何人目かの親
何人目かの親
東京のビルの間を縫うように進み、都心のアパートに到着した。
音が鳴るだけのシンプルなインターホンを鳴らすと
「お前だな。」
「宜しくお願いします。」
そうはいうも、
「これ鍵だ。」
そう言ってドアを閉められた。
こういう事はよくある。
私、悪食翼は会うだけで幽霊に取りつかれると親戚中の噂になっている。
鍵に結び付けられた紙を開くと住所が書かれていた。
電車に揺られること数十分。
建物の低い郊外へたどり着いた。
住所検索ばかりしているためか携帯電話の充電が残りわずかとなってきた。
手持ちのお金が今後の事を考えあまり使えない。
転校してすぐにバイトが見つかる事は少なく、
過去、
引き取ってくれた老夫婦と一度養子縁組をしている事から亡くなったという知らせと共に遺産が入って来た。
その老夫婦には子供がおらず、
私を育てられなくなったことに罪悪感があり、
弁護士に亡くなった後の事を相談していたのだと言う。
貰えるものがあるのなら貰っておいた方が得である。
今はバイトで貯めたお金や遺産を切り崩して生活している。
団地だろう集合住宅に到着した。
そこには
「お前が悪食か?」
「そうですが何か?」
そう切り返すと相手の男はため息を漏らす。
「お前の部屋はこっちだ。」
寒空の下、何時間待っていたのだろうか。
鼻先は赤く、
何本もの煙草が刺さったコーヒーの缶がいくつも置いてある。
「鍵はあるな?」
「はい。」
彼に差し出す。
「見知らぬ人間を信用するな。」
受け取らなかった。
「じゃあ、誰なんですか貴方?」
「高校の教師だ。お前の通うな。」
胡散臭い。
率直な感想だろう。
突然目の前に現れて信用してしまうほど、私はお人好しではないはずだ。
「学校に行く予定はありませんが?」
「昼間から高校生がうろついていると目立つだろ。前に居た所でも何度か近くの高校に連絡が入っていた。」
私の自由ではないだろうか。
「そんな事、貴方に関係あるんですか?」
「ここから一番近い高校の教師だからな。あと、俺は東馬だ。」
「東馬先生…」
団地の階段を上り五階の部屋に到着した。
「荷物はそれだけか?」
「はい。念の為持ち歩いている高校の制服と着替えが数着だけ何で」
「他に何もないのか?」
「布団が入っています。その他必要なものはドラックストアにでも行きます。」
家電等は一切ない部屋。そこでキャリーケースを開ける。
「よくその中に布団が入るな。」
「圧縮袋です。」
パウチの袋を開けると布団が空気を含んで膨らんでいった。
「掃除機は?」
「そんなの、乗って何とかなります。」
布団の中の片寄った綿を戻す為にもむ。
「学校が明日からだ。ここに荷物おいて置くからな。」
「分かりました。」
玄関の閉まる音がしてから東馬先生の置いたカバンを取りに行く。
中には教科書と猫の柄の筆記用具、ノートも同じように何かのキャラクターなのか猫の柄のものが数冊、体育着と生徒手帳が入っていた。
写真のない生徒手帳にはしっかりと私の名前が書かれていた。
「面倒くさいな…」
その後、市役所に転居届を出し、ドラックストアによって家に帰った。
朝七時。
学校までは徒歩で二十分ほどらしい。
八時に出れば間に合うが生徒が多く歩く中、違う制服で歩く事には抵抗がある。
仕方ない。
三十分で支度をしてしまい、八時に着くようにすれば教師も大半は出勤しているだろう。
洗面所で顔を洗い、歯を磨き、髪を梳かして制服に着替える。
鏡の中の私はとてもゆがんで見える。
ガラスなど、レンズ越しで物が見えないのだ。
その為、数年前までブラウン管テレビも見られなかった。
携帯の時計を確認し家を出た。
「行って来ます。」
「行ってらっしゃい。」
その声にドアを閉める手を止める。
「なんだ。行かないのか?」
玄関のドアに取り付けられた鏡には私の顔では無く目玉が一つ、写っていた。
「あんた、ここに住んでいるの?」
「ああ、そうだ。前の住人はここで自殺したぞ。」
「そんな事どうでもいい。でも、あんたがいる事は嫌ね。」
「そう言うなよ。これから一緒に暮らす仲だろ?」
そういうと手が出てくる。
「やめて!」
首に触れようとした手を払いのける。
「つれないな。ゲームしようぜ。」
「お断りよ。私が帰って来る前に出て行って!」
ドアを閉め、鍵を掛ける。
妖が持ちかけるゲームや遊びは危ない。
小さい頃は何も知らず、
遊んでくれると言う事に喜び、
