二人暮らしの始まり
「おーい、生きてるかぁー?」
約束の日の朝。リリの家のインターホンを何度か押してみた俺だったが、彼女からのレスポンスが無い。まだ起きてないのだろうか。
「リリー? いたら開けてくれー」
控えめに玄関の戸を叩きながら、声を出してみる。するとようやく、中から「はぁーい、すぐ開けるねぇー!!」という返事が聞こえてきた。
「ご……ごめん、えっと……ちょっと色々あって……」
玄関から出てきたのは、どう見てもたった今起きたばかりにしか見えないリリ。髪の毛は台風にでも巻き込まれたのかと思うくらいボサボサで、ヨレヨレのパジャマを着ている。そして、久々に見るすっぴんのリリからは、いつもより幼い雰囲気が漂っていた。
「これから三日間、よろしくな!」
そんなリリを特に気にすることもなく、俺はニッコリ笑う。どうせ、楽しみすぎて昨日眠れなかったんだろ? 分かるよ、まったく。
「ちゃんと飯食ってる? まずなんか作ってやるよ。朝食、まだなんだろ?」
廊下を歩きながら、リリに話しかける俺。
「えっ!? うんと、あの……。さっき……食べ……た」
「嘘つけ、今起きたくせに! いちいち遠慮すんな。ベーコントーストでも作っておくから、リリはほら……、その寝癖、直して来い」
バレバレの嘘で誤魔化そうとするリリを、冗談っぽくたしなめる。こんな時まで強がらなくていいんだよ、バカ。少しは俺に甘えとけ。
「ご……ごめんねっ! 急いで直してくるから……!」
そう言いながら洗面所へ消えていく彼女の背中を見届けた俺は、早速冷蔵庫を開いて材料を確認した。
「えーと……。卵は……あるな。ベーコンもある。それから……ん? なんだこれ。……ドラゴンフルーツ……?」
……好きなのか? まぁいいか、そっとしておこう。他にも里芋やウズラの卵、レンコン、牛のすじ肉なんかがあった。何を作ろうとしていたのかは謎だが、……そうだな、後でカレーの具にでもしよう。ニンジンもあるし。それよりまずは、朝食を作らないと。
フライパンにベーコンを敷いて軽く炒め、その上に卵をのせて蓋をする。……こうすると、目玉焼きの下が固くならなくて済むんだ。コイツをトーストしたパンに乗せて塩胡椒で味付けをすれば、もうできあがり。簡単だろ?
俺は完成したベーコンエッグトーストを皿に盛り付け、リリが戻ってくるのを待った。……が。
……なかなか、来ない。まぁ、頭があれだけパワフルに爆発してたんだ、直すのは大変なんだろう。……それとも、何か手こずってたりして? んー、どうしよう。一回見に行っておくか。
「リリ? ご飯できたけど……って、どうしたの?」
洗面所を覗いてみると、相変わらずいい感じに爆発した頭のまま、両手に洗剤のボトルをぶら下げたリリが、呆然と突っ立っていた。……いや、何があったし。
「実は私、洗濯……したことなくて。頑張ったんだけど、途中から……何が何だか……わかんなくなった……」
弱々しく呟くリリ。……というか、寝ぐせ直してたんじゃなかったっけ? いつから洗濯の話になったんだろう。まぁいいか、リリが洗濯出来ないことくらい、こっちは既にお見通しだってば。
「なんだ、そんなこと? だよなー、洗剤って無駄に種類あるもんな。洗うものは何? 普通の服とか下着とかだったら、これをここに入れて、こいつをちょっとこっちに入れれば大丈夫だよ。設定は……」
洗濯機の仕組みなんて、大体どれも同じだ。洗剤を入れてスイッチを押してしまえば、後は機械が勝手にやってくれる。……便利な世の中になったものだ。
「すごいね、たっちゃん……」
「えっ? そんなことないって。こんなの、一回覚えちゃえば誰だってできるようになるから。リリも、次からは大丈夫でしょ?」
「たぶん……」
「いちいち落ち込むなよ。それより、一緒にメシ食おうぜ!!」
しゅんとしたリリを慰めつつ、俺とリリはリビングへ戻って食卓を囲んだ。ベーコンエッグトーストを両手でつかみ、もぐもぐするリリに見とれながら、俺も一緒に頂く。我ながら、美味くできたと思う。
