桃太郎と悪鬼
悪鬼の唸り声がこだましている。
太郎はケロ太と共に逃げ行く『人々』をかき分け、悪鬼の正面に向かった。そこには『鬼』と『鬼』が争う、血生臭い場面だった。
「た、たすけ――」
そこには助けを求める男の姿があり、四肢はもがれ、悲痛な叫びを最後に、悪鬼にのみ込まれてしまった……。
「おい……ケロ太……勝てると思うか?」
「……勝つしかあるまい……なに、安心しな! お前を守るってむつちゃんに約束したからな。命だけは助けてやるさ!」
「はは。出来れば健康体で帰してもらいたいね!」
ケロ太は爪を尖らせ、悪鬼の脚に切りかかった。さすがは魔獣と言うべきか、鬼の攻撃では反応を見せなかった悪鬼も、苦しそうに悶えた。
ケロ太はその隙を見過ごさず、背中に飛び乗ると悪鬼の肩から脚の先までをぐるりと削いだ。
「無様な鬼よ……みたか太郎! 俺が少し手を加えたらこんなもんだぜっ!! 村の女共に俺の勇士をしっかり伝えろよぉ~!!」
「ああ! さすが俺のペットだ! お前はやれば出来る子だぁ!!」
その応えに満足したのか、ケロ太はその速度を加速し、悪鬼の腕に切りかかる。
「へっ、楽勝だぜ。最初からびびってねーし? このまま決めるぜ!」
ケロ太は空に舞い、高々と振りかざした爪を悪鬼の顔に目掛け飛んだ。
「もらっ――!?」
しかし、悪鬼はケロ太を大きな片手で捕らえ、ケロ太の存在をもう一度確認すると、強大な握力で握りつぶそうとした。
「ケロ太!!」
太郎は素早く駆け出し、己の刀で悪鬼の腑らに刀を刺した。しかし、硬い皮膚に覆われたそこには刀は刺さらず、鈍い音と共に刀は折れてしまった……
「た……たろ、う……にげろ……」
ケロ太は苦しみの中、太郎の姿を目にして擦れた声で叫んだ。
「くそ! くそ! どうなってやがる! 今助けてやるぞケロ太!」
落ちている刀を拾い脚に斬りつけ、落ちている槍で脇を刺す。しかし、いっこうに悪鬼には効果がなく太郎の持つ武器は全て粉々になってしまった。
「おい! 悪鬼だか邪気だかわかんねーが。てめぇ、人のペットいたぶってんじゃねーよ!」
太郎は頭に血が上り、悪鬼の腹に強烈な回し蹴りを入れた。すると、さきほどまでは何も聞かなかった悪鬼の体は少し動き、握られていた手は緩んだ。
「ふう、助かったぜ太郎……。前言撤回だ……帰るぞ!」
悪鬼から開放されたケロ太はそ知らぬかおで太郎に提案した。
その言葉を聞いた赤鬼たちは、恐怖で固まっていた。太郎を見つめるその目は先ほどまで見つめていた目とは思えないほどに、懇願な思いだった。
「桃太郎が鬼にまけちゃあだめでしょう! 欲しがりません勝つまでは! 勝ったらたらふく飯食うぞぉ!」
「おんなは? おんなは?」
「輪稚屋さんに連れていってやるから、もう一仕事がんばれや!」
二人は守ると決めた人々を背後に悪鬼に向かって行った。、
・・・・・
死闘はしばらく続いた。
ケロ太は悪鬼に傷をつけ、太郎はその傷をえぐるように皮膚を引き裂いた。
戦況は太郎達に傾きつつあった。しかし、安心した鬼の子供が太郎達の様子を見に来たのである。その子は先ほど太郎の膝を蹴ったあの子供だった。
悪鬼の視線は弱い子供に向けられた。厭に大きな叫び声を悪鬼はあげると、子供目掛けて大岩を投げた。
「あぶない!」
太郎はすかさず子供の元へ走った。人間なら確実に追い越せるスピードではない大岩に、太郎は必死に駆けた。
子供は腰をぬかし、動けない。太郎は見事子供を抱え大岩を避けた。
しかし、その岩は太郎の後頭部にあたり、太郎は激痛と、次第に薄れていく意識にのまれてしまった……。
「だめじゃないか……おかあさんのもとへはやくおいき……」
太郎はずっと泣いている子供にそっと声をかけ、意識は途絶えた。
太郎の傍にケロ太ともう一人少女が立っていた、二人は何かを叫んでいるが、それはもう太郎には届かなかった……
・・・・・
そこは暗闇だった。
何も音はなく、とても冷たい場所に太郎はたたされていた。
微かに体は揺れた。きっと心臓の鼓動と体にまわる血液の声だ。
太郎はまだ生きている。
全身に力が入らず、頭の中もぼんやりとしている。
自分が異世界にきていることすら忘れ、悪鬼と闘いの最中であることも忘れ、ただ、眠りたかった……。
「助けて!!」
女の子の声がした。
そういえば、さっちゃんを助けようとしたときも俺は負けたんだな……太郎は自嘲気味に笑った。
今度もまた負けたんだ……結局俺は何も出来ず、奪われていく景色をここから見るしかできないんだ……。
守れなかったな……約束……
守れなかったな……あの子の事……
守りたかったな……みんなの事……
――あの日俺は死んだんだ……俺はもうどこにもいない……。
もう、眠ってしまおう……このまま安らかに……。来世は暖かい家族と朝の運動がない家庭に生まれますように……。
太郎は静かに瞳を閉じる……。
「――ま! ――ろうさま!」
哀しげな声が呼んでいる。顔に何かがつたう……。
――ああ、だめじゃないか。こんなとこで眠っちゃ……。
帰らなきゃ――帰らなきゃ――。俺を待つ人の元に――!