参加してしまったが危うく別の世界へ引き込まれるところであった。
それ以来、
妖からの頼み事や遊びには出来るだけ参加しない様にしている。
学校に到着すると校門に東馬先生の姿があった。
登校時間が八時を過ぎているせいか他の生徒も多く校門をくぐって行く。
その中で東馬先生は女子に人気があるようで囲まれていた。
「おはよう悪食。よく寝られたか?」
「おはようございます。」
私が挨拶を返すのにかぶって
「先生この子誰?」
「見ない制服。」
「なんかキモイ」
と、女子生徒がいう。
「俺のクラスの転校生だ。仲良くしろよ。」
「はぁい!」
女子の声が綺麗にかぶる。
職員室に移動をし、職員会議が終わるのを待つ。
「悪食、行こうか。」
東馬先生の声に立ち上がる。
教師が何かヒソヒソ話をしているのが耳に入ってくる。
「あの髪、地毛らしいわよ。」
「頭髪許可証出さないといけないわね。ハーフかしら?」
「ハーフにしても、目の色が可笑しいじゃない。ウサギみたい。」
「そのウサギ食用だよ。」
何度も耳にしてきた言葉。
今更気にはしない。
一年生の一月の半ばの転校生は珍しいだろう。
チャイムが鳴り、ほとんどの生徒が教室に入ってはいるが廊下と教室の区切りは窓ガラス、
私からは中が見にくいものの、
中からは違う制服が珍しいのかそれともハーフに見えるこの容姿だろうか。
複数の視線を感じる。
「ここな。」
東馬先生と共に教室に入るとどよめきが起きる。
「静かにしろ。急だが転校生だ。」
「悪食翼です。宜しくお願いします。」
どよめきはざわつきに変わる。
「悪食は家の都合で転校続きでな。勉強の面では解らないところも多いだろうからみんなで助けてやってくれ。」
そう東馬先生が言った瞬間、外側の窓が一斉に割れた。
「きゃあー!」
数名の生徒が頭や顔、腕から血を流していた。
私は廊下側の窓を見る。
そこには
「あいつ…」
朝の妖の姿があった。
窓には応急処置として段ボールが張られた。
ガラス片が残っている事からこのクラスでケガをしなかった生徒は空き教室での授業となった。
「なんだったんだろうね。」
「ねえ、みんな悪食さんに気を取られていたから何が起きたのか分かってないしね。」
「その悪食さん、なんか怖くない?」
「怖い、怖い。なんかあの目で見られると悪寒がする。」
「本当だよね。ハーフだろうけどキモすぎるよね。」
わざと私に聞こえる様に話しているのか、
それとも私が近くにいる事を知らないのか、
話は私の耳に届いてくる。
聞き耳を立てている訳ではないが、自分の悪口を聞いて気分が良い人はいない。
「竜ちゃんも構い過ぎだよね。」
「なんか昨日迎えに行ってあげたらしいよ。」
「何それずるい」
竜ちゃんとは東馬先生の事だろうか。
私は居づらくなり教室を出た。
その瞬間、今度は外側と廊下側、同時に窓ガラスが割れた。
「きゃあー!」
「先生呼んで来い!」
そんな声が聞こえる中、
私は妖の姿を見つけ、
その後を追った。
「待ちなさいよ!」
屋上へ向かう階段の踊り場にある全身鏡に一つ目の妖が写っている。
「何がしたいの?」
「ゲームだ。お前が生き残れば勝ち。簡単なゲームだ。ルールは無い。」
「私の命が欲しいのなら直接私だけを狙えばいいでしょ。学校を壊さないで!」
「これが俺のやり方だ。」
そう言って姿を消してしまった。
教室に戻る足取りが重い。
ガラスの割れたあのタイミングで走って離れてしまった。
周りは私が何かしら原因ではないかと思っているかもしれない。
遠目で教室の様子を伺う。
「おい」
突然の声に振り向く。
そこには
「東馬先生…」
「じっとしていろ。」
そう言うと何もない所にガーゼとサージカルテープを張られる。
顔にも絆創膏を付けられた。
「なんですかコレ?」
「教室でほぼほぼ全員が何処かしらケガをしてるんだ。お前だけ何もない状態じゃ怪しいだろ。」
「あの場に居なかったのに?」
「廊下に居ただろう。」
見ていたのだろうか。
ずいぶんと世話好きな教師だ。
教室に戻るとたしかに皆、何処かしこに包帯やガーゼ、絆創膏を付けていた。
「あのさ」
男子が話しかけてきた。
「お前が教室出た瞬間にガラスが割れたんだけど、お前、何したわけ?」
「私は何も」
「嘘つき、あんたが着た瞬間ガラス割れたのよ。あり得ないでしょ?」
女子生徒も詰め寄ってきた。
「この学校には今日はじめてきたんです。自分の配置されるクラスの窓ガラスをピンポイントで割るなんて無理な話です。」
