押し込まれた冊子
今日という日は、一体何のためにあったのだろうか。
人は、訪れる毎日にどんな意味を求めているのだろう。
……ときどき俺は、そんなことを考える。
思春期特有の思考というやつだろうか。人生への疑問としては、ありふれたものだと思う。発動するのは、毎日がつまらなくて刺激がない時か、辛い事ばかりが続いて生きる気力を無くしている時か……。
……俺の場合は主に前者だ。
高校に入学して一年半。格段大きな期待を寄せていた訳でもないけれど、そうも言っていられないくらいに楽しいことが何もない。
ただひたすら時間が経つのを待つだけの退屈な授業、それに引き続く受験対策の補習。何のために行くのかも分からない大学を目指し、絡む価値の全くない幼稚な同級生と無理矢理過ごす日々。部活なんて徒労の極みだけど、家に帰ったところで待っているものは何もない。辛くも苦しくもなければ、楽しくも嬉しくもない人生。
だらだらと何の起伏もない時間だけが過ぎてゆき、今日もベッドの上で仰向けに横たわりながら思うのだ。
今日という日は、一体何のためにあったのだろうか……と。
ぼーっと、世界地図が貼り付けてある部屋の天井を眺めた。世界旅行の夢が見たくて貼ったのに、見ると地理の授業を思い出して憂鬱になるだけの、今となっては邪魔な存在。かといって剥がすのも億劫だから、結局そのままになっている。こうなる未来が分かってたら、貼らなかったんだけどな。……いや、分からないから未来なのか。
『ブーッブブブ』
枕元でスマホのバイブレーションが炸裂し、俺を現実の世界へと引き戻す。興味がないフリをして十秒くらい手をつけずにいたけれど、我慢できなくなった俺はすぐに開けてしまった。
[告白成功、まじ最高!]
「くっそ……」
開けなきゃ良かったとすぐに後悔した。ヒロシのヤツ、どうも告白に成功したらしい。なんであんなやつが……などと思うのもつかの間、そんなこと人に言えるような立場じゃないということに一瞬で気づく俺。
「リア充アピールするんじゃねぇっ!」
悔しくて、スマホを思い切りベッドに叩き付けた。下手くそな韻まで踏みやがって、くそ。それを俺に報告して何になるんだ。知ってるだろ、俺が全くモテないこと。
俺には本当に、何のアドバンテージもない。運動もできないし勉強も平凡、顔も可もなく不可もなく、背も百七十cmくらいで目立ちもしない。クラスからは、まるで空気のように扱われていた。
こんな俺が誰かに告白したって、相手にされないに決まっている。女性とお付き合いするなんて、俺にとっては次元の違う話なんだ。
……いっそ、「お前はコイツと結婚することになっている」とでも言われたらどうだろう。昔の許嫁みたいに。……なんて思いつつ、俺みたいなヤツに限って紹介されると選り好みするんだよな。そうだと分かっている手前、「誰か紹介してくれ」とも言えない。
『ブーッブブブ』
返信したわけでもないのに、再びバイブ音を放つ携帯。バイブ音が鳴るたびに、「ひょっとして……」などとあるはずもない期待をしてしまう。例えば、俺に夢中なクラスメイトがヒロシにお願いして、俺の連絡先を聞き出していたりとか……。……そんなこと、日本が沈没するよりもあり得ない事象なのは分かってる。それでも俺は、わずかな期待に全てを掛けてしまうんだ。
[ところで、宿題になってた英語の長文読解、どこまでやってある? 確か、明日提出だよな?]
大丈夫、落ち込んだりはしない。相手がヒロシで、どうでもいい要件だってことは、見る前から明らかだった。それでも期待してしまう悲しい性格なんだよ、俺は。こんなやつのことなんて無視できるくらい、俺もリアルを充実させたいよ。
「……。課題、やってねぇ」
しかし冷静に考えると、俺は課題をやっていなかった。たまにはヒロシも役に立つんだな、なんて思いながら、重い腰を上げる。こんな俺だけど、一応やることはやる性格なんだ。宿題を忘れることもほとんどない。なんだかんだ真面目なんだよな、俺は。そうやって自分を褒めてあげないと、もう生きていることすら辛い。
「……? なんだこれ」
課題をやろうと鞄を漁りだした俺は、見覚えのない冊子をその鞄の中に見いだした。厚さは一センチくらい、大きさは恐らくB5版。表紙は和紙のようなもので加工してあり、薄い抹茶色をしている。
明らかに俺の持ち物ではない。それだけはわかる。
素直に考えれば、間違えて誰かの冊子を持ってきてしまったのだろう、ということで決着がつく。だけど果たして、今日一日の中で誰かの荷物を間違えて鞄に入れるタイミングがあっただろうか。
……ないな。ないない。鞄はずっとロッカーの中だったし、移動教室もなかった。荷物の入れ換えをしたのは朝と夕方、しかも自分の机の上でだけだ。学校でこんな冊子を見た記憶すらない。
「誰のいたずらだよチクショウ……」
であれば、誰かがふざけて俺の鞄にこれを突っ込んだってことか。さしずめ、中身はエロ同人かなんかだろう。中学生の頃、俺の鞄にエロ本が突っ込まれていた事件を思い出す。その時は、俺が何食わぬ顔でそれを持ち帰ろうとし、入れたヤツが慌てて取り返しに来た。
全く、高校生にもなってもまだこんなくだらない遊びをする輩がいるのか。だけど残念だったな、俺はリアクションが薄いことで定評があるんだ。入れる相手を間違えたと悔やめ。そんなことを思いつつ、若干わくわくしながら……念のために中を開いてみた。
「……あ?」
開いてみて、拍子抜けした。
「白紙じゃないか」
中は白紙だった。一言一句書かれていない、正真正銘の白紙。少しだけ期待した俺が馬鹿みたいじゃないか。もし、「俺がエロ同人だと思ってワクワクしながら開き、白紙であることにガッカリする」ところまで計算してこれを入れたのだとすれば、賞賛に値する。
「……まさか、いつか漫画で読んだ、名前を書かれた人が死んだりするノートじゃないだろうな……」
疲れているせいもあり、くだらない考えが頭を過ぎった。そんなわけあるはずもないのに、「もしかしたら……」と思ってしまうのは、さっきのスマホと一緒だ。
『篠原拓哉』
まぁ、絶対にあり得ないだろうけど、俺は自分の名前をその冊子に書き込んでみた。これで死ねたらもうけもんだ。自殺なんて恥ずかしくてできないけど、これなら死因は誰にもわかるまい。一瞬鼻息を荒くした俺だったが、程なくして我に返った。
……何くだらないこと考えてるんだよ、俺。
名前を書かれた人が死ぬノート? なんだそりゃ。そんなものがこの世に実在してたまるかっての。
「ワケ分からんもの入れんじゃねーよ!」
俺は自分の名前の下に、「バカヤロー」と大きく殴り書きした。本当に、今自分が何をしているのか理解できない。もうそろそろ日が変わるぞ。課題やるんじゃなかったんかよ。
もう、いいか。やらなくて。この冊子を俺の鞄に入れたヤツ、そう、お前。お前の勝ちだ。面白かったか? ならいい。俺の存在価値がそれだけだったとしても、価値があるだけまだマシだ。俺はお前のくだらない遊びの役に立ったんだからな。
心の中でそうつぶやいた俺は、再びベッドに倒れ込み、そのまま寝てしまった。