「どうだ? 美味いだろ?」
「おいしい……」
……だけど、リリの表情が冴えない。それどころか、どんどんと悲しそうな面持ちを呈してゆく。……まさか、本当は不味いんじゃないのか? そんな心配をし始めた頃、リリは再び口を開いた。
「私には……こんなの作れないよ。なんでもできるんだね」
どうやら、無力な自分にヘコんでいたらしい。まったく、コイツはすぐに自分を責めるんだから……。そんなに深刻になったら、体に悪いだろ? 俺の笑顔を見て、元気出せ。
「ははは、こんなん簡単だってば! 明日の朝は、一緒に作ろう?」
「うん……」
相変わらず暗い返事をするリリを見て、俺は「ふー」と小さく息を吐いた。別に、ため息を吐いたわけじゃ無い。
「なんだよー、せっかく俺がいるんだから、元気出せって! 俺んち、お袋ががさつで家事とかすんげー適当でさ。だんだん俺がやる割合が増えてきて、気がついたら家事がこなせるようになってたんだ。だから……」
俺は話しながら席を立ち、ベーコンエッグトーストをもぐもぐしているリリの後ろに立つと、肩にポンと手を置いた。
「すぐになんでもできるようになる必要はないよ。リリにはリリのペースがある。お母さんが亡くなったばかりでしんどいと思うし、この三日間は俺に甘えながら、少しずつ家事を覚えればいいと思うぜ? リリならすぐ出来るようになるって!」
……俺は、リリの笑顔が見たくて励ましたつもりだったのに、当のリリは……「ありがとう」と言いながら、泣き出してしまった。丁度その時、洗面所から軽快なメロディーが聞こえてくる。
「……おっ、洗濯が終わったみたいだ。リリはゆっくりしてて。俺、干してくるから」
……反射的にそう答えた後で、すぐに気付いた。
「……あれ? でも、恥ずかしいか、俺がやったら。やっぱり、リリがやる?」
そう言い直すも、リリは相変わらず泣いたまま……返事がない。リリの性格上、やって欲しくても「お願いします」なんて言えないだろうから、反対しないということはやって欲しいのだろう。念のため「俺がやっちゃうな?」と声をかけると、今度はちゃんと頷いた。
「了解、任せろ!」
とりあえず、爽やかに答える俺。……が、リリが着ていたものを手に取るというのは、正直少し……というか、結構抵抗があった。だって俺、8年間も隣にいたくせに、リリの裸どころか下着姿すら見たことがないのだ。そんな俺が、彼女の知らないところで彼女のプライベートを覗いてしまうというのは……あまりいい話じゃない。
(……今回は仕方ないか。やましい気持ちがあるわけでもないし)
しかし、あの恥ずかしがり屋なリリが俺に心を開いてくれるのは、一体いつになるんだろう。……別に焦ってはいないけど、俺も俺で草食過ぎる気もする。もしかしたら、俺がリードしないとリリは決心できないのかもしれない。そろそろ、「リリとの次の段階」について、真剣に考え始めたほうがいいんじゃないだろうか。……そんなことを思いながら、リリらしい地味な下着を洗濯竿へ掛けていった。
洗濯物を干し終えて再びリビングへ戻ると、リリはまだベーコンエッグトーストを泣きながらむしゃむしゃしていた。コイツの摂食速度が果てしなく遅いのは今に始まったことではないが、それにしても今日は果てしなさ過ぎる。ぜんぜん泣き止まないし、さすがに心配になってきた。
「リリ……? 大丈夫か?」
後ろからそっと声をかけると、リリは小さく震えながら答えた。
「ヴん……。たっぢゃんの……これ……おいしい、すごく……。良かった、じななくて。だから、私のこと見捨てないで……?」
見捨てないで……って、別に見捨てる要素なんて何も無いだろうが。だから、いい加減泣き止んでくれよお姫様……。
「見捨てるわけないだろ。俺ってそんなに鬼?」
そう返した俺は、結局ボサボサのままになっているリリの髪の毛を、そっととかしてやった。
ふと時計を見ると、もう昼になろうとしていた。