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勘違い

 二○二八年、九月四日。俺は会社を早退し、ある場所に向かって車を飛ばしていた。


 俺じゃなかったのか……。俺じゃなかったのかよ!?


 ……そう、何度も繰り返し呟きながら。


『たっちゃん……』


 あの日のリリの声が、脳裏に焼き付いて、離れない。


 ポツポツと途中から振ってきた雨は次第に強くなり、ルームミラーからバックを確認することが全くできないほど、激しい土砂降りになっていた。


『私……私もう……』


「あああああああああああああああっっっ!!」


 何度も繰り返し再生されるリリの声をかき消すように、俺は大音量で絶叫した。


『……ダメかもしれない』


「まだ、まだダメじゃねぇよ!!」


 アクセルに力が入る。途中の右折を強引に突破し、対向車からクラクションを鳴らされたけど、そんなこと気にしないで俺は走り続けた。


『お……おい、なんだよ急に。ダメかもって? 何が?』

『私ね、お父さんと……おんなじ病気に、なっちゃった』


「くそぉぉぉぉぉぉおおおおおおっっ!!」


 俺は再び絶叫し、ドリフトしながら左折した。もし警察に止められても、振り切ってしまう自信があった。


『……ガンなんだって、私』


「なんで俺じゃねぇんだよ!? 死ぬとしたら俺だろうがふざけんなよくそったれぇぇぇぇえっ!」


 車を乱暴に駐車し、乗り捨てるように外へ出た俺は、傘もささずに目の前の建物に向かって突っ走る。


 目の前の、国立大学付属病院へ。


「リリ!? リリっ!!」


 俺は、リリの病室に駆け込んだ。病院特有の消毒臭が鼻をつく。そこは、個室だった。リリの腕には数本のチューブが接続され、鼻にも酸素マスクのようなものが取り付けられていた。リリの頬はこけ、唇は乾き、目はうつろになっている。……信じられなかった。


 一ヶ月前に会ったときは、全く問題なく元気そうだったんだぞ!? どうして急にここまで……!!


「ごめん……ね、たっちゃん……。心配……かけちゃったね……」


 リリは半開きの目のまま、ゆっくりと口角を上げて微笑んだ。


「そんなこと気にするな! 大丈夫、絶対元気になろうな!!」


 そういう俺の目からは、涙がこぼれていた。


「たっちゃん、びしょ濡れ……。風邪ひいちゃうよ? そこにタオルあるから、拭いて?」

「俺のことじゃなくて、自分のことを気にしてくれよ! 気を強く持とう! な! 治療のスケジュールはどうなってる? 手術はいつだ?」


 俺がそう尋ねると、リリは悲しそうな表情をしながら答えた。


「手術はね、もうできないって。……全身に転移しちゃっててね、どうしようもないんだって。抗がん剤治療はできるけど……」

「じゃあ、それだ! 金銭的な補助は俺もするし、心配すんな! あとで医者と相談しよう!」

「ううん、抗がん剤治療をしても、苦しむだけで効果はないだろうって……。ここまできたら、緩和療法くらいしか、できることはないって……」

「ぅ……いや、でも、緩和療法ってのはできるんだろ!? それをやれば……」

「緩和療法っていうのはね、死ぬまでの期間をいかに楽にさせるか、ってだけだよ。……治せないんだよ、もう。もう……」


 つーっと、リリの目から涙がこぼれる。俺はもう色々なことに耐えられなくなり、その場にしゃがみ込んで子供のように泣きわめいてしまった。


「そんなに泣かないで……。ごめんね、今年の暮れまで……待てそうになくて。せっかく……せっかくたっちゃん……」

「お前こそ、泣くな! 笑え! 笑えば治るって話もあるんだ!」

「たっちゃんが泣いてたら、私も……泣いちゃうよ……」

「バカ、俺の顔をよく見ろ! 笑ってるだろ!?」

「泣いてるよ……」

「違う、最近俺は、こういう笑い方なんだ!」


 ようやく、リリが少し笑ってくれた。そうだ、笑え! 笑えば治る! 俺はリリを笑わせようと、必死になって色々な話をした。なるべく、リリが病気だということを意識しないように、いつものデートのような会話を心がけながら。


