桃太郎と鬼娘
小鳥達の歌声に耳を澄ませ、夏を運ぶ涼しげな風に木々は揺れる。その暖かな森の中に太郎たちはいた。
鬼の娘の名は『鬼姫』という。
鬼の姫と書くそうなのだが、その姿はとても人間らしく、村にいれば何にも違和感なく溶け込めるような姿だった。髪の色と額に生えた角を除けば……だ。
顔立ちはとても小顔で、鋭い目鼻立ちは大人びているのだが、時折りみせるその『笑顔』は無邪気に笑い、幼さを魅せる。
「太郎さまは何処へ行かれるのですか?」
鬼姫は太郎が出発の仕度をしているときに、赤い髪を揺らしながら尋ねた。
「ああ、ちょっと『庄司村』まで偵察に……」
「ていさつ?」
「あ、いや。遊びに行くところだったんだ!」
太郎は鬼にむかい『鬼退治』に行くなど言えず、曖昧にごまかした。
「そうですか。なら、その途中にある鬼の隠れ里によろしかったらお越しください! 助けてもらったお礼がしたいのです。私もそこへ向かう途中だったのですが、あの山賊に襲われて……」
鬼姫は不安げな瞳で太郎を見た。
「しかし、いいのかい? 俺は人間だよ? そんな俺が隠れ里に足を入れるのは、いきなり戦闘が始まったりしないかい? 里の者に怖がられるんじゃ……」
太郎は自分が鬼の集団にリンチにあう場面を想像して身震いをした。しかし、鬼という存在が本当に害があるのか確認するには絶好の好機である。
「はい……しかし、私の傍にいてくだされば心配ありません! それに、事情を話せば皆、歓迎してくださいます!」
鬼姫は胸をはり、「えっへんっ!」と言いたげに笑った。
「太郎よ! 女子がたくさんいるかもしれんぞ! 鬼の娘だぞ! 美人だぞ!」
ケロ太はとても行きたそうに走り回っていた。最近のケロ太はもうただの『犬』に成り果てていた……。
「ええ! ケロちゃんが言うように愛くるしい女子もたくさんおります! 是非、足をお運びくださいませ!」
鬼姫とケロ太は太郎に詰め寄り、目を輝かせて太郎を見つめていた。
「う~……よし! わかった。行こう! また賊に襲われるかもしれないし、怪我した女の子一人置いて旅なんて出来ないしね」
太郎の言葉に二人は手を取り合い喜んだ。
昨夜まで『人間』と『鬼』、互いにけん制しあっていた雰囲気とはうってかわり、この場には男と女と魔獣が手を取り合い、『平和』な一時を過ごしていた……。
・・・・・
険しい山道を下り、しっかりと整備されている道を歩き続ける。太郎は昨日の賊が襲ってこないか警戒をしていたが、何故か楽しそうに歩く少女の姿や、遠くに見える村の豊かな煙を眺めていると、それは杞憂な気がしていた。
「太郎さま! こちらでございます! はやくはやくぅ~っ!」
鬼姫は後ろにいる太郎に大きく手を振り飛び跳ねていた。
「なあ、今更だけど、本当に大丈夫だよな? 入ってすぐに食べられないよな……?」
太郎は鬼姫に聞かれないようにケロ太にそっと耳打ちをする。
「なんだなんだぁ!? びびってんのか太郎よ? くぅぅ、なさけない! 俺とやりあったときを思い出せ。あの時の威勢はどうした?」
犬に本気で呆れられ、太郎はプッちんと切れそうになったが、覚悟を決めて足を進めた。
「この先でございます」
鬼姫は山の獣道を進み、一つの洞窟を指した。
「この先に隠れ里がございます。太郎さまの目的の地までもそう時間がかかりませぬゆえ、ごゆるりとおくつろぎ下さいませっ!」
太郎は鬼姫のあとを追い、洞窟の中に入っていった。湿った空気に生臭いにおい……。『女の子がこんなとこ来ちゃいけません!!』と叫びそうになったが、慣れた足取りで鬼姫は進んでいた。少し進むと出口の光が見えた。そこを抜けると眩しい日の光が太郎たちを捕らえた。
そこは大きな山の壁で囲まれた集落だった。とても広い敷地なのだが、里の居住区であろうか、中心に集まる家々はこじんまりとし、そこに息を潜んでいるようにも見える。
広い土地を生かし、隅々には物見櫓が建てられ、侵入者をいち早く捕らえるような陣地になっていた。
里のいたるところで煙があがっている。炊いた飯の匂いと子供たちの笑い声がこの里に流れ出していた。
時刻はお昼過ぎだろうか、太郎もお腹の音が鳴り出した。
「ふふっ。長に挨拶をして、すぐに食事にいたしましょう!」
鬼姫は太郎の手をとり、歩き出した。
包まれた太郎の手は鬼に触れられているのに『恐怖』はなく、ただ、心地よく柔らかい感触に太郎は顔を赤らめた。
「みんな~! ただいま~!」
鬼姫が里の入り口、たぶんこれが『門』なのだろうが、簡単に造られているその門はとても開放的だった。
「あ! 鬼姫さまぁ! また遊びに来てくれたの!?」
里の子供が鬼姫に抱きついた。その額には小さい『角』が生えている。
「うん! また遊びにきたよ~。 ところで長はどこに――」
鬼姫は子供の頭を撫でながら、注意深くまわりを見渡している。
「に、にんげん!? みんなぁ!! てーへんだ!! 人間が侵入したぞ!!」
通りかかった男が怯えた声をあげながら里全体に響くような声で叫んだ。
その声を火種に村の鐘は厭な音をたて、太郎を震撼させた。
