for Claria.
ある日、俺はクラリネットを譲ってもらった。と言うか、誰も要らないと言うことで、俺に話が回ったんだ。
曰く付きでもなければ、ビュッフェクランポンの高い物でもない。それよりも、メーカーが見たことも聞いたこともないロゴで書かれているんだ。
『for Claria』クラリアの為に……そう書かれていた。調べても、全く手掛かりもない。
ので、出所について探るのは止めた。特に意味がないし、辿り着ける気がしない。高確率で、個人作成という結果が出そうだ。
吹いてみると、意外……それ以上に、恐ろしく美しい音色が流れた。まるで、女性が聖歌を歌うが如く。いつまでも聴いていたい程だった。
驚いてマウスピースから口を外す。
自慢と言える程ではないが、パート内では新人なのに音が一番上手いと言われているが、自覚は一切ない。他の人に言われなければ分からなかった。なのに、それを自覚できる程綺麗だった。
このクラリネットと出会えた事に感謝し、大切にすると誓った。
後日、部活の皆に、このクラリネットを紹介し、試しに独奏した。
皆は、とても綺麗だったと言ってくれた。
マイ楽器を手に入れた事に羨ましがられたが、部員に訊いても、顧問に訊いても、誰もメーカーについては知らなかった。
顧問曰く、その楽器は綺麗な音色の筈なのに有名じゃないのは不自然過ぎる。ヴァイオリンで例えると、ストラディバイリウスぐらいの値段は行ってもおかしくないはず。
そして、更に不自然な現象が、この後発生した。同じクラリネットパートに吹かせてみたが、誰一人として、あの綺麗な音色は出せなかった。
おかしいな、マウスピースが違うのか? それともリードが悪いのか? リガチャーを変えるかと試行錯誤したが、結果は変わらなかった。俺が吹いたら綺麗な音色が出るのに。
その後、学校から家に持ち帰って、外れリードで吹いたら音が柔らかい。音が明るい等、吹き難かったが綺麗な音色。
その内、この楽器には魔法が掛かっているんじゃないかと、本気で思うようになった。
それからと言うものの、俺の日常に変化はない。当然と言えば当然だが。
俺は演奏に、更に意欲を示し技術を向上させた。音の良さを自覚出来るようになって、楽しくて仕方がないんだ。
結果、3rdパートから時々2ndパートを掛け持つようになった。積極的に朝練に出るようになり、授業をしっかりやりつつ、時間の合間に音楽の事を考えていた。
HELLO……。積極的に朝練に出頭する様になって、1週間の朝を迎えました。
顔を洗って鏡を見たら、誰かがそこに居たような気がした。その時は気の所為だろうと思った。
【ダガソレハキノセイデハナカッタ!!】
時0745(主に軍隊で時間を示す4桁の数字。訳:午前7時45分)、登校。爾後、4階の部室にて朝練を実施。
時0750、姿勢確認の為、姿見で姿勢点検を実施。異常を視認する。爾後詳細、我の鏡像の側方に黒い服に黒い帽子をかぶった白銀の髪の美少女あり。実際に、我の隣に不在である。
時0753、錯覚と判断。爾後、幻覚を無視して朝練を続行。
時0800、演奏出来る準備も整い演奏開始。爾後、異常を認知。詳細、歌声が聴こえる。驚きの余りリードミスをする。周辺を確認するが、異常無し。
時0813、幻覚発生。異常を感知。またあの美少女が現れた。少し離れた場所で、微笑んでいる。爾後、恐怖の余り無視。
時0817、演奏を再開すると、彼女は歌い始めた。部員が来ても、俺が演奏を辞めるまで。
以上、報告終わり。
推奨:要相談。
「と言うわけで、折り入ってお前に頼みがある」
「読みにくいな、おい」
あの後、俺は登校時間10分前まで演奏し、楽器を急ぎで手入れして教室へ逃げ込んだ。
現在は昼休み、霊感のある友人に、この事を相談した。
「簡潔に纏めてるから良いじゃん」
「漢字が多い上に見た事ねえ漢字使うなよ! 読みにくいぞ」
まぁ、軍の報告書風に仕立てたからね。理解はしやすいと思ったけど。
「はぁ……凡そ、そいつの正体には検討が着いた」
「まじか」
「驚くの早ぇよ。付喪神は専門外だ」
「付喪神?」
「お前、毎日楽器を大切に扱ってるだろ。だけじゃなく、道具は適切に扱い、手入れをしっかり施す。ほれ」
そう言って、後ろを指さすと、あの美少女が居た。その手には、クラリネットが有る。
「羨ましい事に、その楽器はお前を愛してすらいる。良かったな、恋人にもなれるぞ。しかも、楽器自体が特殊だから、普通じゃないのは当然だ」
「……」
納得がいった。確かに、演奏している時に現れることが多い。それなのに、恐怖するのは失礼だったな。
「お幸せに。惚気ありがとうございました。リア充万歳爆発しろ!」
そう言いながら、彼は立ち去り、気付けば彼女も居なくなってた。
俺は暫く理解が追いつかなかった。
それでも、授業風景は変わらない。
◇◇◇