「たっちゃん、ありがとうね。お陰で、ちょっと元気出たよ」

「そうか? これから毎日、通うからな! 何時までならここにいられるんだ?」

「夜の10時が消灯だから、それまで……かな。あ、それと……」


 リリは俺に、そっと鍵を渡した。


「私の部屋に、ピンク色のポーチがあるんだけど……。もし面倒じゃなかったら、持ってきて……欲しいんだ……」

「……よし、わかった。じゃあ、今日はもう……帰るな」


 俺は立ち上がり、部屋の入り口まで歩を進めると、一旦そこで立ち止まった。そして、リリに背を向けたまま、呟くように言った。


「……俺が帰った後も、泣くんじゃないぞ」


 その帰りの車の中で。


 俺はまた、大声を出して泣いた。リリには泣くなと言っておきながら、俺は泣いた。


 振るとか振られるとか、そういうんじゃねーのかよ! 「別れた」じゃねーよボケナス! 何で未来の俺は、あんな曖昧な言い方をしたんだ!? ……怒りがこみ上げてくる。


 その「未来の俺」に、俺自身ももうじきなりつつある……ということは、分かっていた。もう、他人事ではないということも。そう、今の俺だったら。俺だったら……!


「なんて伝えればいいんだよちくしょぉぉぉぉおおおっっ!!」


 ガンッと、ハンドルに自分の額をぶつけた。この状況を、打破する方法があるのか。解決策はあるのか。過去の俺に何を伝えれば、リリを死なせずにすむのだろうか。


 例えば、リリは27歳でガンになる……ということを、予め伝えておいたらどうか。それを伝えておけば、早期発見も……夢ではないのではないか。俺だって、未来からそのことを伝えられていたら、もっと警戒したはずだ。あんな曖昧な言い方をするから、全然見当違いの心配をしてしまったんじゃないか。


 リリの家の前についた。俺は車を脇にとめ、外に出た。雨はすっかりやんでいて、残暑の熱気とともに独特なにおいが立ちこめていた。


 俺はリリから借りた鍵を使って、家の鍵をあけた。真っ暗な玄関の脇をまさぐって、電気のスイッチを押す。リリの家に来たのは、あの泊まり込んだ日以降……初めてだった。


 ほとんど空き家同然になってしまったリリの家だが、まだそれなりに生活感があった。リリの生きていた痕跡が、そこかしこに残っている。意外と片付いているのは、リリが家事を頑張っていた何よりもの証拠だ。……俺は廊下を進み、久しぶりにリリの部屋に入った。


 リリの部屋は、あの頃と全く変わらず……地味なままだった。変わったと言えば、ちゃぶ台が無くなり、布団が敷きっぱなしになっていることくらいか。きっと、仕事が忙しかったのだろう。あるいは、ここが寝室専用になっていた可能性もある。


 高校生の頃、この部屋で一緒に勉強したときの記憶が、蘇ってくる。同じ大学に進学するために、二人とも必死になっていたっけ。アレももう、10年近く前の話なんだ。


 本棚には、父親と母親の遺影に加え、俺との思い出の写真が、たくさん飾られていた。その写真を見るだけで、俺の涙腺は崩壊してしまう。いつまでもここにいたら、俺は泣きすぎて脱水症になってしまうかもしれない。


 とりあえず、リリに頼まれたピンク色のポーチを見つけ、そっと取り上げた。


「…………」


 悪いとは思った。悪いとは思ったけれど、俺は……リリのポーチを、開けていた。中には、手帳のようなものが2冊、それと財布が入っていた。手帳にはどちらも、可愛い絵柄のカバーが掛けてある。……この手帳には、何が書かれているんだろう。……手が止まらない。


 俺は、2冊の手帳のうちの一冊を適当に選び、パラパラと中身を見てみた。中には、彼女の予定やメモがびっしりと書き込まれていた。もう一つの手帳も、きっと同じようなものだろう。


 もしかしてあいつ、病室でもできる仕事をやろう、とか考えてるんじゃないだろうな。もしそんなことを言い出したら、すぐにでも止めさせよう。俺はそう思った。


 その後もしばらく手帳を見ていた俺だが、さすがに罪悪感を覚えてきた。そっと手帳を閉じ、ポーチに戻そうとする。しかし手帳を閉じるその瞬間に、俺は気になる文字を見つけてしまったんだ。


「精密……検査?」


 そこには赤字で、「精密検査あり」と書かれていた。日付はほぼ一年前。どうやら、会社か何かの健康診断で、異常が見つかっていたらしい。俺は下唇を噛み、悔しさに堪えた。このとき発見されていれば、リリはもしかしたら……。


 しかしその下に書いてある文字を読んで、俺は愕然とした。


『たっちゃんとのデートを優先』


 俺の、頭の中は。


「デートを……優先……? って、まさか……まさか……!!」


 一瞬で、真っ白になった。

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