする」だけなんだけど。
しかし、31歳にもなってこのザマはなんだ? 自分の人生が悲しくなってくる。
とりあえず、右腕と左足が尋常じゃ無く痛むので、動くことができない。頭から滴っている生暖かいものは、きっと血だろうな。全く、どうせなら落ちた衝撃で死んでしまえば良かったのに。なんで中途半端に生きてるんだよ。
嫁無し子無し、彼女も無し。生きる意味も見つけられずにぼーっと歩いていたら、階段から落ちた。みじめすぎる。
かつては、結婚を考えるほど好きな女性がいた。高校の同級生で、ものすごく地味だけどものすごく素敵な女性。最初で最後の俺の彼女。9年間近く付き合っていたのに、デートをドタキャンされたとか、確かその程度のくだらない理由で、俺は彼女を振ってしまった。後悔してもしきれない。
そもそも俺は、別れるつもりなんてなくて、ただ脅しで「別れるぞ」って言っただけだったんだ。でも彼女はそれを真に受けてしまい、俺も後には引けなくなって、本当に別れることになってしまった。バカなことをしたと思う。
別れてから一ヶ月ほどが経ったある日、いよいよ我慢できなくなった俺は、彼女に連絡をしたことがある。しかし、どんなに電話を掛けても彼女は出ず、メールの返信も来なかった。
彼女の家にも押しかけた。何度訪れても、常に留守だったのだが。本当に振られてしまったんだな、と身をもって知らされたとき、あいつの連絡先をスマホから消去した。
俺のことを哀れに思ったのか、友達のヒロシが、茶髪でスタイルのいいオシャレ女子を紹介してくれたこともある。
確かに高校生くらいの時分は、そんな女と付き合ってみたいなー、なんて妄想を毎日していた気がする。だけど、いざ付き合ってみたら全然駄目だった。結局2週間もしないうちに喧嘩別れし、その後俺に春は来ていない。まさか、あいつ以外の女性にここまで魅力を感じないなんて、思いもしなかった。
俺は、地味な黒髪の女性しか受け付けないらしい。……というか、あいつじゃなきゃ駄目なんだ。
磯本理々じゃなきゃ。
リリは素敵すぎた。一途で優しくて前向きで、飯食べるのが可愛くてド天然で。あんな性格の女は、リリ以外にいないだろう。
リリと別れて五年。そろそろ戻ってきてくれないかな、許してくれないかな、なんて甘い考えが、俺の脳裏を過ぎる。だけど、電話番号もメールアドレスも分からない今、俺から連絡するすべはない。残しておけば良かったと、本当に後悔している。
「ギャーーーーーッ!!」
けたたましい叫び声が屋内に響いた。お袋が買い物から帰ってきたらしい。大げさかよ、まったく。亡くなったリリの母親は、もっとお淑やかで清楚だったぞ。
「あんたちょっと! どうしたの!?」
「見ての通りさ」
「見ても分かんないから聞いてるんでしょ!?」
「分かるだろ!? 階段から落ちたんだよ!!」
「ハァ!?」
ハァ!? じゃねーし。状況からして、それ以外に考えられないだろ。強盗と格闘したとでも思ったのか?