・・・・・
「お嬢ちゃん! もういい! 早くそいつから離れろ!!」
ケロ太は大声をあげ、悪鬼の首元にしがみ付く鬼姫に声をかけた。
「おまえが! お前が太郎さまを!!」
悪鬼は苦しみながら鬼姫を剥がそうとする。しかし、鬼姫はいっこうに離さなかった。
「太郎さまは命をかけてウチらを救おうとしたんや! 太郎さまは人間なのに鬼のウチに優しく微笑んでくれたんや! 太郎さまはウチに鬼と人間の暖かさを教えてくれたんや!! そんな太郎さまを……よくも……よくもぉー!!」
鬼姫は爪を高々にあげ、悪鬼の首に刺した。
悪鬼は悶え苦しむが、鬼姫を捕まえ、握りつぶそうとする。
「うっ……」
「嬢ちゃん!! ――!?」
――音がした――
――ヒーローが立ち上がる音がした――
「もーもたろさん、ももたろさん、お腰につけたきびだんご……ふん、生憎品切れだぁぁ!!」
その男は目にも見えぬ速さで悪鬼に詰め寄り、肘を決めると悪鬼は山壁のほうまで飛んでいった。
「た、太郎!!」
ケロ太は叫び、村人は歓声をあげた。
「――っと! あぶないあぶない。だめじゃないか鬼姫。女の子が危ない事しちゃ」
悪鬼に放り出され、空に舞っていた彼女を太郎は受け止めると、優しい笑みを見せ笑った。
「――!」
鬼姫は何も言わずに太郎の首に抱きつくと、涙を流した……。
「さぁて……試合も後半戦。そろそろトドメをさしますか……」
「太郎……すまない……守ってやれなくて……」
「ケロ太、良くやった。里の皆を良く守ったな! さすがだぜ相棒! あとは俺の仕事だ。そこから見ていてくれ」
ケロ太の体はボロボロだった。太郎が倒れてから、一人でずっと村人を守っていたのである。
ケロ太は静かに膝をおり、あとは任したといわんばかりに息をついた。
「鬼姫も離れていてくれ。あとは俺がやる」
「わたしもご一緒に――」
「だめだ! これは俺の戦いだ……鬼のキミ達に見ていて欲しい……人間にもこんな馬鹿野郎がいる事を……そして桃太郎の『鬼退治』を!!」
太郎は鬼姫の頭を一度撫でると颯爽と悪鬼に向かった!
体術、剣術は幼い頃より学んだ。命がけの稽古だった。その全てを思い出し、今自分に出せる全力で太郎は悪鬼に向かい一撃一撃を叩き込む。
自然と体は動いた。感覚はいつもより研ぎ澄まされ、相手が動くよりも先に動きが分かるほどだ。
初めてこの世界にきた時のことを思い出す。あの『木』を一撃で粉砕したときの感覚にとても似ていた。
何発も蹴りや拳をくらい、悪鬼は既に膝をついていた。それでも太郎に悪鬼は叫びながら襲い掛かる。
「……アンタはもう終わりだ……アンタは殺しすぎた……判決はギルティーだ……」
太郎はまるで『カメハメ波!』のようなポーズをとった……。
悪鬼は猛スピードで突進してくる。
「太郎さま!!」
鬼姫の叫び声が聞こえる。太郎には待ってくれている人がいる……。
「これで最後だ!! 秘儀!『お腹がすいた!!』お仕事終了!!」
太郎は手のひらを悪鬼の腹に捻じ込むとその腹は破裂し空には血の雨が降った……。
太郎は勝ったのである。突如現れた悪鬼から里の者を救ったのである。
太郎は勝利の合図に空高々に拳をあげた。背中からはたくさんの賞賛の声があがった。
しかし、太郎は精魂ここに尽きたか、気を失い静かに眠りについた……。
里の者はこの闘いを「どっちが鬼かわかんなかったです。はい。」と言ったと云う……。
しかし、この時山の頂からその姿を見つめる者に誰も気がついていなかった。
「ほう、俺の悪鬼を殺るなんて……大した男じゃないか……にしても、あの隣の女鬼、上玉だ……近々貰いにいっていいかい? くっくっく……」
薄気味悪い笑いを残し、そいつは姿を消した……が今はとりあえず、太郎は勝ったのだ! 祝杯をあげようではないか!!