「ちょっと! みんな落ち着いて! この人は大丈夫やから! ウチの恩人やから!!」
鬼姫はまたエセ関西のようなしゃべり方になってしまった。それでも必死に落ち着かせようとするその姿に嘘偽りはなく、太郎を必死に守っていた。
鬼姫の傍にいた子供は泣きながら太郎の膝に蹴りをいれると、鬼姫を守ろうとしているのか、その腕を引っ張り、門の中に入れようとした。
太郎とケロ太は囲まれた……女、子供は太郎に石を投げ、男達は爪を尖らせ睨んでいる。その瞳には憎しみと恐怖が混じった哀しい瞳だった。
太郎は抵抗をしなかった、石は額にあたり、静かに一筋の血が流れる。
「みんなええかげんにして!!」
鬼姫は必死に叫ぶが罵声と泣き声でその声は誰の耳にも入らなかった。
「っち……太郎……やっちまうか……?」
ケロ太は毛を逆立てて必死に太郎に飛んでくる石を払い、真剣な眼差しで太郎を見つめた。
「……いや、やめてくれ。アンタが暴れたらシャレじゃなくなる」
ケロ太はもう一度舌打ちをすると、里の者達に威嚇の唸り声をあげた。
「……かえろう。ケロ太」
「……すまなかったな……所詮は鬼と人間……昨夜のことはきれいに忘れてしまえ……」
太郎は鬼達に背中をむけると、静かに去ろうとしていた。背中からは鬼達の勝利の声が響いていた。
「もう二度とくんな! 人間め!」
子供が太郎に向かい石を投げた。
それは太郎の背中にあたるはずだった……
「――鬼姫っ!?」
太郎の背中には両手を広げ、太郎を庇う『鬼姫』の姿があった。
「みんな……みんなやめて……いきなり人間をつれてきて、驚かせたのは謝ります……でも、でもちゃんと話を聞いて! 話し合いができないから、みんな傷つくのよ!」
鬼姫はずっと考えていた……もし、自分がしっかり『ありがとう』と言えてたら……もし、自分が人間嫌いでも、ちゃんと太郎の話を聞いていれば、命の恩人である太郎を傷付けてはいなかったんじゃないかと……。
鬼姫の足からまた血が流れ出す。
「鬼姫! 早く手当てしないと! なんでこんな無茶を……」
鬼姫は鬼の力を使い、人間では到達できない速度で太郎の背中を守ったのだった。
「ごめんなさい…ウチのせいで……また傷付けてしまっ――ごめんなさい……」
鬼姫は太郎の額に手を添え、涙を流した。
「大丈夫だから、俺なら大丈夫だから――」
太郎は鬼姫を抱きしめ、頭を撫でた。その少女の額には角がある……しかし、『痛み』は人間の太郎や弥助、むつ達と一緒ではないか。『角』があるだけで忌み嫌われ、人間だからと石を投げられる。そこには会話の隙はないのだろうか……ああ!むなしい! 惨めである――。
『なにかくる』
『鬼がくる』
ケロ太の肩からまた声がした。
「太郎! 下になにかいるぞ!!」
そう言うが先か、地面は大きくゆれ始め、厭な正気に村が包まれていく……。
太郎は鬼姫を抱え、その場を離れた。
するとさっきまで太郎がいた場所の地面から大きな『手』があらわれた。それは醜い歪な形をしていて、見るものの背筋を凍らせる『手』だったと云う。
「あ、悪鬼がでたぞ!! みんな武器を持て!」
男の一人が震えた声を搾り出し、皆に伝えた。
「太郎……こいつはやっかいだ……今の俺の魔力じゃ……」
ケロ太には珍しく弱気な一言をだした。しかし、それは当然といえようか、あんな異形なものを目の当たりにしてしまえば、誰でも腰が引けるものである。
その『手』は地面につき、勢いよく力をこめた。すると地面からそれはまさしく太郎が想像していた『鬼』が現れた。
それは漆黒より黒く、血に染まったような毛で全身を覆い、歪な顔から覗くその牙は獲物を捕食するのに特化され、体は太郎の何倍であろうか、一度捕まれば二度度離れる事は許されないほどに大きく硬い筋肉で覆われている。
太郎は初めて目にする『悪鬼』に恐怖を覚えた。悪鬼の口から発せられるのは『言葉』ではなく、『咆哮』厭なその声には知性はなく、本能のまま獲物を狩る『獣』だった。
「みんなぁ! かかれぇ!!」
男達は一斉に悪鬼に飛び掛る。女達は子供を連れ奥に隠れている。
男達は爪で悪鬼の体を引っかき、刀で切りつけ、槍でさした。しかし、どれも効果はなく悪鬼になぎ払われてしまう。空には赤鬼の血が舞い、悲惨な断末魔と恐怖に怯える声でその場は包まれていた……。
「ああっ……みんな――……」
鬼姫は震える声で泣いていた。太郎は鬼姫を抱えたまま鬼の女に一声かける。
「この子を頼みます」
女は怯えていたが、鬼姫を受け取ると頭を下げた。
「太郎さま! 何処へ!?」
鬼姫に背中から声をかけられた太郎は静かに刀を抜いた。
「鬼姫……ごめんな。俺の旅の本当の目的は『鬼退治』なんだ……だから、退治してくるよ。今やっとわかったんだ。俺が退治する『鬼』ってのが……」
「太郎さま……そんな……」
「桃太郎ってのはさ、強くて勇敢で誰でも知っているヒーローなんだ。困ってる『人』を助けるヒーローなんだ……だから行くよ。鬼退治……御免!!」
太郎とケロ太は颯爽と駆け出した。背中からは鬼姫の叫ぶ声がした。しかし、振り返るわけにはいかない。
太郎はこの日、初めて『鬼退治』に向かったと云う。