「あんたそれで……どうしてほしいわけ!?」
「いや、俺、動けねーんだよ。なんとかしてくんね?」
「なんとかって言ってもあんた……、母さんひとりじゃ運べないよ!?」
「じゃあ、もう救急車呼んでくれよ! いろんなところが痛ぇんだよこっちは!」
リリと別れたあの日の次に最悪な一日だ。お袋はパニクると本当に何もできなくなるからな。こんな程度で救急車ってのは気が引けるけど、仕方ない。
……と思っていたら、そこそこ酷かったらしい。よほど激しく転げ落ちたようだ。自分の姿を客観的に見ることができなかったから落ち着けていただけで、他人だったら俺も慌てていたかもしれない。お袋、馬鹿にしたりして悪かった。
「脛骨と肋骨数本にヒビ、上腕骨が骨折していますね。頭の切り傷も酷い。脳と脊髄に損傷がないのは幸いでしたが、全治に2ヶ月以上はかかるでしょう」
階段から落ちただけで全治2ヶ月……。それが君の本気か、階段よ。
治療を終えたとき、俺の体は包帯&ギプスでミイラ男のようになっていた。これじゃあ会社も当分休みだな。新製品の開発は、しばらく後輩に任せるか……。
とりあえず様子見で2、3日入院することになった俺は、暇つぶしに病院の談話部屋のようなところへ来ていた。丸い机1つと腰掛けのある椅子4つ、というセットが6つほどあり、隅には自販機、斜め上には液晶テレビが取り付けてある。見回すと、点滴スタンドを引きずりながら歩く老人や、車椅子を自分で操作しながら移動する若者などが数名、たむろっていた。
俺は適当な場所の椅子を陣取り、ぼーっとテレビを眺めた。休日の昼ということもあり、バラエティ番組が流れている。
「都市伝説ねぇ……」
放送されている、『いきすぎ都市伝説』という番組を見ながら、俺は一人呟く。こういう話は嫌いじゃないんだけど、最近のはどうも嘘くさくて面白みがない。
「なんか飲むか」
つまらなくなった俺は、席を立って自販機の方へ向かった。それにしても、松葉杖って大変だな。いつまでこんな生活が続くんだろう。
やっとのことで自販機の前にたどり着いた俺は、舐めるように中の商品を見回した。俺はときどき、ある飲み物が無性に飲みたくなる。でもその飲み物を俺は、自販機の中で一度も発見したことがない。
「……ないんだよなぁ……。どうして売ってないんだろ、昆布茶。やっぱり需要がないんだろうか……」
リリの家に行くと、なぜかいつも出てきた昆布茶。初めて行ったのが寒い季節だったから、そのときは「体が温まる飲み物」ということで一応納得したけど、春に行っても夏に行っても、出てくる飲み物はいつも「昆布茶」だった。目をつむれば、嬉しそうに昆布茶の良さを語るリリの顔が、まぶたの裏に浮かぶ……。
『春は、生命の息吹を感じる昆布茶が一番いいと思うんだ!』
『夏はね、冷たい昆布茶を飲むと乗り切れるんだよ?』
『秋は……昆布茶だよねぇ……』
『冬はやっぱり、温かい昆布茶で乗り越えよう!』
……秋の理由が適当な気がするけど、秋ってなんの取り柄もない俺みたいな季節だし、仕方ないか。
結局、リリと付き合っているうちに俺も昆布茶にはまってしまい、付き合っていた頃は一人でも飲んでいた。別れた後は……リリのことを思い出すのが辛くて自重していたんだけど、それでもやっぱり、たまに飲みたくなる。……きっと、リリとのつながりを失いたくないという想いが心のどこかにあって、俺を突き動かしているのだろう。
「……まぁ、しょうがねーか。売ってないんだし」
だけど、ないものは仕方が無い。俺は諦めて、「やーいお茶!」のボタンを押そうとした。
……その時。
「たっ……ちゃん?」
あり得ない声が、俺の耳に届いた。ボタンを押そうとする俺の手が止まる。
「たっちゃんだよね?」
俺は、体を自販機に向けたまま、首だけを回して声の方へ顔を向けた。
「やっぱりたっちゃんだ! 久しぶりっ!」
そこにいたのは。
満面の笑みで俺の名前を呼ぶ、リリだった。
「リ……」
「ってかたっちゃん、どうしたのそれ!? 酷い怪我!! 何があったの!?」
突然の再会に言葉も出ないほど感動していた俺を一人置き去りにし、リリは険しい表情をしながら俺のところまで走ってきた。
「あ、いや、その……。階段から落ちた……って感じ?」
「なんで!? 気をつけなくちゃダメじゃん!!」
「はい……」
付き合っていた頃のようにリリに怒られる俺。怪我をした点については、面目ないとしか言い様がない。……ってか、それどころじゃないだろ今! リリだぞ!? 夢にまで見たリリが、今俺の目の前にいるんだぞ!?