・・・・・
静かな鼻歌が聞こえた、床を慌ただしく駆け回る音に小鳥のなく声に……
太郎は目を開けた。見知らぬ天井に暖かい毛布。ふかふかの枕なんて何日ぶりであろうか……。
「――いってぇ……」
体を起こそうと力を込めると全身に激痛が走った。体の骨が折れているかもしれないその痛みは太郎を涙目にさせた……。
「た、太郎さま!!:
鼻歌が止み、女の声がした。
「鬼姫……ぶじかぁ~……」
太郎は微かに動く腕をふり笑った。
「たろうさま!! よくぞご無事で!!」
太郎の胸に飛び込む鬼姫……
「うんぎゃぁぁぁぁ!!」
「あっ! し、失礼いたしました……」
痛みに悶絶しながら、太郎は笑うが、いろんな意味で心臓は爆発寸前であった……。
「なんだなんだ、お嬢ちゃん。 なにかあったかい?」
ケロ太が襖をあけ、部屋に入ってきた。
「……た、た、た、」
ケロ太の体は包帯でぐるぐる巻きだった。太郎も同じく包帯巻きで重症だったのだが、二人は目を合わせると両手を太郎は広げ、ケロ太はその胸に飛び込んだ!
「うおぉぉぉ!! 生きてるぅ!!――いってぇぇえ!!」
「死んでたまるか!ばかやろうっ!!――しぬっぅぅ!!」
二人は抱きしめあい互いの痛みの事など少し忘れ、『生』の喜びをあじわった。二人は痛みと喜びで目からは涙が溢れそうになっていた……。
「そういえば、何日くらい俺は寝ていたの?」
「三日ほどでございます……しかし、あの傷で生きているのが不思議だとお医者さまも申しておりました……。お体は本当に大丈夫ですか?」
鬼姫は心配そうに太郎の体の隅々まで見ていた。
「え? ああ、大丈夫! それより、そんなに見られると恥かしいんだけど……」
「し、失礼いたしました――」
鬼姫は顔を赤らめ、俯いてしまった。その姿はとても愛おしく太郎の心を暖めた。
「今、お食事を持ってまいります! しばしお待ちを!」
鬼姫は嬉しそうに立ち上がると、足早に部屋を後にした。
鬼姫が部屋を出てから何者かがみている気配に太郎は気付いた。
「だれだ!?」
太郎が叫ぶと庭の木に人影が揺れた。その影は小さく、ゆっくりと姿を現した。
あの太郎に救われた『少年』だった。
「おう坊主! 無事だったか!? 怪我はないか?」
太郎は大きく笑い、少年を手招いた。
少年は少し怯えながらも太郎に近づいてきた。怖さなのか、着物の袖を『きゅっと』しめるその小さな手は脆く儚げだった。
「あ、あの……ありが……と……それと……ごめんなさい――」
少年は太郎の傍に立つと助けてもらったお礼と、膝を蹴ったことを謝った。今にも泣きそうなかおで謝る少年に太郎は優しく離した。
「ああ! いいキックだった! 将来はプロサッカー選手だな! 楽しみだ!」
太郎は少年の頭をくしゃくしゃに撫でると笑顔を見せた。
「……おれも、強くなりたくて……鬼姫さまやかぞくを守れるくらい、つよくなりたくて……でも、人間も怖いし、あの化け物もおっかない……そんなおれでも。人間のにいちゃんみたいになれる?」
少年は自分の角に触れながら、涙を流した……。
「坊主……お前は充分強い! 『人』に謝れたじゃないか? なかなか出来る事じゃないぞ? そんな勇気俺にもないかもしれない。それに、人間とか鬼とかは関係ないんじゃないかな? 俺らはもっと大切な何かを見つめ直さなきゃいけない。 偏見や常識なんかどぶに捨てて、新しい明日の話をしなきゃ! 俺みたいなるんじゃなくて、みんなが笑って暮らせる未来を一緒に探しに行かないか? 坊主が将来なりたい夢ってなんだ?」
少年は必死に考えるが、まだ太郎の言葉の意味を理解するには幼かったのかもしれない。
「ゆっくり考えればいいさ」と太郎は言う。少年はやっと笑顔になってこたえた。
「うん! じゃあ、その『ぷろさかしゅ』になる!」
太郎は笑った。何よりも子供の笑顔が一番壊されてはいけないと、太郎は心に刻んだ。
太郎の新しい目覚めは鬼の里……それはこれから太郎が成し遂げようとする『夢』の始まりだったと云う。