「協力者がいるんじゃないのか。ガラスを割る方法なんていくらでもある。転校続きなんだ。被害者ぶってかまってほしいんじゃないか?」
「意味が解りません。」
生徒と口論したところで埒が明かない。
それに本当に原因は私にある。
「お前ら、席着け」
東馬先生が入ってくる。
「ガラスが割れた原因だが、どっちの教室も開校以来ずっと同じガラスを使っていてな。近くの大通り、交通量多いだろ。ガラスが割れるような波長の音を出す車が偶然連続で通ったんだろうって化学の先生も言っていたから心配するな。」
東馬先生が私を見る。
きっとこじつけの回答なのだろう。
ただの偶然でガラスがこんなに割れる訳は無い。
「放課後、他のクラスの連中が強化フィルムを張ってくれるから、お前たちは帰宅だ。」
ぞろぞろと足早に教室を出ていく生徒。
最後に残ったのは私一人だった。
「まだ帰らないのか?」
東馬先生がやってくる。
「待っているモノがいるので」
「家に一度帰ってからやれ。」
彼は何を知っているのだろうか。
机の上に頭髪届を置いて職員室に戻って行った。
翌日。
私の目の下にははっきりと隈が出来ていた。
あの妖、私は勝手にモクテと呼んでいる。
目玉と手しかない妖、だからモクテ。
いつもこんな感じで適当な名前を付けている。
そのモクテだが、夜な夜な私の夢に入ってくる。
そのせいか、額には親指らしき跡が残っていた。
きっと髪で隠れてはいるが頭にも指の跡があるだろう。
唯一自分の顔が確認できる水鏡、額を前髪で隠す。
「酷い顔だぞ。どうした?」
「寝不足なだけです。これ、お願いします。」
職員室で東馬先生に頭髪届を出すと、いきなり私の前髪をもちあげた。
「コレどうした?」
久しぶりに見る、私を心配してくれている顔。
その時、
「また⁉」
と、いう声の前にガラスのわれる音がした。
どうやら、強化フィルムを張っていた事が幸いし、けが人は出なかった。
だが、
「先生!」
女子トイレから声がする。
トイレの前に人だかりが出来る。
その中では
「水が真っ赤らしいよ。」
「え、それって流し忘れとかじゃなくて?」
「水道もなんだって」
今度は水道に何かしたようだ。
このトイレ、学校に到着してすぐ私が一度使っている。
その時の水は普通だった。
噂が噂となり、ついに私の名前は校長の耳にも入った様で呼び出された。
「転校してきたばっかりでこんな事出来るわけがないじゃないですか。」
「それもそうだが、彼女が来てからだ。こんな事になっているのは、いったい何が起きているんだ。」
担任として東馬先生もともに校長室に来ている。
「すみませんでした。」
私が頭を下げると東馬先生は驚き、校長はため息を漏らす。
「原因は私にあります。明日から学校には来ませんので、今日も、もう帰ります。」
「待て、お前が原因じゃないだろ。じゃあ、どうやって水を赤くした。ガラスだってどうやって割ったんだ。あんな何枚も同時に!」
「そのあたりは科学の先生や警察にでも調査させて下さい。」
校長室を出る。
私のいなくなった校長室では、
「どういうことだ?」
「違うんです。あの子は…」
東馬先生はどう答えようか困っている。
「以前通っていた中高でも似たようなことが何度も起きている。方法は不明だがあの子がやっているに間違いないだろ。家庭の事情もある。君が強く言うから編入試験もなしでいれたんだぞ。」
「分かっています。あの子にも色々と事情がありまして、あの子を狙っているモノがいくつかいるんです。それが原因でして」
「そんな事あの子は一言も言っていないじゃないか。君が勝手にあの子の言葉を信じているだけだろう。」
「これは自分が調べた事で」
何て意味のない話をしていたらしい。
団地の中に入るとお巡りさんの載っている自転車が置いてあった。
何かあったのだろうか、と考えつつも自分には関係のない事。
家への階段を上る。
だが、残念な事に関係のない話では無かった。
「どうかしたんですか?」
一度だけ会っている現在の保護者が玄関前に居た。
「お前、何してんだ⁉」
「え?」
何の話か分からなかった。
突然胸倉をつかまれ、
よけようとしたものの階段を踏み外してしまった。
その結果、
私は団地の階段を転がり落ちた。
目が覚めた時、
すぐに病院だと分かった。
病人でもないのに見慣れてしまった光景。
「気分はどう?」
見知らぬ女性が傍に座ってた。
だが、
おそらくこの人が次の引き取り先の人なのだろう。
警察の人がやってきた。
