守るべき人
その後はしばらく、テレビを一緒に見たり世間話をしたり、昔のアルバムを見て笑い合ったりしながら過ごした。
「あっ、見て!! これ、初めて二人でデート行ったときの写真だ!!」
「うわっ、マジだ。懐かしいなぁ。……ってか、このときのリリ、めちゃくちゃ可愛かった……」
「……えっ!? なんで過去形!? 今は!?」
「今のリリは、可愛いというより綺麗だよ。……俺達も、大人になったってことさ」
あっという間に思えた8年間も、こうして……昔のことを語り合うと、時の流れの重さが実感できる。短いようでいて、長い8年間だった。そして結局、俺はリリ以外の女性に恋をしなかったな……。
「さて、そろそろ昼食作るか。……といっても、もう3時だけど」
本当に、リリと一緒だと時間の流れが速い。昼と言うには遅い時間になってしまったが、この辺で何か食べておかないと夜までは保たないだろう。ベーコンエッグトーストしか食べてないもんな、俺達。
「えっと……、何を作ったらいいだろ……」
「今朝冷蔵庫を確認したら、里芋とレンコンと牛すじ肉とニンジンとウズラの卵があった」
「あっ……そうだ、私、肉じゃがにチャレンジしようとしたんだ!」
「……肉じゃが?」
肉じゃが……。肝心の「じゃが」が、どっかいっちゃってますが?
「じゃあ、ジャガイモも買ってあるの?」
「ん? これがジャガイモでしょ?」
「……それは里芋だ」
……この子もしかして、社長令嬢とかその辺の箱入り娘じゃないだろうか。知ってることと知らないことの落差が激しすぎるだろ。
「これが……さと……いも……」
「いや、うん。そんな驚くことじゃないって。まぁいいや、そこの棚にカレー粉もあったから、今日はカレーにしよう。カレーなら簡単だし。リリは、えーと……。ピーラーでニンジンの皮剥いてくれる? 牛すじは……圧力鍋じゃないとキツいな……」
……あんまり言い過ぎると、また自信喪失して泣いちゃうかもしれないからな。今のリリは情緒が安定してないし、思春期のデリケートな女の子だと思って接した方がいい。
ともあれ、何とか形にはなった。意外と里芋でもイケるじゃないか。ウズラの卵は小さくて食べやすいし、牛すじもなかなかいい。レンコンはもう少し薄く切ったほうが良かったかな? まぁ、リリも美味そうに食べてるから、結果オーライだ。
少し遅めの昼食を二人で摂り、後片付けを終えた俺達は、リビングにあったソファーに座ってしばらくぼーっとした。
「……美味しかった。ありがとう、たっちゃん」
「リリが手伝ってくれたお陰だよ。……つーか、もう少し食べた方がいいぞ。まだ入院する前の体重に戻ってないだろ?」
「だって、せっかく痩せたんだし……」
「痩せてりゃいいってもんじゃない。むしろ俺は、少しふっくらしてた方が好みだ」
「そうなの……? じゃあ、頑張って食べる……」
どうでもいい会話をポツポツとしながら、たまに笑い合う。気兼ねも無く、遠慮も無く……。自然体の自分をさらけ出しながら、生産性の無い話をする。こうして好きな人と一緒に、平凡な時間をただ過ごすというのは、もしかしたらこの世で一番幸せなことかもしれない。
気がつくと、日も傾き始めていた。いつの間にか俺の隣で眠ってしまっていたリリのもちもちした頬をつっつき、そっと起こす。
「夕飯は、昼間のカレーの余りでいいか? その前に風呂入っちゃう?」
そう尋ねると、リリは少しだけ微笑んだ。今朝は泣いてばかりだった彼女も、大分笑顔を取り戻している。やっぱり、コイツには笑っていて欲しいな。君が笑っていれば、俺は何もいらない。
「お風呂……頂こうかな」
リリのその返事を聞いたら、少し意地悪したくなってしまった。
「わかった。じゃあ、カレー温めておくよ。……それとも、一緒に入る?」
「え……ええっ!?」
顔を真っ赤にして、手をパタパタさせながら困惑するリリ。……やべぇ、むちゃくちゃ可愛い。意地悪して良かった。俺の性格も大概だと思う。しかし、あっさり「うん、いいよ!」とか言われていたら、俺はどうしていただろうか……。
「うぅ、その……。いやじゃ……ないけど、あの、まだ……心の……」
「冗談だってば。ゆっくり入っておいで!」
「……もぉっ、バカ!」
意地悪く笑う俺の顔を上目遣いで見ながら、リリは頬を膨らませた。はいはい、ゴメンゴメン。……でもいつか、一緒に入ろうな。
俺は一人リビングへ戻り、ソファーに座ってボーッと天井を眺める。……俺がこの家に初めて来たのって……いつだったっけ? 確か、テスト勉強しようとか……そんな話だったよな。あの時はリリの部屋に行って、出てきた飲み物が昆布茶だったことに驚いて……
「……フフッ」
やべ、一人で思い出し笑いしてしまった。だって昆布茶だぞ? 今思えばそれは、リリのド天然っぷりを示す片鱗に過ぎなかった。いつかのバレンタインでは、「失敗しちゃった」って泣き付かれて……。さりげなくリリの友達から聞いた話では、どうもカカオ豆からチョコレートを作ろうとしていたらしい。リリには悪いけど、俺はその話を聞いて爆笑したよ。カカオ豆って……本格的か。
その後も真顔で「マグロは鯨でしょ?」とか「松茸って高級な椎茸でしょ?」とか意味不明なこと言うし、今日も里芋とジャガイモの区別がつかなかったし……。だけど俺は、お前が影でめちゃくちゃ色々頑張ってることも知ってる。だからこそ、一層愛おしいんだ。
「……あ、洗濯物を取り込まないと」
リリに想いを馳せていたところで、ふと思い出す。今日は天気も良かったから、もう乾いてるだろう。……てかアイツ、着替えあるのかな? まぁ、取り込んだ衣類を風呂場の引き戸の前に置いて、外から一声かければいいか。
俺は縁側へ行き、乾いた洗濯物を手際よく回収していった。勢いでここまでやっちゃったものの、リリは恥ずかしくなかったんだろうか……なんて、今さら思っても色々が遅いけれど。
さて、あとはこれを、風呂場の前まで持っていってやるか。……そう思って顔を上げた俺は、その場で……固まってしまった。
……だってそこには。
小さなタオルを体の前で広げただけのリリが、全裸で突っ立っていたんだもの。……分かってる、やっぱり着るものが無かったんだろ? じゃあせめて、風呂場から俺を呼べばいいじゃん。
……な・ん・で!! 裸で来ちゃうんだよ、バカ!!
「ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
少しの間を置いてから、ハッと思い出したかのようにお手本のような絶叫を放ち、俺に背を向けるリリ。タオルを前で広げていただけなので、当然後ろは無防備である。白くて丸い、女の子らしいお尻が、俺の目に飛び込んできた。俺の心拍数が、指数関数的に急上昇する。
「ぃやぁぁぁあだぁぁぁああああぁ!!」
そして、すぐにまた前に向き直るリリ。タオルはくしゃくしゃになっていて、ぶっちゃけリリの全部が……見えました。
「ち……ちょっと落ち着け、リリっ! ほら、バスタオル!! 俺……その、見てないから!! 結構がっつり見えてたけど、見てないことにするから!!」
大パニックに陥っているリリへバスタオルを差し出しながら声をかけるも、大パニックになっているせいで取り合ってもらえない。そもそも、俺だって大パニックだ。見る方にだって、覚悟がいるんだよ!!
そのままうずくまって泣き出してしまったリリの元へ、厚手のタオルケットとドライヤーをもってそっと近づく。せっかく笑顔が戻りかけていたのに、泣いたら台無しじゃないか。
「髪が傷むぞ。昨日も乾かさないで寝たろ? まったく、着るものがなかったんなら呼んでくれればいいのに」
うずくまるリリへタオルケットをそっと被せ、濡れたままの髪へドライヤーの風を当ててやった。
「無茶なことしやがって……。今日一日の感想を言ってやろうか?」
髪を乾かしながらそう尋ねると、リリの体が「ぎゅっ」と小さく縮こまった。……俺に怒られるとでも思ったのだろうか。でも残念ながら、怒るつもりは無いんだ。
「……マジで可愛すぎるよ、お前」
「……えっ?」
そんなこと言われるとは思ってなかった……なんて感じの表情で、俺の方を見返してくるリリ。
「かわ……いい……?」
「うん、可愛い。何だろうなぁ、一生守ってやりたくなるような可愛さ。可愛い女の子の可愛さとは、ちょっと違うんだけど」
「……見た目は地味ってこと?」
「そういうこと」
「そこは否定しないんだよね、いつも」
「そこを否定したら、もうリリじゃないだろ? それにしても……」
ホッと安心したように微笑むリリを見たら、俺の中の悪いいたずら心が……再び燃え上がってきてしまった。
「リリの裸が見れたのは、大収穫だったなぁ。あ、ちなみにさっきの『見てないことにする』は嘘。めっちゃ目に焼き付けた」
「ぅいっ……!?」
みるみる赤くなってゆくリリを見ながら、俺はフフッと笑う。
「うわぁぁぁあん!! たっちゃんのバカばかぁっ!! 早く忘れてよぉっ!!」
「そりゃ無理だ、リリ。だって俺、リリのこと大好きなんだぜ? 白状すれば、高校生の頃からずっと、リリの裸を見たかった」
「うぅ……、えっち……」
でもリリは、俺が思っていたよりも早く、冷静を取り戻した。そして不覚にも、その後に続いたリリの言葉を聞いたら……俺の方が狼狽えてしまった。
「……見るだけで、いいの?」
……破壊力のある一言だった。今回は、完全に俺の負けだ。
「えっと、そうだなぁ、その続きはまた、リリの準備が整うまで待つよ。今朝も言ったけど、リリにはリリのペースがあるもんな。……さて、俺も風呂に入ろ。カレー温まってるから、先に食べてていいよ」
ピンクの唇をすぼめ、ほのかに潤んだ大きな瞳で見上げてくるリリは、俺の理性を吹き飛ばすのに十分なポテンシャルを持っていた。そんな彼女に怖じ気づいた俺は、それらしいことを口走ってとりあえずその場から逃げ出そうとした。
……だけど。俺の態度を見抜かれたのか、リリにズボンの裾をくいっと引っ張られ、あっけなく脱出に失敗してしまう。
「……ん? どうした?」
「……キス。して欲しい」
俺は無言で頷き、リリの顎にそっと手を添えながら……ディープキスをした。その瞬間に、俺の理性は……ぶっ壊れた。
……その日の夜、俺達がどうなったのかは想像に任せたい。はっきりわかったのは、やっぱり俺、リリのことがダイスキだってこと。コイツ以外なんて、もう考えられないってこと。
俺は……。俺から予言された未来を、絶対に覆さなきゃいけなくなった。