「だいたいたっちゃんは、いつもツメが甘いところがあっ……ひぅっ!?」
俺は、動かせるほうの左手で、リリの肩をやや強引に引き寄せた。
「お前……今までどこに……!?」
涙を堪えながら俺が尋ねると、リリは少し困ったような表情で笑いながら、なぜか照れくさそうに答えた。
「ちょっと……ね。おっきな病気しちゃって。たっちゃんに知られたくなかったから、雲隠れしてた……」
「おっきな……病気?」
「うん。あ、でも今はもう全然大丈夫! 発見が早かったから、完全に治ったよ! 先生がね、あと一年遅かったら、命の保証はなかった……なんて恐いこと言ってたけど。今日の定期検診でも全然問題なかったから、安心して! 心配掛けてごめんね!」
リリは明るい声色でそう言ったけど、多分ただ事じゃない。俺と別れている間に、一体どんなことになってたんだよリリ……。
「とにかく、無事で良かった……」
俺はふっと全身が脱力し、自販機に寄りかかってしまう。
「ちょっと大丈夫!? 無理しないで……」
「リリ!!」
そして、心配そうに寄り添ってくるリリに、俺は言った。
「幸せになれよ」
俺の言葉を聞いて。リリは悲しそうに、顔をゆがませた。
「無理だよ」
「……え?」
「たっちゃんがいなくちゃ、幸せになんかなれないよ」
一瞬、言葉を詰まらせる俺。
「だってもう、俺のことなんか……好きじゃないんだろ……?」
「……好きだよ。私はずっと、たっちゃんのことが大好きだったよ。たっちゃんは違うの?」
「俺だってずっと……」
そこまで言ってリリを見ると、彼女は涙を流しながら、笑っていた。
「私、分かってた。いつか絶対、たっちゃんと仲直りできるって。たっちゃんが、私のところに戻ってきてくれるって。根拠はないけど、なぜか自信があった」
俺の目からも、涙が溢れた。
「当たり前だろ、俺にはリリしかいないんだから!」
「そのセリフも、なんか聞いたことある気がする!」
「うるせぇよっ! 恥ずかしいからヤメロ!」
俺は改めてリリの目を見つめた。リリも、俺の目を見つめ返してくれた。
「リリ、もう一度やり直そう」
「ううん、たっちゃん。もう、やり直す必要なんか、ないでしょ?」
そう言って、ウインクするリリ。ふっと、俺は笑った。
「……だな。じゃあ、言うぞ? 覚悟はできてるんだよな?」
「待って! せーの、で一緒に言おう? せぇのぉ!!」
俺とリリは大きく息を吸い込み、大きな声でそれぞれの想いを口にした。
「「リリ、俺と結婚してくれ!/たっちゃん、私と結婚してください!」」
直後、片手が使えない俺の代わりに、リリが思い切り抱きしめてくれた。周囲から拍手と口笛が響いたのを聞いて、ここが談話室だったということに、俺たちは気づいたのだった。
リリからは、かすかに石けんの香りが、した。
『さて、続いての都市伝説はこちら! 【時をつなぐ草紙】!』
『草紙っていうのは何ですか?』
『要は冊子ですよ。こう……簡単な作りの』
『時をつなぐって言うところが気になりますね。どういうことでしょう?』
『つまりですね、この冊子を使うと、未来の自分と会話できるんだそうです。潜在的に不幸になる可能性のある人のところに突然現れて、未来の自分から警告がくるんだとか』
『うわーなんだそれ! 来て欲しくないなー!』
『で、問題を解決することに成功すると、冊子に関する記憶だけが完全に消えるんだそうです。だから、自分の不幸が冊子によって解決されたことを知っている人はいない』
『んー、ご都合主義っぽいですねぇ……』
『もしかしたらあなたも、過去に【時をつなぐ草紙】のお世話になっているかもしれません。信じるか信じないかは、あなたに任せます』