授業も終わり、放課後になって、部活動の時間がやってくる。
いつも通りクラリネットを組み立て、いつも通り基礎練をやって、いつも通り演奏する。
違う事と言えば、俺の傍には彼女が歌っている事。
彼女は、まるで俺の事を分かっているかの様に、音程も拍子も全く同じに歌う。どんなに意図的にズラしても、複雑なアレンジを加えても、テンポを狂わせても、必ず同じ音なんだ。
仮にこの付喪神を、楽器のメーカー名から取って、クラリアと呼ぶ事にする。
クラリアは、歌詞や歌の旋律を浮かべると、後は歌うだけ。例え歌詞や歌の意味が分からなくても、自分で歌うのだ。ただし、俺がクラリネットを吹いている間だけ。
どんなに旋律を狂わせても、どんなアレンジをしても、その通りに歌うんだ。まるでわかり切っているかのように。
「(ニコッ!)」
「……」
吹かない時でも、偶に現れ、こうして俺に笑顔を向ける。
「───、──……っ」
そして、何を伝えようとしているのか、声は聞こえないけど……『ありがとう』と、確かに伝えようとしていた。
クラリアと出会って1ヶ月が経過した。
その頃には演奏技術も上達して、偶に1stパートを任せられるようになった。
熟練度に比例するように、クラリアと居る時間が増えた。ただし、流石は楽器の精霊と言うだけあるか……色々なことをし始めた。
そうだなぁ……。最初は『くるりくるり』を吹いていた時、ヴァイオリンの音が聞こえて、アコースティックギターの音も聞こえた。何れも、曲に編成されている楽器だ。
イヤフォンをしていた訳でもないのに何故伴奏がある? そう思って隣を見ると、クラリアがヴァイオリンを持って、ギターが宙に浮いて、歌いながら演奏していた。楽器は水色の半透明で、光で構成された楽器だった。『Ta-lira』を演奏した時にはピアノの伴奏が聞こえて、『Wight of the world』を演奏しようとした時には、望んだタイミングで前奏が現れ、次々と他の楽器が現れる。果てには、『フーガト短調』を演奏した時には、パイプの無い鍵だけのオルガンが現れた。
うん、どっから持ってきた。
ある日突然、楽器を持ってないのに、彼女は現れるようになった。部活が終わって、楽器を置いて行ってしまった時、気付いたら後ろに居た。その時のクラリアは、『酷いです、忘れないで下さい』と言わんばかりの顔だった。
驚くべき事に、彼女の手には楽器ケースがあった。
「ごめん、ありがとう」
そう言って受け取ると、彼女は笑ってた。
後になって、もしや実態が有るのでは、と疑問を持った。
振り返ると、クラリアは俺の後ろに立っていた。
確かめずにはいられず、そっと、両手を取ってみた。
「……温かい」
彼女は、実体を持っていた。肉体があった。俺にしか見えないのに、確かに、ここに居る。
感動していると、彼女も驚いていた。
「いや、楽器ケース持っていた時点で、実体はあったでしょ?」
『あ、成程!』みたいに納得した顔で応える。
そして、何かを思いついた顔で、こちらを見る。
「……なに?」
耳に手を当て、こちらを手招きする。どうやら、『耳を貸して』と言っているようだ。
「え、クラリア喋れないでしょ?」
『いいから、いいから』見たいに、急かすように、ちょっと跳ねながら両手で手招きをする。
かわいいなーと思いながら、言う通りにした。
ふっ、どうせ脅かそうと考えてるんだろう。そう、高を括った。
「ありがとう、愛してる」
「へ!?」
喋れないはずのクラリアが、『ありがとう』って言った、『愛してる』って告白した!
驚いてクラリアに向き直ると、顔を両手で包まれ、何をする暇もなくキスされた。
硬直する。思考がショートして、言葉が喉で詰まり、息が止まり、何も出来ないまま、止まったままの世界を踏んだ。
停止する直前、意識はクラリアの事ばかりだった。
ゆっくりと、クラリアは口を離し、手を下ろす。くすりっ、と笑って、嬉しそうに離れた。
俺は全てを自覚し、顔中が熱くなって、走り出した。
「(うわあああああああ‼ 今、告白されたしキスされた! 何も身構えてなかったから超恥ずかしいー!)」
振り返ると、彼女は宙を浮きながら追いかけてきて、笑顔で歌っている。最早、幽霊なのかどうかすら分からない。
いや、精霊だけど。
結局は、恥ずかしさが収まって、追いかけっこが終わったのは家に着いてからだった。
「ただいまッ!」
「おかえり」という声も聞かずに、2階へ駆け上がり部屋の机に突っ伏す。
そのまま夕食になるまで、俺は顔を隠し、クラリアは笑ってた。
「(返事、しねぇとな……)」
暫くの間は、部活に集中出来ないかもしれない。
今度は、俺が君を驚かせてやる。そしていつか━━━
━━━君を必ず幸せにするから。
その願いが叶ったのは、高校を卒業して、コンサートで演奏した後の話だった。
俺は奏で、君はここで歌う。
二人はここで何よりも輝いて、存在した。
それだけの物語。