現在の保護者は暴行罪に訪われるという話を聞き、
「私が勝手に落ちたんです。」
こう言っておけば彼が罪をおう事は無い。
「それでは、部屋の中の話なんですが」
そう言って渡された数枚の写真。
「何これ……」
部屋中に真っ赤な液体がぶちまけられていた。
「身に覚えは?」
「ありません。」
布団も切り裂かれ、
窓ガラスも割られている。
頑丈だったはずのキャリーケースもベコベコにへこんでおり、
使い物にならない状態だ。
「やはりストーカーの仕業でしょうか?」
「まあ、怖い。」
先ほどから部屋にいる女性が声を出す。
その為視線を向けると
「そう言えば、自己紹介していなかったわね。私は神小路マリ子。翼ちゃんを養子に貰おうと思っているの。」
「私なんかで良いんですか。後悔しませんか?」
「しないわ。ずっと探していたんですもの。」
凄くにこやかな女性は三十代後半ぐらいだった。
「それでは、数日間は安静にしておいてください。ご自宅は捜査のために出入り出来ませんのでこちらでしばらく過ごしてもらいます。」
「分かりました…」
あまり人の多い所で生活したくない。
モクテがこの病院に来る前に脱出しなくては、
深夜の病院。
巡回の看護師が通り過ぎたのを確認して病室を抜け出した。
暗い外来出入り口から外に出る。
「おい」
「……またですか…」
東馬先生が何故かいた。
「俺がここにいるんだ。大人しく病室に戻って寝ていろ。」
「こっちにも色々と事情があるんです。」
「分かっているが、お前、頭打ってんだろ。安静にしていろ。サルみたいに動きまわる奴だな。」
「その比喩表現はムカつくのでやめて下さい。」
こう話している間に病室に戻されてしまった。
熟睡が出来たのは数日振りではあったが短い時間だったため眠い。
「おはよう。」
「おはようございます。先生本当に一晩中いたんですか?」
病室に東馬先生が入ってくる。
面会時間にはまだ早い。
「ああ、でも、何もなかっただろ。俺のおかげで」
「ならいいんですが…」
ここにモクテが来なかったという事は他の所に行ってしまったのだろうが、あれを放置しておくのは問題的だ。
そこに、
「悪食さん大変です!」
そう言って看護師が入って来た。
「どうかしたんですか?」
「お父さんかしら、亡くなられたそうよ。自殺ですって」
モクテだ。
モクテの仕業に間違いない。
「退院します。」
「待て!」
東馬先生に止められる。
「お前な。自分を突き飛ばした男だぞ。しかも血なんて繋がっていない奴だ。何心配してるんだよ?」
「心配しているのは次に先生が危ないからです。」
急いで着替え、家に戻る。
ゲームの邪魔をする者は殺される。
自殺したという保護者はおそらく以前団地のあの部屋に住んでいたという住人と同じように死んだのだろう。
それがモクテの手口なのだ。
このままでは病院前で見張っていたという先生も狙われかねない。
部屋の前にはキープアウトの規制線が張られているがそれを破って中に入る。
「遅かったな。」
「何してくれてんのよ。」
「あいつが死にたいって言うから手伝ってやっただけだ。」
鏡から抜け出したモクテの姿は奇妙奇天烈で、その姿のまま部屋から飛び出していった。
団地の下へ降りていったのを確認して階段を下りていくが、表に出た所で
「邪悪な鬼だ。」
モクテをわしづかみにし、経を唱え出す人物。
背格好は東先生と変わらないが声が若い。
「貴方、誰?」
手につかんでいたモクテが煙の様に消えた。
「通りすがりの祓い屋です。以後、お見知りおきを」
そう言うと何も取らずに帰って行った。
祓い屋というぐらいだから妖を祓って生計を立てているのだろう
。なのにお金を取って行かなかった。
タッチの差で東馬先生が団地に入ってくる。
「あいつは⁉」
先ほどの祓い屋でも追っていたのだろうか。
「行っちゃいました。」
「…そうか。」
落胆の声を上げる。
「次の引き取り先が決まったので学校やめます。」
「…待て、次はどこに行くんだ?」
「分かりません。」
私は病院に戻った。
面会謝絶にしてもらって二日、マリ子さんから連絡があった。
「ごめんなさいね、迎えに行けなくて、新幹線のチケットと電車の切符代を贈るから、いつでもいらっしゃい。待っているから」
と、電話で言われた。
残念な事に着る物も荷物も全てダメになってしまった私はスクールバックの中身を団地に放置し、筆記用具や使っていないノートと共に携帯と財布をカバンに入れて制服に着替えて家を出た。